常識? 常識?
身のこなしが美しいと書いて躾(しつけ)とは良く考えられた文字だと思う。子供の頃は親に反抗ばかりして忠告などは無視していたが、基本的な部分は親や近所の年寄りに教えられたことは身についているようである。
「夜にツメを切ってはいけない」だの「夜に口笛を吹いてはいけない」だのという言い伝えのたぐいも同様で、科学が発達した今でもそれは守っている。初物を食べる時は西を向いて食べるようにしているし、北枕で寝ることもない。会社帰りの夜道で、いい歳のおっさんがピ〜ピ〜と口笛を吹きながら歩いていたりすると「気にならないのだろうか?」とか「言い伝えを知らないのだろうか?」などと考えてしまうのだ。知らないのであればしかたないが、そのように躾られたものからすると、とってもみっともなく見えてしまう。
”あいさつ”も基本的な礼儀だが、「おはよう」の言葉もなく出勤する人や何も言わずに帰ってしまう人もいる。「あいさつくらいできんのかー!」と思うが、同時に「ちゃんと躾られていないんだな〜」とも思ってしまう。
自分はあいさつをするし、逆にあいさつをしないとなんだか気持ち悪いのだが、困ったことに人の顔をあまり覚えないのと、以前の雑感にも書いたとおり、歩きながら考えごとをしていることが多いため、外ですれ違う知り合いへのあいさつがおろそかになってしまう。
近所の人たちが家の前にいたりするとあいさつできるのだが、ちょっとでも離れたところで会うと誰なのか良く分からないし、考えごとをしているものだから人の顔を見ていない。お互いに歩いている時であれば一瞬でも立ち止まり、挨拶することができる。それでもこちらからあいさつするよりも、先方からあいさつされることばかりで本当に失礼だとは思っているのだが、知りあいだと認識できないのである。あいさつし終わった後でも「誰なんだろう??」と考えていることが多いくらいである。
相手が自転車の場合、「こんにちは〜」と言われてハッとした時にはすでに 3mくらいは通り過ぎている。その後姿に「こんにちは」と応えることは応えるのだが先方に聞こえているとは思えない。近所では「ろくにあいさつもしない奴」と思われているのかもしれないが、そうではないことをここで弁解しておきたい。
最近、若い子はどこにでも座ってしまうが、これも行儀が良いと思えない。外であろうが階段であろうがおかまいなしに座っている。昔とは違い、土などなくなってしまったので座ってもそれ程汚れないのであろうが、「そんな所に座らなくても・・・」と思ってしまう。
電車の中でも入口近くに座っているのを見かけることがある。ドアが開くたびに立ち上がるくらいなら座らなければ良いと思うのだが、何人かでペタンと座って話をしている。親から「そんな所に座ってはいけません」と教えられなかったのだろうか。
若者だけが”みっともない”わけではない。人にとってはどうでも良い事なのだろうが、電車の中でマンガを読んでいる”おっさん”はどうにかならないものだろうかと思っている。
恰幅がよくて白髪もあり、会社ではそれなりの立場にあると思われるような人が少年マガジンだのジャンプだのを読んでいる。最初は「へぇ〜こんな人もマンガを読むんだ」と思ったりしていたが、気にしだすと多くのおっさんがマンガを読んでいる。読んでいけないことはないが、なんとなく”みっともない”感じがしてしまうのは自分だけだろうか。
部下に見られたら恥ずかしくないのだろうか?とか余計なことまで考えてしまうのである。せめて電車でマンガを読むときは社章を外すべきだとも思う。通勤の時いつも見かける”おっさん”は誰もが知っている超有名な会社の社章をエリにつけている。
あれはちょっとマズイのではないだろうか。そのおっさんは見たところ”部長さん”といった貫禄がある。そのような外見で少年向けの週刊誌を読んでいる姿はとても違和感がある。電車の中で取引先の人にでも会ってしまったらどうするつもりなのだろう。
自分がそのおっさんの上司だったら”みっともない”から電車の中でマンガなんぞ読むんじゃない!と説教のひとつもしたくなるに違いない。
自分の感覚が世の常識だと思わないが、最近はなんとなく「変なの」と思えることが多い。それとも時代がそうなっていて、それが常識なのについて行けていないのだろうか・・・。などと少し不安になったりしているのである。
2001 / 10 / 28 (日) ¦ 固定リンク