停電の日には

ちょっとだけ心配していた台風 4号は北海道に上陸することなくオホーツク海の彼方に抜けて行き、温帯低気圧に変わってそのエネルギーを失った。

そろそろ台風シーズンなので、これから秋まで 20個程度の台風が現れては日本やその付近を北上するのだろう。

今と昔にどのような技術的な差があるのか分からないが、最近は台風の影響などによる停電というものがめっきり減ったように思う。

大阪に暮らしていた頃は年に何度も台風が近づき、そのたびに強風や豪雨にさらされたし、夕立の回数も多かったので何度も大嫌いなカミナリが発生していた。

それでも大阪で過ごした 13年あまりの間で停電を経験したのは 2-3回ではないだろうか。

電力各社の努力と技術の発展などがあり、倒れにくい電柱、切れにくい電線が広く使われるようになったのかもしれない。

北海道の場合は雪の重みで電線が切れることも頻発していたが、今となってはそのような話しを聞くこともなくなった。

昔は大雪が降っては停電になり、強風で停電になり、事故で停電と、わりと回数が多く、どこの家でも懐中電灯の場所、ロウソクの置き場所は大人から子どもまで把握できていたように思う。

そして、子どもの頃はロウソクで過ごす時間が妙にワクワクしたものだ。

しかし、テレビを観ることもできないので退屈で仕方がない。

親もヒマを持て余しているであろうから、トランプなどをして遊んだりしたかったのだが、ロウソクの明かり程度だと親は 「見え難い」 などと言って遊んでくれない。

子供の目は暗い中でも良く見えるので支障はないが、加齢と共に性能が衰えつつある眼球では辛いものがあるということを最近になって実感できているところではあるものの、当時は理解できるはずもないことなので遊んでもらえないことがひどく不満だった。

きょうだいでもいれば暗い中でもそれなりに楽しみを見つけて遊んだりできるのだろうが、幼くして妹を亡くし、一人っ子同然に育った自分は、ただただロウソクの炎の f分の1ゆらぎをジッと見つめているしかなかった。

そして、普段は何も聞かないくせにヒマなものだから学校のこととか勉強のことを急に親が話しだしたりするので面倒になり、最初はワクワクしていた停電も嫌になって早く復旧しないかイライラしたものである。

時は流れて社会人になってからは停電の回数も激減したが、何年に何度かは仕事中にバチンッ!と社内の電気が消えることがあった。

自分の住む世界はコンピュータ業界、この業界は電気がなかったら終わりであり、どんなに優れた技術者であろうと手も足も出ない。

作業内容はこまめに保存しておかなければいけないということを改めて実感させられる瞬間でもあり、社内が暗くなったとたんに、あちらこちらから叫びとも悲鳴ともつかない微妙な声がもれる。

ここ数時間分の作業内容が一瞬にして飛んでしまった瞬間だ。

しばしの沈黙のあと、深い溜息とともに私語が始まる。

普段はキーボードの音しか聞こえない社内に声があふれ、むしろ人間として正常になったとさえ言える光景が広がる。

電気がなければ本当に何もできないのがこの業界の弱点で、パソコンを使えない開発者はもちろん、今は手描きの書類など皆無に等しいので営業職、事務職、総務から経理まで一切の業務が止まってしまう。

停電が長引くと 「どうせ仕事にならないんだからゲームでもするか」 などと言い出す間抜けな奴がおり、パソコンの電源に指を置いたところで電気のないことに気づき、周りの皆んなから大笑いされたりしていた。

その当時、今は幻となってしまった MSXという規格のパソコンのような玩具のような機器があり、それは乾電池数本で駆動させることができた。

ゲームもできるその機器で遊ぼうとするのだが、画面は普通のテレビを AV端子入力で使う設計になっているため、電気がなくては映像を映し出すすべがない。

それでもスピーカーだけは備えていたので、プログラムさえすれば音は出せる。

名機 MSXを開発者が囲んで精神を統一し、画面を見ることもできないまま頭の中に映像を思い浮かべ、プログラミングしながら音楽を奏でて喜んだり喝采を浴びたりしていたものだ。

今は携帯ゲーム機でも携帯電話でもあるので退屈はしないだろうが、昔、停電の日には、親子、同僚、人と人のコミニュケーションを深めることができる時間でもあったのである。