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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

いじめ いじめ

  最近はニュースで取り上げられることも少なくなってきたが、日本のどこかでは今でも”いじめ”が問題になっているのだろう。これに関しては”いじめる側”が悪いとか、”いじめられる側”にも原因があるなど様々な議論があり、なかなか難しい問題である。

  子供の頃は”いじめっ子”として名をはせた自分ではあるが、実際のところは”いじめている”と思っていなかったし、相手も嫌がっているとは思ってもいなかったのである。しかし、こちらの意識と相手の意識には明らかな温度差があり、思わぬところで逆襲にあったりしていた。

  小学校の低学年の頃、同級生の誰かが担任に「いじめられた」と報告したらしく、職員室に呼ばれて叱られたことがある。しかし自分にとっては休み時間に「わーわー」言って遊んでいただけで、いつどこで誰をいじめたのか、まったく心当たりがなかったので「いじめていない!」と言い張っていた。

  「自分にその気がなくても”いじめられた”と思う子もいる」と諭されたが、休み時間に誰かを泣かせたりした記憶もなく、ただ遊んでいただけだった。もちろん喧嘩をすることもあったが、それは喧嘩であり一方的にいじめていた訳ではない。さらにその日は喧嘩もしていなかった。

  「いじめていない」と言い張っていると担任は半ばあきれながら「みんなに聞いてみようか?」と言うではないか。こちらとしてはいじめた記憶がないので「うん」と言って教室に向った。教室でみんなに聞けば事実無根であることが証明されるとふんでいたのである。教室にもどり担任が「いじめられたことのある人は手を上げて」と言ったその時、なんと8割くらいの生徒が手を上げたのを見て驚きのあまりに後ずさりしてしまった。担任は勝ち誇ったように「ね!?分かった?」と言い「これからは人をいじめないように」と言い渡されてしまった。

  自分にその意識がないのに8割もの友達が”いじめられた”と感じている事実に驚き、呆然としたのだが、だからといって心を入れ替えるようなタマではなかったので、それからも同じように接していた。そもそも自分がおこなった行為のどれが”いじめ”になるのかを自覚も理解もしていなかったので直せるはずがないのである。

  その後も「いじめられた」という報告が後を絶たなかったらしく、担任から親に連絡があった。もちろん親からもこっぴどく叱られたが、やはり自覚がなかったり理解していないものを直すことができない。「人をいじめるな」と言われても”いじめた自覚”がないのだから「はぁ?」という感じだし、どうすることが”いじめ”だから”それ”をやめなさいと具体的に言ってもらわないと分からないのである。

  あまりの苦情の多さに怒った担任が、教室にいるみんなに向って「普段いじめられている人は先生が許可するから、みんなでやっつけろ!」と号令をかけた。何十人も束になって自分に襲いかかって来たときはさすがに腰がひけたが、途中からムカムカしてきて次から次ぎに蹴っ飛ばしたり髪を引っ張ったりして応戦した。

  現在であれば、もしそこで自分が怪我でもしたら問題教師として新聞沙汰になるところだが、昔は先生に文句を言う親が極めて少なかったし、大人数を相手に必死に応戦したこともあり、引っかき傷くらいしかできなかったので大きな問題にはならなかった。そして、そんな事があっても友達と接する態度に変化は起こらなかった。

  ある日、下校時間に校門の前で友達の親が立っていたので「こんにちはー」と挨拶したのだが、鬼のような顔でこちらを見ている。不思議に思ったが、その時はすぐに忘れて遊びに興じていた。ところがその親は次の日も、また次の日も校門の前に立っている。あとで聞いた話によると、下校の際に”いじめられる”から親が迎えに来ていたと言うのである。

  確かにその子とはよく遊んだし、下校途中に遊んで帰ることもあった。しかし、遊んだ記憶はあっても”いじめた”記憶などまったくない。「だから自分にその気がなくても・・・」という例の説教を親から再び聞かされたが、それこそ泣かせた記憶もなく、みんなで元気に遊び、大笑いしていた仲間だったのである。

  あまりにも納得できなかったのでその友達に問いただしたところ、泥やホコリで服をドロドロに汚して帰ると親から叱られるので「いじめられた」とか「命令されてしかたなく遊んだ」などと言いわけしていたらしい。「そんな言いわけするから俺が先生や親に叱られるんだぁー!!」と耳から煙が出るくらい腹が立ったので、その時は本気でいじめてやった。

  中学生の頃も遊び仲間と思っていた奴が”いじめられている”と感じていたらしく、逆ギレしていきなり殴りかかってきたことがある。その時は殴られながら頭の中に「なぜ?」という文字がグルグル回っていた。ふと我に返り殴り返そうと思ったところ、そいつは風のように逃げていってしまった。まさにヒット・アンド・アウエイである。

  こちらの意識と相手の受け取り方に温度差や行き違いがあると”いじめ”と感じてしまうことがあるのは事実ようだ。金品を脅し取ったり、毎日殴る蹴るの制裁を加えたり、使い走りとして買い物をさせたりなどという陰湿な”いじめ”ではない限り、嫌だと感じることは正確に相手に伝えるべきだと思う。それでなければ無意識のうちに”いじめ側”になってしまう人も、実際にはそうでないのに”いじめられる側”になってしまう人にとっても不幸な事だと思う。

  ”いじめられる”のが嫌だから”いじめ側”に回ってしまうのは良くないことであるが、本当は違うのに”いじめられている”と陰湿になってしまうのも良くない。嫌なことは嫌とはっきりと意思表示することが大切なことであると思う。

  ・・・なぜならば”いじめ”ていたという認識が”おっさん”になった今でも持てないでいるからなのである。

2001 / 12 / 16 (日) ¦ 固定リンク


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