悲喜こもごも

水曜日は半年に一度の病院通いをしてきた。

お買い物日記』 担当者 の大病から五年以上が経過し、それまで四カ月に一度だったものが半年に一度という長いスパンに変わったのは去年のことだ。

いつもなら一人で通院するが、今回は自分の母親の骨折のこともあったので一緒に行動している訳である。

『お買い物日記』 担当者が診察室に入っている間、多くの人が座っている待合室にいると、割と体格の良い年配の男性が隣の席に腰をおろした。

少しすると若い女性の看護師さんがやって来て男性のとなりに座ったかと思うと
「どうしました?今日はとても血糖値が高いようですけど」
と心配そうに声をかける。

男性も
「どうしてかなぁ」
と不思議そうだ。

「昨日の夜は何か特別なものを食べました?」
と看護師さん、
「いや、特別なものは・・・」
と男性、
「お一人で外食も多いでしょうけど」
と、たたみかける看護師さん、
「でも昨日は家で食べたから・・・」
と答える男性に対して
「甘いものか脂っこいものでも食べました?」
と追求の手を緩めない看護師さん。

「いや、そんなことは・・・」
と動揺しつつ、男性がポケットに手を入れたかと思うとゴソゴソとアメを取り出して口にいれようとした。

看護師さんが慌てて
「それはダメですよっ!」
とたしなめると男性は
「えっ・・・」
と言ったまま固まっている。

「糖尿なんだからダメに決まってるじゃないですか」
と厳しい口調の看護師さんに男性は
「これが?」
と真顔でアメを指差し、
「それがっ!!」
と看護師さんの怒りをかったりしていた。

どれくらいアメをなめているのかという問いに一日5-6個と男性が答えると、アメにはどれだけの糖分が含まれ、それが糖尿病にどれだけの悪影響を及ぼすか、患者はどのようにして病気に向き合うべきかと看護師さんはこんこんと説明し始める。

しばし大人しく聞いていた男性だったが、話が途切れると
「実は禁煙しててさ」
と言った。

「あらっ!あんなに止められなかったのに凄いじゃないですか!」
と言う看護師さんの言葉に気を良くした男性は、過去にどれだけの失敗を繰り返してきたか、現状がどれだけ苦しいかを切々と訴え、
「口寂しいからアメなめちゃうんだよね」
と看護師さんに水を向けてみたりしてみたが、
「ダメですっ!」
と、キッパリ言い渡されてションボリしていた。

それからも何だかんだと愚痴を言い、
「先生に痩せろって言われてるけど100グラムも減らなくて」
と言うと間髪いれずに
「当たり前ですっ」
と突っ込まれていた。

「禁煙すると太るっていうから・・・」
などと言いかけた男性の言葉は
「アメもですよっ」
という看護師さんの声でかき消される結果となり、
「それじゃあガムでも・・・」
と、妥協案を出したつもりでも
「同じことですっ」
と玉砕されたりして残念そうな顔をする男性だ。

看護師さんに責められてストレスを感じたのか、
「タバコが吸いたくなってきた」
と言い出し、
「せっかく止めたのに」
と、更なる追い打ちを喰らっていた。

その後も丁々発止のやり合いを繰り返し、勝ち目がないと悟った男性は、手に持った2-3個のアメを繁々とながめ、
「そうか~、これかぁ~」
とため息をつく。

看護師さんは少し不憫に思ったのか、
「どうしても口寂しかったら糖分もカロリーもゼロのアメやガムがありますからね」
と慰めるよう言ってその場を去った。

残された男性はまた一つため息をつき、静かに病院をあとにしたのであった。

人生、悲喜こもごも。

色々なことがあるものである。

オリジナリティ

中国や韓国の経済発展、技術革新は著しいが、相変わらずのコピー天国、偽造品、模造品天国であるのと同時に他国の製品、他社の製品を安易に真似たものが横行しており、世界各国から非難を浴びている。

