2014年の終わりに

今年も残すところ明日からの 4日間だけとなってしまった。

昨年の雑感にも書いたホテルでの昼食バイキングにはまだ行けていない。

今年も何度かはホテルの Webページを調べて週替りバイキングの内容をチェックしたりしていたのだが、いつでも行けるという近さと気軽さが逆に災いしてグズグズしているうちに料金が値上がりし、週替りだったメニューも 2週間ごとになってしまった。

そもそも最近は意図して食事の量を減らしており、バイキング形式の食事をしてもたくさんは食べられないので元を取るつもりで挑むことはできない。

ずっと腹十二分目になるほど食べていたのだが、年齢とともに基礎代謝も落ちており、運動量も減ってきているのに大量摂取している場合ではないということで量を少しずつ減らしたのである。

今となっては外食をしても、出される量が多くて食べきれないことも多くなってきたが、不思議なことに麺類だけは別腹で、月イチのラーメン屋さんではラーメンの他にミニ炒飯も食べてしまう。

家で休日に麺類を食べるときも 『お買い物日記』 担当者と二人で 3-4人前の麺を食べることも珍しくない。

それでも普段の昼、晩御飯は少しずつ量を減らして今では若いころの半分程度しか食べていないものと思われる。

最初の頃は量が少なくて食べた気がしなかったり少しさみしい気がしていたが、最近はそれに慣れて十分に空腹は満たされるようになった。

ただし、次の食事の前には腹ペコ状態になっており、「ガルルル」 と野生に返ってしまいそうなほどなのは相変わらずだが。

それでも使う予定のないエネルギーを必要以上に摂取することはないし、それでやせ細ってしまった訳でもなく、むしろ体重は増加傾向にあるので量的にはこんなものなんだろうと思う。

この歳になって必要以上に摂取すれば、いわゆる生活習慣病のリスクが高まってしまうだろうし、そうなれば逆に好きなものも食べられなくなってしまうであろうから、少し量を減らしてでも好きなものを美味しく食べるのが良いだろう。

とくに健康や体型を気にして食事を控えている訳ではないが、『お買い物日記』 担当者が大病をし、自分も心臓に難を抱えているので病気のリスクはヘッジしたいと考え、毎年の健康診断、目や歯の検診は欠かしたことがない。

昨年(2013)末の健康診断で血便が認められ、精密検査を受けるように勧告されてしまった。

ネットで調べると血液量は最低ランクで大腸がんのリスクは極めて少ないとのことで、若いころであれば会社の健康診断で問題があったとしても放っておいた自分でもあることだし、リスクも少ないとなれば精密検査の勧告など無視していただろうが、この歳になり持病を抱える身としては多少の不安が胸をよぎる。

おまけに 『お買い物日記』 担当者の病気の一件から、どんな種類のがんであれ早期発見、早期治療が最も重要であり、それ以外に最善の手はないと思い知らされているので、なおさら精密検査の重要性を認識せざるを得ない。

そんなこんなで翌月の通院の際に担当医に相談し、今年(2014)の 2月に大腸がん検査をする運びとなったのである。

結果は複数のポリープがあるもののがん化のリスクは高くなく、2年に一度程度の検査を受けていれば問題はないとのことだった。

そうやって検査によって白黒ハッキリさせておけば余計な心配もせず、不安を抱えることもなく生活を送れるので精神衛生上もよろしいのではないかと思う。

そして今年の健康診断、今度は 『お買い物日記』 担当者の胃にポリープの疑いが認められたので、それもさっさと精密検査を受けることにして健康診断の結果を受け取った翌月には胃カメラを飲むことにした。

その結果も問題なしで、がん化どころかポリープそのものがなかったのである。

バリウム検査の結果を見た 2人の医師の 1人はポリープではないだろうとの所見だったものの、もう 1人の医師の念のためという申し出によって精密検査の勧告となったらしい。

