■ 男と女
男とか女などは乱暴な呼び方なのだろうか。
ニュースでも被害にあった人は男性、女性と言い、容疑者は男、女と言うケースが圧倒的だ。
「昨夜 10時ごろ、道路を横断中の男性が車にはねられ・・・」
「逃走したのは 30代の男で・・・」
「女性の絞殺死体が発見され・・・」
「警察は知り合いの女に任意同行をもとめ・・・」
などなど、あたかも男性や女性が、男や女の丁寧語であるかのようだ。
テレビでの会話や一般の会話でも
「男(女)って・・・」
ではなく、
「男の人(女の人)って・・・」、「男性(女性)って・・・」、「男子(女子)って・・・」
などと言うのが普通となっている。
同性のことを話す時に自嘲気味、自虐気味に
「男なんて」
とか
「男ってやつは」
などと言うことはあっても、異性のことを話す時に
「女って・・・」
と始めると、あとに続くのは悪口であるかのような錯覚を覚える。
本来、男とか女などというのは単に性別を表すものであって、男性を男と呼ぶのは田中さんを田中と呼び捨てにしているのとは違うはずだ。
それなのに、乱暴な呼び方に聞こえてしまうのは少しずつ言葉の使われ方が変化し、それに慣れてしまっているからなのだろうか。
■ 竜巻とみられる
昨日も神奈川県厚木市で空高く渦巻く姿を動画撮影されたものを
「竜巻とみられる突風」
とニュースで伝えていたが、屋根などを吹き飛ばすほどの勢いがある空気が渦を巻いた自然現象を竜巻でなければ何だというのか。
テレビ局側としては気象庁が竜巻と断定していない以上は、まだ竜巻と断言できないのだから竜巻とみられると表現しているのだと言うだろう。
しかし、1994年のオウム真理教による犯行だった松本サリン事件で、実際には被害者の一人にすぎない河野義行氏を犯人と決めつけるような新聞の予測記事を堂々と伝えたのもテレビのニュース番組だ。
出来事・事件・事故などを取材し、事実のみを伝えるのが報道であるはずなのに、実際には事実をありのまま伝えるのではなく、報道各社の主観を組み入れたり、自己または組織の政治的なイデオロギーを優先的に反映させたりする、とても公平とは言いがたい意図的な編集が行われているではないか。
とても報道とは呼べないような芸能人のゴシップ記事を本人への確認どころか、事実関係の確認すらしないままに垂れ流しているのも同じ報道という名の下で活動している集団である。
そこまで好き勝手にやるくせに、誰がどう見ても竜巻にしか見えないものを
「竜巻とみられる突風」
と弱腰にしか伝えられない神経が理解できない。
■ ・・・と言う。
特にテレ朝系の番組に顕著なのだが、ニュース番組のナレーションが
「・・・という。」
で終わることが異様に多い。
例えば
「・・・被害額は数千万円に達するという。」
「・・・容疑者は北の方向に走って逃げたという。」
などなどだが、最後を
「・・・という。」
で結ぶと、
「・・・だったらしい。」
「・・・のようだ。」
などのように、その内容に責任を持っていないのと同じではないのか。
きちんと取材をした結果を伝えるのであれば、
「・・・被害額は数千万円に達するという。」
ではなく
「・・・被害額は数千万円に達する。」
だろうし、
「・・・容疑者は北の方向に走って逃げた。」
だろう。
「・・・という」
には、
「犯人らしき男が北に向かって走っていったらしいよ」
「目撃者がそう言っているだけで実際には分かんないけどさ」
「別の人に聞いたら違うこというかもしれないし」
というような責任回避をしたい意志が混じっているように聞こえてしまう。
■ テロップで使われる漢字
ニュース番組で使われる漢字が減ってきた。
今日は『きょう』、明後日は『あさって』など平仮名表記が多い。
それらは限りなく当て字に近く、正確な漢字の読みではないからだろう。
今日の場合、今(きょ)日(う)でも今(き)日(よう)でもなく、本来であれば読めるはずのない漢字が当てられている。
だとすれば数年前から二十歳を『はたち』と読むことをやめ、ニュースでも
「にじっさい」
と言うようになったのだから今日も
「こんにち」
と言うようにすればよさそうなものだが、逆に漢字を捨てて平仮名にした。
今夜(こんや)は今(こん)夜(や)で正当な読みだが、今朝(けさ)は今(け)朝(さ)と、真っ当な読み方ではないので平仮名が使われる。
それはそれで良いのかもしれないが、日本的な情緒というか風情が損なわれていくような気がしてならない。
そして、それに反比例するように誰にも読めない当て字を使って我が子を名付ける親が増えている現状を憂いたりするのは、ますますオッサン化が進んでしまった証拠なのだろうか。