壁を越えて 壁を越えて
世の中には目に ”見えない壁”が多く存在する。牛と人間には ”種の壁” があり BSE(狂牛病)が人間に感染する確立は 100分の 1以下(10万分の 1以下という研究者もいる)なのだから、必要以上に大騒ぎしたり牛肉を敬遠したりすることはないのである。しかし、万が一と言葉があるように 「もし感染したら・・・」と考えるとちょっと怖いのも事実だ。
そもそも牛肉が売れなくなったのは狂牛病問題が発端だが、最近では国内産なのか輸入品なのかも疑わしく賞味期限なども含めた安全性に不安があるため一向に消費が回復しない。国の対応が後手後手になってしまうのは ”省庁の壁” が主な原因である。
原材料の生産から出荷までは農林水産省、安全性に関しては厚生労働省などと縦割り行政になっている。担当が違うとか必要書類を山ほど提出しなければならないとか、縄張り争いにも似た構図になっているのでなかなか対策が決まらない。今のように政治が腐っていると縄張りを主張する裏には利権が絡んでいるのであろうと疑ってしまうのだが、ひとたび問題が発生すると 「それはあっち」 などと責任のなすりあいである。
雪印問題でも雪印乳業が他社との資本提携を探る方針を発表すると、農林水産省と自民党が 「外資との提携は避けるべき」と主張し出した。外資系企業には同省と農林関係議員の 「影響力」 が及びにくくて 「酪農家を守れない」というのが理由だが、単に 「おいしい」部分が減ってしまうのが嫌なのではないかと疑ってしまう。国会議員と国民の間にも ”見えない壁” があるようだ。
宗教にも越えられない、理解し合えない ”壁”がある。遠い昔から宗教の違いによる対立があり、対立が激化した場合には戦争にまで発展する。今もヒンズー教とイスラム両教徒間の暴動が拡大している。無宗教な自分は誰が何を信仰していようとカルト宗教やしつこく勧誘する宗教でなければ気にならない。しかし、宗教間の対立やそれによる戦争の報道を見るたびに 「彼らの宗教には人を殺してはいけないという教えはないのだろうか?」と疑問を感じてしまう。
宗教観に近いものがあるが ”人種の壁”も厳然と存在する。田中真紀子氏や鈴木宗男氏の報道ですっかり忙しくなってしまい、最近ではあまり伝えられなくなったがアフガニスタンの内戦もパシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人など人種による争いも大きな要素となっている。戦争による難民を ”人種の壁” を越えて救おうとするボランティアや NGOは素直に尊敬すべきだと思う。それに横槍を入れた(と言われる)鈴木宗男氏は・・・と続けたくなるが、今回のテーマとは異なるのでやめておくことにする。
その ”人種の壁” に近いのが ”言葉の壁”である。言葉が通じなければ当然のことながら意思の疎通は困難なのでペラペラと喋れる人が羨ましい。正確に意思の疎通を図ろうとすると中途半端に話せる程度では無理なのであろう。中曽根元首相が 「英語で話す時は英語で考える」と言っていたが、それはそのとおりだと思う。相手が話したことを和訳して考えをまとめ、自分の考えを英訳してから話すのであれば間に通訳がいるのと同じである。
・・・などと偉そうに語っているが、自分も日本語以外はさっぱり分からない。その日本語ですら怪しいのであるが・・・。以前勤めていた会社で何度か海外出張を命ぜられた。言葉が分からないので、にこやかにお断りしようとも思ったが会社の命令とあれば行かねばならないのである。
出張の目的はラスベガスで開かれるコンピュータ関連の展示会を観ることと、最新の技術やトレンド商品を調べることだった。会場に展示されている製品の説明を 「ふんふん」 と聞いていたのだが、使われる単語にコンピュータ用語が多いので細かいことは分からなくても使用法や仕様はなんとなく理解できる。
ホテルに帰ると、場所が場所だけに当然のごとく”バクチ”を始めるわけだが、そこでの会話にはついていくことができない。外人さん同士が何かを話して 「ワッハッハ〜」と笑っているのだが、何がおかしいのかさっぱり分からないのである。その人たちから見ると典型的な 「無表情」 な日本人だったに違いない。その出張は 5泊だったのだが、最後の最後になって相手が何を言っているのか分かるようになってきた。分かるといっても雰囲気が大きな割合を占めるのだが、きっとこう言っているんだろうな〜とか、彼はこう思っているんだろうな〜と、不思議なことに伝わってくるものなのである。
最終日に展示会の会場からホテルに戻るとき 「一緒にタクシーに乗せてほしい」というアメリカ人と一緒になった。なんでもコンピュータ周辺機器メーカの社長さんと言うことだ。車中ではコンピュータ関連はサポートが大変だという話になり、その社長さんが 「あなたの会社では何人くらいサポート要員がいるんだ」と聞いてきた。同行していた部長が 「20人くらい」と答えたあとで 「あなたの会社は?」と聞き返すと、その社長さんは 「Call me」 と答えた。
普段はアメリカのコメディ映画を見ても 「どこが面白いんだ?」と思っていたが、その時は大笑いした。人にさんざんサポートのことを聞き、人数まで尋ねたあとで苦労の多い業務であるサポート要員が何人いるのかという問いに対して 「Call me(私に電話して)」という答えはとてもオシャレで面白かった。もっと英語が分かればホテルでの外人さん同士の会話も面白かったに違いない。
”種の壁”を越えて狂牛病に感染するのは困るが、これから先何十年、何百年か経つと宗教や人種、言葉の壁を越えて世界中の人が理解し合える日が来るのだろうか?お互いに理解し合い、争いのない世の中になるだろうか?
寿命が尽きるまでに、そんな世の中の姿を見てみたいと思ったりしている今日このごろである。
2002 / 03 / 03 (日) ¦ 固定リンク