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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

もっと壁を越えて もっと壁を越えて

  前回の雑感を書いていて思い出したのだが、言葉が通じなくても人と人のコミュニケーションは可能なものだ。身振り手振りでなんとかなるものなのである。やっぱり最初は何を言っているのかさえも分からないのではあるが・・・。

  アメリカに行った時、ホテルで食事をしながら生演奏を聞いたことがある。食事も終わり、各自部屋に戻ろうとエレベータが来るのを待っていると演奏していた人たちがそばを通った。その時、同行していた英語がペラペラの女子社員が 「◎△♀テ浴宦堰、!」と話しかけ、外人さんもニコニコしている。「何て言ったの?」 と聞くと 「『素敵な演奏をありがとう』って言ったんですよ」などとぬかすではないか。心の中では 「けっ。な〜にが素敵な演奏をだ!」 と思っていたが 「ふ〜ん」と言っておいた。英語の良いところはキザな台詞(セリフ)も似合ってしまうことだと思う。

  日本語では恥ずかしくて口にできない台詞も英語だと違和感がない。映画を字幕で観ていると愛情表現にしても、相手に対する誉め言葉にしても、日本語で言うとジンマシンが出そうな台詞がある。それも英語だと格好良く聞こえてしまうが不思議だ。

  同じ頃、台湾への出張に同じ部署の社員だったアメリカ人の Pが通訳として同行した。日本人にとって台湾の人が話す英語はカタカナの発音に近いため、アメリカで聞く英語よりも理解しやすいのだが、Pにとっては聞き取りにくいようで通訳するのに苦労していた。台湾なまりの英語を聞き取り、日本語に変換しなければいけないのだから大変なわけだ。

  Pと何日間も行動を共にしていると日本人とアメリカ人の差がはっきりと分かる。アメリカ人は開拓精神が旺盛と言うか、当って砕けろと言うか ”ダメ元” でどんどん行動することができる。日本人は外国に行くとなんとか現地の言葉でコミュニケーションを図ろうとするが、アメリカ人は誰が相手でも平気で英語で話しかける。言葉が通じないことが分かると、はじめて身振り手振りを加えるのだ。

  一日の予定も終わり、台湾の歓楽街にくり出したときも屋台で売っている食べ物に興味を持って 「これは何ぞや」と英語で質問している。若い人は英語を話せる人も多いが屋台の ”おっちゃん” や ”おばちゃん”は英語など話せないので目を丸くして固まったりしていた。中には Pが指を差しているのを見て台湾語(台北は北京語)でその食べ物の説明を始めるのだが、今度はこちらが固まる番となってしまう。

  あちらこちらで台湾人を固まらせたり、こちらが固まったりしながら歩いていると、その場に似つかわしくないような洒落た店があった。ウィンドウ越しに店内を覗くとビリヤード台が置かれたりしてアメリカナイズされた店だった。これなら英語も通じるだろうと中に入ると思ったとおり店員さんが英語で話しかけてくる。

  Pの通訳によってオーダーも終わり、二人で話をしていた(もちろん日本語)。店内には大音量で音楽が流れてるので必然的に声も大きくなる。二人とものどが痛くなってきたので店員さんに音を小さくしてほしいと頼んだところ、若くて可愛い女の店員さんがそばに寄ってきて 「この音楽は嫌い?」 と英語で聞いてきた。その時なんと Pは 「君の声がもっとよく聞こえるようにさ」 などと答えやがる。 「んんなーーーにが 『聞こえるようにさ』 だ!!」 と心の中で叫んだが、嬉しそうにしている店員さんの横で、とりあえずはニコニコしている典型的な日本人なのである。

  アルコールをしこたま飲んでその店を後にし、ホテルへの帰り道では酔った勢いで来る時にも増して屋台の台湾人を固まらせていた。のどが渇いたので何かないか探したところ、ジューサーが設置されている店を発見した。これは絞りたてのジュースを飲ませてくれる店に違いないと、カウンターに座って壁にあるメニューを見るとすべて台湾語(漢字)で書かれているので困ってしまった。

  その中に ”鳳梨” というのがあったので店員さんに聞くと他の屋台と同様に固まってしまっている。仕方ないので漢字から予想がつきやすいものを選んで注文するのだが、言葉が通じないのでカウンターを乗り越えメニューを直接指さして注文してやっとの思いでジュースを飲むことができた。

  帰国する日に空港までタクシーに乗ったところ、Pが 「おーー!」 と叫ぶので何かと思ったら 「昨日の夜見た漢字はパイナップルのことだ」 と言ってバックミラーに吊るされているパイナップルのアクセサリーを指さしている。確かにそこには ”鳳梨” と書いてあった。何にでも興味を持ち、それを吸収する彼を見て 「偉いな〜」 とつくづく感じてしまった。

  車内での会話を聞いていた高齢の運転手さんが 「あなた達は日本人?」と片言の日本語で聞いてきた。「日本語が分かるんですか?」 と聞いたら 「戦争の時、日本軍に制圧されて無理矢理に教えこまれたのです」 との答えが返ってきた。戦争で日本が犯した罪についてまともな教育を受けていなかったが、「その節は我々の先祖が大変申し訳ないことをしまして・・・」 と謝るしかなかった。

  それからすぐに同行していた部長と仕事の話を始めたのであるが、助手席に座っている Pと運転手さんは話を続けている。会話を聞いてみると Pと運転手さんはお互いに片言の日本語で会話を進めているので思わず笑ってしまった。二人に聞いてみると Pは台湾語が話せないし、運転手さんは英語が話せないとのことである。唯一のコミュニケーション手段が ”片言の日本語” なわけだ。

  会話を聞いているとお互いに間違った日本語を使ったりして日本人が聞くとよく内容が理解できないのだが、二人は相通ずるものがあったらしく、「ワッハッハ」 と楽しそうに笑っていた。それを見ると可笑しくて、ついこちらも 「わっはっは」 とつられてしまう。

  とってもとっても小さな壁ではあるが、アメリカ、日本、台湾の人種の壁が崩れた瞬間であった。

2002 / 03 / 10 (日) ¦ 固定リンク


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