土地柄人柄

この雑感を書き始めた頃、それは大阪での生活、その土地の人柄にもまだ完全には馴染めず、その圧倒的パワー、とくに女性、それも中年以上のオバちゃんには少なからず恐怖すら感じることが多かった。

関西のオバちゃんは無敵であり、誰もかなわないであろう、もしオバちゃんが戦場におもむいていたならば、第二次世界大戦も勝利していたに違いなく、今現在もしこりを残す沖縄米軍基地問題も存在しなかったに違いないとすら思っていたものだ。

それから数年が経過して土地の生活にも慣れると、マシンガントークを繰り広げ、せかせかと動き回っている関西のオバちゃんでさえ鈍臭く思えるようになってきた。

反射神経も鈍くなり、要領も悪くなって電車の券売機やレジの前でモタモタしているのが気になったりイライラしたりしたものである。

北海道に帰ってくると、人々は実にゆったりとしており、歩くスピードや会話のスピードは大阪の半分といった感じで、最初はあまりの違いに戸惑ったり調子が狂ったりしていた。

北の大地に再び根を下ろし、もう少しで丸 7年になる。

北海道の生活スピードにも慣れ、最初はおおらかな土地柄、人柄を楽しく、そして微笑ましく見ていた目にも少しずつ変化が生じ、どこに住もうと腹の立つオッサンやオバハンはいるものだと思うようになってきた。

最初はゆったりとした動きも楽しんで見られたが、今となっては目の前でノロノロされるとイラッとしてしまう。

スーパーで買物をし、行列しているレジでやっと自分の番になる直前に、前のオバちゃんは合計金額を知らされてからやおらバッグの中の財布を探し、ノロノロと取り出してから小銭を数え、しまいには小銭が足りずに札を出すという典型的なイライラシーンの主演を務めてくれたりする。

自分の場合、後ろの人をイラつかせるのもレジの人を待たせるのも嫌なので、店員さんが品物をレジに通している間に小銭を数え、何十何円までなら対応できるか確認しておく。

ところが、そういうオバちゃんに限って品物一つ一つのバーコードが読み込まれるのをじっと見ていたりする。

そして、モタクタと精算した後に受け取ったレシートをその場に立ったままじっと見たりするのもだから後ろがつかえて仕方がない。

一体、オバちゃんたちは何を確認したいのだろう。

レジを通すのをあれだけじっと見ていたのだからレシートまでじっと見て確認する必要などないのではないか。

レジ係も人によってスピードが大きく異り、平均すると若い人は速く、年齢を重ねるごとに遅くなっていくように思う。

最近になって気づいたのだが、若い人はデジタル生活をして様々なものを使いこなしているので機械を全面的に信用しているらしく、商品のバーコードを POSレジが 「ピッ!」 と読み取る音を頼りに次から次へと品物を通すが、年配の人は基本的に機械を信用しておらず、「ピッ!」 と音がしたあとにディスプレイを見て本当に今の商品の情報を読み取ったのか一つ一つ確認する。

それがたとえ 1秒だったとしても、30品買えば 30秒、10人の列ができていれば計300秒、つまり 5分もの差を生むことになるので、待っている身としてはイライラがつのるばかりだ。

つい先日のこと、スーパーで買物をしていると目の前を歩いていた老夫婦が、トングを使って自分で袋詰めする菓子パンの一山を崩してしまった。

決してわざとやったことではないので、店員さんを呼んで謝れば済むことなのに、その爺さんはあろうことか床に転がったパンを、それも手づかみで拾って積み上げ、何言もなかったように立ち去って行くではないか。

驚いた周りのお客さんが店員さんを探して事情を話したので事なきを得たが、もし誰も見ていなかったら床に落ち、爺さんが手づかみしたパンを誰かが購入することになってしまっただろう。

そしてひと通りの買い物を終えてレジに並んでいると、一人の婆さんが列を横切り、何くわぬ顔で横入りしていた。

自分の目の前に割り込んだなら文句の一つも言ってやるところだが、隣のさらに隣の列でのことであることだし、並んでいる人は誰も文句を言っていないし、さらには多くの人がいる中で大声で注意するのも気が引けるので黙って見過ごしてしまったが、どこの街でも爺さん婆さんの傍若無人ぶりが目に余るというものだ。

ただし、北海道と大阪には決定的な違いがある。

先日、地物野菜の直売所に行くと店内はとても混雑していた。

ところが・・・ところがである、店の中は実に静かだ。

大阪であれば主婦どうし、家族どうしの会話で鼓膜に大きく、それも決定的なダメージを受けて何年かすると難聴になる危険性が高まるほどうるさいに違いない。

どんな土地柄、人柄でもその行動に大差はないものの、声の大きさと話すスピードだけは大阪のオバちゃんにかなうものはないものと思われる。