日本製品や日本生まれのキャラクター、商品名までパクリ放題でオリジナリティのカケラもない状況ではあるが、戦後復興で無から有を作り上げてきた日本も、当初はアメリカを始めとする先進国の製品や技術を真似て安い人件費と1ドル=360円という固定相場によって低価格製品を大量に輸出していたのだから中国や韓国を責めてばかりもいられない。

しかし、特に中国はすでに日本を追い抜いて世界第二位の経済大国になったのだから、人の真似をしたり、人の商品名を勝手に商標登録するような行為は国家レベルで抑制すべきだろう。

音楽や芸術、デザインも中国や韓国には独特なものがあるのだから、それを活かした作品作りに邁進すべきではないのか。

確かに戦後から劇的な経済成長を遂げた日本も人マネ、猿マネと非難され続けた歴史はあるが、原点を忘れなかったという強みも残っており、その強みを活かして再び世界に挑戦しようという動きも活発になってきた。

そもそも日本人には独創性があると思う。

機械を擬人化したロボットなどはアニメだけにとどまらず、二足歩行、人とのコミュニケーション能力などに磨きをかけて世界トップレベルにあるが、それというのも鉄腕アトムから脈々と受け継がれる人型ロボットが登場するマンガやアニメの歴史なしには語れないに違いない。

擬人化と言えば動物や虫を擬人化したマンガやアニメも日本が初だと思われ、動物が主役の 『ジャングル大帝』 などは明らかにディズニー・アニメの 『ライオン・キング』 に多大な影響を与えているだろうし、『昆虫物語 みなしごハッチ』 は 『バグズ・ライフ』 の原点だろう。

ディズニー・アニメの車を擬人化した 『カーズ』、魚を擬人化した 『ファインディング・ニモ』 もすべて日本アニメの影響から派生したのだろうから、逆にアメリカが日本の真似をしたということだ。

アメリカ映画の 『ロボコップ』 の作者も日本のマンガ、そして特撮テレビ番組にもなった 『ロボット刑事』 が原点であることを認めている。

日本のアイドルが男女を問わず個人からグループ、ユニットへと移行したのはジャニーズ系、モーニング娘。や AKB48グループの影響が絶大なのだろうが、日本でも一時期は人気の高かった K-POPもその大半がグループなのは日本のアイドルの影響なのは間違いないだろう。

インドまたはイギリスから伝わったカレー、中国から伝わったラーメンを海外からは日本食だと認識されるまでに至るほど独自に進化させ、磨きをかけるのも日本だが、その盛り付け、飾り付けがフランス料理に影響を与えるほど独創的で美しい日本食も伝統的に守られているし、その日本食そのものが海外で大ブームになっている。

魚をすり身にして再び練り固めるカマボコやチクワなど世界に類を見ない独特の食べ物であるし、それを応用したカニカマなどはヨーロッパで引っ張りだこの人気食材にまで成長した。

バブル景気の崩壊から、すっかり自信を失ってしまった日本だが、アメリカの真似をしていた昔と違って誇れる独創的な技術や文化、製品があるので中国や韓国に負けない製品を生み出すことは可能だと思われる。

今は海外のサービスを真似ることが多いネットビジネスも、日本人の視点で新たな技術、サービスが生まれる日も近いのではないだろうか。

先に書いた動物などの擬人化もそうだが、特定のものに音楽を用いるのも日本独特の文化なのではないかと思う。

今でこそ世界中で作られるテレビ CMには音楽が流れるが、1980年代くらいまでアメリカのテレビ CMには音楽がなく、機関銃のようにしゃべりまくって製品の特徴を伝えるものばかりだった。

日本には昔から CMソングというものがあり、その製品のイメージを伝えていたし、CMで使われたことによって大ヒットとなった曲もある。

そして、子供に聞かせる物語にまでテーマソングがあるのは日本くらいなものだった。

日本のむかし話、おとぎ話には歌がある。

『桃太郎』、『金太郎』、『浦島太郎』 にはそれぞれテーマソングがあるが、海外のグリム童話などにテーマソングは存在しなかった。

金太郎は 1900年の 『幼年唱歌』 に掲載され、桃太郎、浦島太郎は 1911年の 『尋常小学唱歌』 に掲載されたが、それぞれ実際に作られたのは掲載年より前だろう。

