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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

善人 善人

  大阪で暮らし始めて 10年くらいになるが基本的に大阪(関西)には善人が多いように思う。電車の中で席を譲る人、道を尋ねた時に教えてくれる人などなど他の町よりも沢山いるような気がする。以前暮らしていた町にも電車で席を譲る人は当然いるのだが、積極性においては大阪にかなわない。

  会社の行き帰りに必ず利用する大阪(梅田)駅では目の不自由な人を何人も見かける。歩きなれているのか、とくに困った様子もなく健常者と変わらぬ速度で歩いているものだから、ついつい手助けする必要がないと思ってしまいがちだが、そういう人に声をかけ、手を引いて誘導する人を何人も見ることができる。

  ある朝、いつもの階段を降りて地下鉄の改札に向かって歩いていると遠くで 『バーン!』 という音が聞えた。何事かとそちらを見ると、白い杖を持った年配の女性が倒れている。驚いて立ち止まった次の瞬間、近くを歩いていた人が何人も駆け寄って声をかけたり転がった杖を拾ったりしている。

  転んだ本人は 「あははは〜」 と笑いながら自分で自分のことを 「アホやね〜」 と言ったりして妙に明るい。心配して近づいた人たちも怪我がないのが分かったのか、それぞれの人が、それぞれの目的地に向かって足早にその場を去って行った。転んだ人は親切にしてくれた人に 「ありがとうございました」 と大きな声でお礼を言って再び歩き始めたのだった。

  いくら大阪人が善人であっても、やはり親切にしてあげたくなる相手とそうではない相手がいるようだ。帰宅する時 JR大阪駅のある時間帯にいつも同じ目の不自由な人を数人見かける。そのなかの女性は駅のホームに溢れかえっている人ごみの中を慎重に進み、点字タイルの上に立ち止まっているふとどきな奴に対しても 「すみません、ごめんなさい」 と言って歩いている。そういう人には親切に接する人も多く、手を引いて誘導してもらっている姿をよく見かける。

  そして、そのなかの男性は人と当っても無言で行ってしまう。むしろ相手が避けるのは当然だと言わんばかりにズンズンと進んでガンガン人に当る。目が不自由なのだから仕方がないとも思うし、点字タイルの上に立っている人が悪いのも当然なのだが、見ていて決して気分の良いものではない。そういう彼の行動が人から良く思われないのだろうが、人に助けてもらっているところを見たことがない。

  あれではお互いに感情を害するだけなのだから相手が悪いと思っても、そこはぐっとこらえて 「すみません」 の一言くらいは言うべきだと思う。友人のお兄さんが体の不自由な子供が通う学校で教師をしており、そこで 「体の一部が不自由でもそれ以外は健康なんだから人の善意に甘えるな」 と生徒に教えていたことを思い出してしまった。

  それでも冒頭に書いた通り、大阪には善人が多い。以前住んでいた町では親切にする人が少ないので、親切にすること自体に照れが出てしまう。ところが大阪では皆がやっていることであるため照れることなく行動できる。良い意味での連鎖が生まれるので余計に親切な人が多くなるのかもしれない。

  数日前、会社帰りに地下鉄で座っているといると女性二人が目の前に立った。いつもの通りに本を読んでいたのだが、視野に入って来たその女性のお腹が大きいように思った。席を譲るべきかと顔を上げてその女性を見ると、その、なんというか、とても ”ふくよか” でいらっしゃる。そこですぐに声をかけるのをやめて本を見ながら必至に考えた。

  親切に席を譲ろうとしたところが相手にとってはとっても失礼に当る事かもしれない。ニコニコしながら席を立って相手に殴られて鼻血でも出そうものなら恥ずかしい事このうえない。悪い頭を必死に回転させて悩んでいると一緒に乗ってきたもう一人の女性と目が合った。手の親指と人差し指をクルクルして 「席を譲りましょうか?」 という意志を無言で表現したところ、「おねがいします」 とい答えが返ってきたので安心して席を立つことができた。

  お腹の大きな女性も 「ありがとうございます」 と言ってくれたし、梅田の駅に着いた時も二人そろってお礼を言ってくれたので、親切にすると気持ちも良くなるものだと思ったのだが、それと同時にいろ〜んな意味において人に親切にするのは勇気が必要だったり難しかったりするものだと考えてしまったのであった。

2002 / 09 / 15 (日) ¦ 固定リンク


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