その検査には決して安くはない費用が発生し、『お買い物日記』 担当者も少なからず不安だっただろうが、我が家としては念のためと言ってくれた医師を評価したいと思う。

この手の病気で一番恐ろしいのは、たいしたことはないだろう、きっと大丈夫だろうと策を講じず、病気が進行、手遅れになってしまうことだ。

それを避けるには、どんな些細な事でも医師に気になる点があるのであれば患者、被検者に伝えるべきだと思うし、勧告を受けたなら素直に従って精密検査を受けることが重要だろう。

今年は二人揃って精密検査を受けることになってしまったが、問題は見つからなかったので安心して新年を迎えることができる。

上を見ればきりがないが、来年も大きな病気をせず、少しずつでも好きなものを美味しく食べられることをささやかに願いつつ今年の雑感を終わろうと思う。

健全な精神は健全な肉体に

結局 STAP細胞は存在しなかったのだろう。

過去の雑感でも折にふれて取り上げてきたが、そのたびに存在するのではないか、いや、存在してほしいと思っていた自分が単なるお人好しでしかなかったことが証明されてしまった訳だ。

しかし、小保方氏を信じるとかそういう意味ではなく、有りもせず、検証すればすぐに発覚するような虚偽であり不正であり無意味な論文を、なぜ、どうして全世界に向けて発表しなければならなかったのか今も理解できない。

山中氏が率いる京都大学の研究グループによって確立された iPS細胞よりも作製法が格段に容易であることから、再生医療等への貢献の可能性が大きいと期待されていただけに実に残念なことである。

なぜ論文を書いた本人が実験を行っても細胞が出来ないのに世界的な科学雑誌に掲載されることになったのかという大きな疑問が残ったままなので、理研にはトカゲの尻尾切りで済ますのではなく真相を解明していただきたいものだ。

STAP細胞の存在は証明できなかったが、ES細胞や iPS細胞によって様々な臓器を作り出すことができるようになった今、科学はもっと先を見据え、それに期待する投資やビジネスも本格的に始まっている。

海外では死亡後のごく短い時間、数分から 30分以内に死体を冷凍保存するビジネスがある。

何年後、何十年後かに科学技術、医療技術が発達し、現在では治せない病気であっても完治できる世の中になっているかもしれないし、クローン技術が発達して自分の細胞から肉体を再生することが可能になって脳だけを戻せば新しい体を手に入れることだってできるようになっているかも知れない。

それに期待して冷凍されることを望む人が少なからずいるということだ。

それを聞いた時に科学知識どころか普通の勉強すら苦手で無知な自分は、実に頭の悪いこと、妙なことを考えてしまった。

確かに自分の細胞から再生した体は遺伝子学的にも本人のものであるし、生物学的にも医療技術的にも問題なく、拒否反応も示さずに脳は体をコントロールできるだろう。

が、しかしである。

人間に宿っている精神とか心というのは、本当にすべて脳の中にあるのだろうか。

再生された新しい肉体は、あくまでも人工的に作られたものであり、0歳児から何年も何十年もかけて育ってきた体ではないので細胞は自分のものでも感覚は絶対的に異なるに違いない。

例えば以前の肉体でスポーツ選手だった場合、子供の頃から運動が得意でそれなりの筋肉の使い方をし、それなりに筋肉が発達しているはずで、特定のスポーツを選んだ場合はそれなりの感覚が研ぎ澄まされ、それなりの筋肉が強化されたはずだ。

ところが新しい肉体にはそれがない。

心も磨くとされる武道、剣道や柔道、空手などの有段者であった場合、それらの鍛錬を行っていない肉体に脳が戻された場合でも磨かれた心はそのままなのだろうか。

体や顔にコンプレックスを感じていた人が再生された綺麗な体を手にした場合、性格まで変わってしまうことは十分に考えられる。

とても地味で物静かだった人が、とても派手でにぎやかな人格に変わるかもしれない。

そう考えると、やはり不思議に思う。

性格や精神、心まですべて脳の中にあるのだろうか・・・。

また、いくら肉体を再生し、新しい体を手に入れたとしても脳細胞は実年齢のままだと思われるので、若々しい肉体に老人の脳細胞というアンバランスな状態になってしまい、物忘れが多くて覚えの悪い見かけだけが若い変な人になってしまうことだろう。