そう考えると 1900年より前から物語が語り継がれ、テーマソングが歌い継がれたことになる。

海外では 1928年に世界最初のトーキーアニメ、ディズニーを代表するキャラクター、ミッキーマウスが登場する 『蒸気船ウィリー』 で流された音楽が初のテーマソングということになるかもしれないが、ミッキーマウスのための、ミッキーマウスのテーマではない。

そうなれば 1937年に公開されたディズニーの長編映画第一作目であり、世界初のカラー長編アニメーション映画である 『白雪姫』 で使われた曲が、初めてグリム童話の中のひとつの物語のために作られたテーマソングということになる。

実に日本から 37年遅れのことだ。

そもそも日本には世界に類を見ないテーマソングが多数存在する。

学校ごとに存在する校歌は世界を探しても中国と韓国、そして日本にしかないし、会社の社歌がある海外企業は数社のみだ。

日本にはその他にも相撲界で享保から伝わる 『相撲甚句』、明治から伝わる 『鉄道唱歌』、江戸時代から伝わる火消し鳶職の 『木遣り唄』、そして民謡には炭鉱夫、漁師、農家など様々な職業の曲がある。

お茶の産地には茶摘み歌、子供のためには童謡、遊びのためだけの歌など、日本は音楽が溢れている国だ。

そう考えると日本人は根本的に歌が好きなのかもしれない。

独自性がないと言われ続け、経済の落ち込みから技術やものづくりに対する自信すら失ってしまった日本ではあるが、独自の文化を持ち、独自の感性を持った国民なのだからオリジナリティ溢れる独特の製品、サービスを生み出すことが必ずできることだろう。

真性雑感 第十四版

真性雑感 ~目次~

■ 男と女

男とか女などは乱暴な呼び方なのだろうか。

ニュースでも被害にあった人は男性、女性と言い、容疑者は男、女と言うケースが圧倒的だ。

「昨夜 10時ごろ、道路を横断中の男性が車にはねられ・・・」
「逃走したのは 30代の男で・・・」

「女性の絞殺死体が発見され・・・」
「警察は知り合いの女に任意同行をもとめ・・・」

などなど、あたかも男性や女性が、男や女の丁寧語であるかのようだ。

テレビでの会話や一般の会話でも
「男(女)って・・・」
ではなく、
「男の人(女の人)って・・・」、「男性(女性)って・・・」、「男子(女子)って・・・」
などと言うのが普通となっている。

同性のことを話す時に自嘲気味、自虐気味に
「男なんて」
とか
「男ってやつは」
などと言うことはあっても、異性のことを話す時に
「女って・・・」
と始めると、あとに続くのは悪口であるかのような錯覚を覚える。

本来、男とか女などというのは単に性別を表すものであって、男性を男と呼ぶのは田中さんを田中と呼び捨てにしているのとは違うはずだ。

それなのに、乱暴な呼び方に聞こえてしまうのは少しずつ言葉の使われ方が変化し、それに慣れてしまっているからなのだろうか。

■ 竜巻とみられる

昨日も神奈川県厚木市で空高く渦巻く姿を動画撮影されたものを
「竜巻とみられる突風」
とニュースで伝えていたが、屋根などを吹き飛ばすほどの勢いがある空気が渦を巻いた自然現象を竜巻でなければ何だというのか。

テレビ局側としては気象庁が竜巻と断定していない以上は、まだ竜巻と断言できないのだから竜巻とみられると表現しているのだと言うだろう。

しかし、1994年のオウム真理教による犯行だった松本サリン事件で、実際には被害者の一人にすぎない河野義行氏を犯人と決めつけるような新聞の予測記事を堂々と伝えたのもテレビのニュース番組だ。

