嗚呼日本人 13

嗚呼日本人 ~目次~

世界から日本を訪れる観光客が大幅に増加し、昨年(2016)は約 2,500万人、今年は現時点ですでに 2,000万人を突破しており、年間を通じては 2,800万人を超えると予想されている。

この 10年で観光客が 3倍以上となっている背景には、観光立国を『国家百年の計』として重要な国家戦略の一つに位置づけ、政府が観光立国推進基本法を成立させてまで観光客誘致に力を入れてきたこともあるだろうが、アニメ、マンガ、ゲーム、音楽、ファッションなどの日本カルチャーが世界中で受け入れられるようになったことと、世界中で和食ブームとなっているという神風が吹いたのも大きいだろう。

今となっては日本に憧れ、日本文化を愛し、一度は日本に行ってみたい、なんなら日本に住んでみたいという外国人が急増している。

それは日本の文化が世界的に見ても独特であり、また、その価値観が認められたということだ。

しかし、これまた日本人独特の感性ではあるが、にわかにはそれを信じず、なかなか受け入れられない多くの人がいる。

日本の街、観光地はゴミもなくて綺麗だと褒められても、完璧主義の日本人はタバコの吸殻 1本、空き缶がひとつでもあれば、それを理由に決して綺麗ではないと否定してしまう。

しかし、他の国の観光地や町中と比べればゴミは 1/10、いや、1/100しかないのではないだろうか。

夜の繁華街を女性が独り歩きしても犯罪に巻き込まれることがないほど安全だと褒められれば、いやいや最近は治安が悪いなどと言ってしまう。

飛行機も他国から比べれば定刻に発着するし、電車などの乗り物は時間に正確だと褒められても、雪や風ですぐ止まるなどと言って肯定しない。

寿司が美味しいと褒められても、単に海が近くて魚が新鮮だからと答えたりする。

それは、取りも直さず日本人の育ち方や文化が特殊だからではないだろうか。

陶芸で少しでも色ムラがあったり歪みがあれば、地面に叩きつけて作品を壊してしまう日本人、ちょっとのキズや曲がりがあれば野菜や果物を規格外品としてしまう日本人、ちょっとでも気に入らない部分があればクソゲーとランク付けしてしまう日本人、とにかくラフな部分が少なく完璧を求めてしまう。

そして、日本人は謙虚であり、自画自賛しないで抑制的なのである。

たとえ個人が褒められても「周りにはもっとすごい人がいるので自分なんかはまだまだです。」と言うのが日本人だ。

いかに自分が優れているか、そうなるためにどれだけの努力をしてきたかを堂々と話す個人主義な国とは違い、徒弟制度だった時代が長く、職人気質で完璧主義な日本人は死ぬまで勉強、人生が終わるまで修行中という意識が強い人が多い。

時代は変わって国民性、個人の考えも変わりつつあるが、謙虚な人はまだまだ多くいるし、謙譲の美徳(謙遜し、へりくだることこそ褒めるべき心のあり方)を地で行く人こそが本物であると見られる傾向も根強く残っている。

バリバリ昭和生まれの自分も、どちらかと言えばそういう人が好きだし、自分もそうありたいと思っている一人だ。

これからオリンピック・イヤーである 2020年まで外国人観光客は増え続けることだろう。

富士山周辺や京都、奈良など、いかにも日本的な地域だけではなく、これから日本国内のアチコチに外国人が足を踏み入れると思われる。

「こんな田舎に来て何が楽しいんだろう」
「こんな所に来たって見るものなんかないのに」
「ここに来ても名物の食べ物もないし」
などなど、自信を持てない地方の町が圧倒的だが、映画のロケ地、マンガやアニメの舞台などになって一気に観光客が押し寄せる可能性だって否定できない。

何もなく、名物などなくてもその土地の素朴な料理を食べ、ゆっくりと過ごしたいという需要も決して少なくはないのだから、無理をせずに来る者を拒まなければ良いのである。

そして、日本人は世界がカルチャーや文化を認め、憧れまで抱いている人もいるということに、もう少しだけ自信を持って良いのではないだろうか。