健全な精神は健全な肉体に宿るというが、再生された肉体は本当に健全なのか。

そもそもこの 『健全な精神は健全な肉体に宿る』 というのはローマの詩人ユベナリスの 『風刺詩集』 の一部が誤用されているらしい。

本来は幸福を得るため多くの人が神に祈るであろう富・地位・才能・栄光・長寿・美貌などは、いずれも身の破滅に繋がるので、もし祈るとすれば 「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」 と語っているとのことだ(ウィキペディアより)。

だとすれば長寿や美貌を望んで肉体を再生すべきではないのかも知れない。

話を冒頭に戻せば、小保方氏も多くの凡人と同じに富や地位、才能、栄光を祈ってしまい、身の破滅に至ったということなのだろうか。

近況報告

■ 隣家

我が家の右隣の住人は以前の雑感に書いた通りの謎多き住人で、引っ越してきて 9カ月が経過したが今もまだ会話をしたこともなければ挨拶をしたこともない。

老夫婦、娘、その娘の高校生らしき息子、犬が一匹という家族構成だと思っていたのだが、どうやら犬は二匹、それに加えて黒猫が一匹、そして、中学生の娘がいるのを最近になって初めて見て驚いた。

二匹の犬はしつけがなっていなく鳴き声がうるさい。

息子の態度もあまりよろしくなく、たまたま出くわした際にもじっとこちらを睨んだまま歩き去って行くのを見て挨拶しないならこちらを見なければ良いだろうと腹が立ってしまったので、今度会った際にも睨んでくるようだったら文句を言ってやろうと思う。

娘の態度も親が親なら・・・というやつで、はっきりとこちらを見ているのに挨拶するわけでもなく、完全に無視されてしまったのであった。

それでも少しは気にしているのか、2-3日前のゴミ収集日の朝、散歩のために家を出るとゴミを捨てている母親の姿があり、こちらの気配に気づいて目が合うと少しだけ頭を下げて声なき挨拶をしてきた。

一応はこちらも頭を下げておいたが、それ以上の付き合いへの発展は望んでいない。

■ ついに積雪

昨日の午後からまとまった雪が降り、ついに積もってしまったので夕方になって今季初の除雪をすることになった。

今年は雪が遅く、ずいぶん長く自転車に乗ったものだと思っていたのだが、去年の初除雪は 12/14だったので大差ない訳だ。

昨日の散髪の際に、お兄ちゃんと今年は根雪になるのが遅いと話して互いに深くうなずき合っていたのだが、それは二人して記憶が曖昧であるがゆえに成り立つ会話だったらしい。