出来事・事件・事故などを取材し、事実のみを伝えるのが報道であるはずなのに、実際には事実をありのまま伝えるのではなく、報道各社の主観を組み入れたり、自己または組織の政治的なイデオロギーを優先的に反映させたりする、とても公平とは言いがたい意図的な編集が行われているではないか。

とても報道とは呼べないような芸能人のゴシップ記事を本人への確認どころか、事実関係の確認すらしないままに垂れ流しているのも同じ報道という名の下で活動している集団である。

そこまで好き勝手にやるくせに、誰がどう見ても竜巻にしか見えないものを
「竜巻とみられる突風」
と弱腰にしか伝えられない神経が理解できない。

■ ・・・と言う。

特にテレ朝系の番組に顕著なのだが、ニュース番組のナレーションが
「・・・という。」
で終わることが異様に多い。

例えば
「・・・被害額は数千万円に達するという。」
「・・・容疑者は北の方向に走って逃げたという。」
などなどだが、最後を
「・・・という。」
で結ぶと、
「・・・だったらしい。」
「・・・のようだ。」
などのように、その内容に責任を持っていないのと同じではないのか。

きちんと取材をした結果を伝えるのであれば、
「・・・被害額は数千万円に達するという。」
ではなく
「・・・被害額は数千万円に達する。」
だろうし、
「・・・容疑者は北の方向に走って逃げた。」
だろう。

「・・・という」
には、
「犯人らしき男が北に向かって走っていったらしいよ」
「目撃者がそう言っているだけで実際には分かんないけどさ」
「別の人に聞いたら違うこというかもしれないし」
というような責任回避をしたい意志が混じっているように聞こえてしまう。

■ テロップで使われる漢字

ニュース番組で使われる漢字が減ってきた。

今日は『きょう』、明後日は『あさって』など平仮名表記が多い。

それらは限りなく当て字に近く、正確な漢字の読みではないからだろう。

今日の場合、今(きょ)日(う)でも今(き)日(よう)でもなく、本来であれば読めるはずのない漢字が当てられている。

だとすれば数年前から二十歳を『はたち』と読むことをやめ、ニュースでも
「にじっさい」
と言うようになったのだから今日も
「こんにち」
と言うようにすればよさそうなものだが、逆に漢字を捨てて平仮名にした。

今夜(こんや)は今(こん)夜(や)で正当な読みだが、今朝(けさ)は今(け)朝(さ)と、真っ当な読み方ではないので平仮名が使われる。

それはそれで良いのかもしれないが、日本的な情緒というか風情が損なわれていくような気がしてならない。

そして、それに反比例するように誰にも読めない当て字を使って我が子を名付ける親が増えている現状を憂いたりするのは、ますますオッサン化が進んでしまった証拠なのだろうか。

趣味嗜好

年齢とともに趣味や嗜好は変わる。

この雑感や管理人の独り言に幾度となく書いていることではあるが、自分でも一番驚く変化は食べ物の好みだ。

子供の頃から好き嫌いがなく、世の子供が泣きながら食べさせられるピーマンやニンジン、ネギだろうと何だろうと平気だったが、それでも山菜類や香りの強い野菜などは嫌いではないまでも決して喜んでは食べなかった。

ところが今はそういう物が食べたい。

昨日の買い物でも売られていたタラの芽の天ぷらに心奪われ、ついつい購入して春の訪れを待ちわびながら美味しくいただいた。

タラの芽だとかフキノトウ、菜の花や春菊など、この時期に旬を迎えるものは香りが強く多少の苦味を伴うものが多いので、あまり子供たちには人気がないだろうが、この歳になるとたまらなく美味しい。

タラの芽やフキノトウ、菜の花などは流通網が発達していなかった昔は簡単に手に入るものではなかったので、それほど食卓に上ることはなかったが、鍋料理に春菊はどっさりと入っていた。

親は美味しと言って食べるが、子供にとっては美味しくも何ともなく、弁当や寿司折りに飾りや仕切りとして入っている緑色のバランと同程度の単なる彩りくらいだと思っていたものだ。

