保守的 保守的
タバコを吸い始めて何年になるだろう。人に公表できる年齢に達する前から吸い続けているので長いことタバコに火をつけては消していることになる。最初のころはどのタバコが美味しいのか、自分に合っているのかを試すために色々な銘柄を購入した。最終的に選んだのはセブンスターなのだが、それ以来ずっと吸い続けていて変わっていない。
一度だけマイルドセブンにしてみようと試みたことがあるが、4-5本吸ったところでやめてしまった。なんとなく美味しく感じなかったのと、吸った後の満足感が不足しているような気がしたからだ。タバコを切らしてしまい人からもらって吸ったことも何度かあるが、やはり美味しく感じないし銘柄を変えようという気になったことがない。
外食も同様で新しい店を開拓する精神が欠如しているようだ。若いころは毎日のように喫茶店に通っていたが、ドアを開ける店はいつも同じで近くに新しい喫茶店がオープンしたと聞いても覗いてみる気にさえならなかった。酒を飲みに行くところも決まっていて 「あっち店が美味しい」 だの 「こっちの店が安い」 だの言われても 「ふ〜ん」 と聞いているだけで 「それじゃぁひとつ」 という気にはまったくならない。
美容室や理容室も同じである。通い続けている店であれば、黙って座っていればいつもと同じようにしてくれるので楽であるというのが一番の理由だが、気心が知れていると話をしたくないときは店主も話しかけてこないので精神的に楽なのである。初めて行く店だと前髪の長さ、モミアゲの切り方など細々聞かれるし、「お近くにお住まいですか?」 から始まって、やれ 「今日はお休みですか?」 だの 「どんな仕事を?」 だのと質問攻めにあってしまうので疲れてしまう。
以前は服を買う店も決まっていた。店員が自分の好みを分かっていてくれて、店に入って仁王立ちになっていれば色やら形やら勝手に選んでくれるので楽だった。こちらもその店員を信用しているので、たまに変わったデザインのものを着せられようと、今まで着たことのない色を選ばれようと 「他人から見たら似合うのだろう」 と理解して黙ってお金を支払っていた。
仕事のお客さんとの酒の席でそんな話をしていると 「保守的なんですね」 と言われて驚いてしまった。確かに新しいものに挑戦する意識に欠け、現状を維持しているのだから ”保守的” ということになるのかもしれないが、自分も含めて他人からもそのように言われたことも見られたこともなかったからである。
以前勤めていた会社では部署内の ”切込み隊長” と呼ばれ、直属の上司だろうが他部署の部長だろうが挙句の果てには社長だろうが、一切おかまいなしに気に入らないことがあれば文句を言っていた。クビを覚悟で社長に直訴して統率力のないセクハラ上司を飛ばしたこともある。今思い出してみると「よくクビにならなかったな〜」 と思えるほど旁若無人な振舞いだったように思うし、後先のことを考えずに現状の自分の立場などどうなってもよいと思っていたので ”保守的” などという言葉とは無縁だったのである。
今も根本的な性格は変わっていないと思うのだが、「保守的なんですね」 と言われてあらためて冷静に考えてみた。少し前に中国の日本大使館に北朝鮮の亡命希望者が駆け込むという事件があった。駆け込み自体は事件ではないが、その時の大使館職員の対応のしかたが問題となり、今現在も外務省がバタバタと弁明したりお詫びしたりしている。
あの報道を見たときは 「世界中に恥をさらしおって」 とか 「情けない奴め」 とか思っていたが、あれが自分だったらどうするだろうと考えたときに、もしかしたら波風たつのが嫌であの大使館職員と同じような行動をしてしまうかもしれないと思ってしまった。保守的とは少し違うが ”ことなかれ主義” の部分が今の自分にはあるのかもしれない。
そのことを正直に仕事仲間に話してみると 「うそだ」 と言い、「もし、あの状況に直面したら大使館内に入って来た中国警察をボコボコにして逮捕されるに違いない」 と言うのである。そこで再び考え込んでしまった。確かに言われるように後先のことを考えずに 「許可もしていないのに勝手に入ってくるな!」 と殴りかかっていく自分の姿も容易に想像することができる。
結果的に自分のことでさえ自分にはよく分かっていないし、その時にならなければ自分がどうするかも分からないのであるが、上に対して意見も言えないような情けない奴と他人から見られていなくて良かったと思う反面、いいかげん ”おっさん” になったのに性格が変わらず尖った生き方をしていて良いのだろうかと少し反省してみたりしている今日このごろなのである。
2002 / 07 / 28 (日) ¦ 固定リンク