生き物たち 生き物たち
先日、大型スーパーに買い物に行った。外は異常な暑さだったので少しでも涼をとろうと、当てもなく店内をブラブラしていたところ、カブト虫やゼニガメなどが売られていた。クワガタやカブト虫は子供の頃から好きだったので、ひきつけられるようにフラフラと売場に向った。
カブト虫を見てみると、かなり小さい。カブト虫は無理だったが、子供の頃は毎日のようにクワガタを捕まえに行き、あたりが暗くなるまで夢中になっていた。一夏でかなりの数のクワガタを捕まえたが、それは大きなものばかりだった。
子供心に「小さいのを捕まえるのはかわいそうだ」と思い、自分の中にある基準より小さいものは逃がしていたのである。誰に教えられたわけでも、しつけられたわけでもないのだが、友達も同じようにしていた。
ところが売られているカブト虫は小さいなものばかりである。たしかに、大きなものは”高額商品”であり、スーパーでの販売は不向きなのかもしれない。ペットショップなどでは数千円で販売されているし、中には数万円、バブル期には数百万円などという、とんでもない価格のカブト虫も売られていた。
しかし、低価格販売を前提とするからといって、あんなに小さなカブト虫まで捕獲して良いものだろうか?と思っていたのだが、よくよく考えると「小さい」のはカブト虫の子供というわけではない。カブト虫の子供はイモムシのようなウネウネした幼虫なのである。
自分が子供の頃は、小さい=子供、大きい=大人と思っていたので、小さな(子供の)クワガタは捕まえてはかわいそうだと判断し、自主的に逃がしていたわけである。
それにしても、商売だからといって大きなものから小さなものまで乱獲を続けていると、カブト虫が日本から絶滅してしまうのではないかと心配になってしまう。最近ではそれらの虫を養殖(繁殖)させて販売する業者もいるようなので、余計な心配なのかもしれないが・・・。
同じく売られていたゼニガメはもっとかわいそうだった。ケースを手に取り、ホレホレと指でケースをトントンすると、エサをもらえるのかと勘違いして口を”あ〜”と開いたり、指をエサと思ったのか、かじりつこうとパクパク口を動かしている。
最初はその動作を見て喜んでいたのだが、だんだん辛く、悲しくなってきてしまった。売り物として店頭に並べられている間、エサを与えてもらっているのだろうか?ペットショップに売られている犬や猫は、当然エサを与えられている。同じ売場のカブト虫もゼリーのようなエサが与えられていた。ところがゼニガメのケースにはエサがないのである。
いつ仕入れられて、何日間が経過しているのかは解らないが、人間の指に食いつこうとするくらいなので、相当お腹が減っていたものと思われる。そう考えると、どんどん悲しくなってきてしまい、逃げるように売場を後にした。
それから数日後、目にしたチラシではカブト虫が”特売品”となっており価格もダンピングされていた。なんて可愛そうなヤツなのであろうか。売れ残った場合の運命は?などと考えると、やりきれない気分になってしまう。
同じく可愛そうな運命を背負った生き物といえば「セミ」である。成虫として一週間程度しか生きることができない。「あわれなヤツ」とも思うのだが、ここのところは「うるさ〜い!」という感情が勝ってしまう。
大阪のセミはなぜ”うるさい”のであろう。文書やマンガでは「ミーーン、ミン、ミン」と鳴き声を表現することが多いが、大阪のセミは「ジャカジャカ、ジャカジャカ」鳴いている。風情も何もあったものではない。
緑が少ないせいか、一本の木に大量のセミがいて、一斉に「ジャカジャカ」するものだから、やかましくてたまらない。少ない領土(木)で子孫繁栄のため必死になってパートナーを引きつけなければならないためか、鳴き声に悲壮感が漂っている。
ただでさえ猛暑で暑くてたまらないのにセミの声を聞くと、鬱陶しいことこのうえない。夏こそスズムシやコオロギなど涼しげな声を聞きたいものである。秋とか初冬にかけてセミが「ジャカジャカ」鳴いてくれたら、少しは気分も違うと思うのだが・・・。
人間にとっても、昆虫や動物達にとっても”うまくいかない”のが世の中なのかもしれない。などと考えながら暑さに耐えている毎日である。
2001 / 07 / 29 (日) ¦ 固定リンク