ところが今となっては春菊が食べたくて鍋料理をすると言っても過言ではないほどであり、他の具材はその時々で肉であったり魚であったりするものの、この時期の鍋に春菊は欠かせない。

食べてもさほど味のしないコンニャク類も好んで食べなかったが、今はブリブリと歯ごたえのある白滝などはとても美味しいし、おでんにコンニャクが入らないことなど考えられないことだ。

磯の香りが強いイカの塩辛や北海道特有の海の幸の保存食なども子供の頃は好んで食べなかったが、今は大好物となっているし、酢の物なども好んで食べる。

以前にも書いたが子どもの頃に酸味、苦味を拒絶するのは毒性のあるものを食べてしまわないように備わった人間の本能なので、単なる好き嫌いとは次元が違う。

そして、匂いのきついものや発酵食品を嫌うのも腐ったものを食べてしまわないように本能的に避けているので子供が嫌うのは自然なことだ。

それらのものを食べられるようにするのが親の教育であったりしつけである訳だが、そんなにうるさく言わなくても年齢を重ねれば自然に食べられるようになるのだから不思議ものである。

これも何度も書いていることだが、テレビ番組の好みも大きく変わった。

最近のテレビがあまりにもつまらないというのもあるが、芸能人が集合してガチャガチャと騒いでいるような番組には一切の興味を失い、何かのテーマに真摯に取り組むような番組を好んで見ている。

そして、最近は聞き取る能力が衰えてきたのか、あまりにも早口でまくし立てられると何を言っているのか分からない。

子供の頃、紳助竜介の漫才を見た親が
「すごい早口だから何を言っているのか分からない」
と言うのを聞いて、そんなことがあるのだろうかと思っていたが、2013年末の 『THE MANZAI』 で優勝したウーマンラッシュアワーの漫才を見た時に何をしゃべっているのかまったくと言っていいほど聞き取れない自分がそこにいた。

その漫才で会場の人は笑っていたので若い子は十分に聞き取れているのだろう。

そういうこともあってか、落ち着いて見られる番組ばかり選ぶようになった結果、我家の場合は選ぶチャンネルの 90%以上がテレビ東京系ということになっている。

しかし、民放キー局が売上高、純利益とも前年実績を大きく下回る中、唯一伸びを見せたのがテレビ東京であったことからも、他局は番組制作能力が低下しているがテレビ東京だけは視聴者が満足する番組を作り、スポンサーからも評価されていることになるのだろう。

したがって、我が家だけがテレ東を好んでみている訳ではないだろうから好みが変わったというより他局がだらしないだけかもしれない。

いろいろと趣味嗜好が変わる中、音楽の好みは変わらない。

邦楽は聴く価値もないと感じるようになったことや、洋楽であっても最近の曲は面白みに欠け、聴いていてつまらないと独り言にも書いたが、Jangoというアプリで洋楽を聞くようになってから益々その思いを強くした。

十代の頃に聞いていたハードロックなどを選んで再生すると、やはり当時の曲は素晴らしい。

当時、親からは
「そんなガチャガチャした曲なんか聴いて」
と小言を言われ、
「うるさいだけで何が良いのか分からない」
と虐げられていたが、今聴いても良いと思うのだから好みが変わっていないのだろう。

そこで思うのは、今の自分は当時の親と同じ感覚で、今の若者は当時の自分と同じ感覚なのだろうかという素朴な疑問だ。

つまり、自分は今の曲をうるさいと思うしつまらないと思っている。

しかし、今の若者はうるさく思わず、良い曲だと感じているのか。

これから 20年後、30、40年後に今の曲を聴いたなら、30、40、50歳になっている今の若者は懐かしさを覚え、やはりあの頃の曲は良いと感想をもらすのだろうか。

とてもそうは思えない自分は時代に置いて行かれたのだろうか。

脳や思考の柔軟性を失い、新しいものを受け入れられなくなってしまったのだろうか。

単なる爺さんになってしまったのだろうか・・・。