昨日の雪は軽く、除雪にそれ程の時間を要さなかったが、それでも久々のことだったので体力が消耗して普段は使わない筋肉に疲労感を覚えてしまった。

今日は多少の疲労感が残る程度だったが、『お買い物日記』 担当者は体が痛いらしい。

■ 犬

散歩コースにあるお宅で飼われている犬は、とても綺麗な顔立ちだったので美形な犬と呼んでいたが、最近はめっきり年老いてかつての美しさをすっかり失ってしまっている。

くりっとした綺麗な目も垂れ下がり、フワフワでツヤツヤしていた毛もバサバサになってしまった。

川向うで暮らす犬の姿が最近になって見えなくなった。

犬小屋も、その周りも柵も手直ししてもらったばかりだというのに病気にでもなってしまったのか、最近は数カ月という単位で会うことができずにいる。

単なる病気であって、また元気な姿を見せてくれると良いのだが。

■ リュウくんのいない朝

黒柴リュウくんが遠くに引っ越してしまって三カ月半、寂しさは薄れたものの、まだ例の交差点を通ると可愛らしい姿を思い出す。

似たような大きさの黒柴を見るたびに、ちょっと太り気味で食いしん坊だったリュウくんのことを思い出し、少しばかりの切なさと懐かしさを覚える。

リュウくん、お母さんと一緒に交差点に立っていたセキさんというご婦人は、今も一人で子どもたちの通学を見守っているが、リュウくんがいないと会話も弾まない。

最近は挨拶だけして通り過ぎることも多いが、たまにリュウくんの近況を教えてもらえるので、なるべく疎遠にならないように努めているところだ。

■ 相次ぐ工事

この街では市内のあちらこちらで工事が行われている。

年度末が近い 2月とか 3月に工事が増えるのは日本各地で見られる光景だが、夏の終わり頃から公園内の遊歩道の舗装工事、電気工事、国道の工事、一般道の工事、歩道橋の架け替え工事などが絶え間なく続いているのはどういう訳か。

今は東北の復興需要などから人手不足で人件費、資材費とも高く、公共工事の入札が不調に終わることも珍しくない中、これほどの工事が行われているということは落札価格も高く、それだけ多くの税金が使われているものと思われる。

市の公共財産だった施設の相次ぐ老朽化で建て替え、解体工事が行われているのは納得できるものだったし、老朽化が進んで渡るのに少し不安を覚えないでもなかったので歩道橋の架け替えも理解できるが、それ以外の工事は必要なものなのか。

子どもたちの通学路である道路に歩道を作る工事にもある程度の納得感はあるが、人しか通らない道である公園内の遊歩道を舗装するのは本当に必要なのか。

公園内の電気工事とは、何を目的に何をどうするのかも不明だ。

様々な施設の建て替えに便乗し、ついでに予算を組んで業者が潤っているようにしか見えないような工事などやめていただきたいものである。

真性雑感 第十二版

真性雑感 ~目次~

■ マスコミ

安部首相が推進する経済対策であるアベノミクス、日銀の黒田総裁が実施した異次元緩和である黒田バズーカ、その両者によってもたらされた株価上昇のアベクロ相場など、これほど経済用語が世間を賑わせた年もめずらしい。

景気とは文字通り 『気』 が重要なのであり、なんとなく上向き思考になるのが好景気、下向き、内向きになるのが不景気で、今は間違いなく好景気の循環に入ったとされていた夏の初めの頃、マスコミは給料が上がったとビヤガーデンに繰り出し、すこし高めのものを食べている会社員の取材をしていた。

百貨店売上高も前年同月比で何パーセントアップしたとか、外食産業も上向いて高価格帯のものが動き始めているとも伝えていた。

そして、街ゆく人のインタビューでも給料が上がったので良い物であれば価格は気にしないとか、少し高くても美味しいものであれば手にとってしまうなど、田舎は恩恵に預かれていないが、都会では本当に景気が上向き始めたと思ったものだ。

4月に実施された消費税率引き上げによる消費の落ち込みも限定的で、5月には回復傾向になったため 1989年の消費税 3%導入、1997年の 5%への引き上げと比較して反動減は小幅なのではないかと報道されていた。

その際もスーパーや小売店へのインタビューでは売上が回復してきたと喜んでいる店員や店主の姿を放送し、アベノミクス効果が消費増税のダメージを払拭したと結んでいたはずだ。

衆院解散・総選挙によってアベノミクスの成否が問われる今、報道各社は伝える内容をがらりと変えた。

最近になってニュース番組で流される内容は、結果的に給料が上がらず物価だけが上昇するため生活は苦しくなったという消費者のインタビューばかりだ。

あれだけ好景気だと世間をあおっておきながら、手のひらを返したように報道内容を 180度変えて平然と伝えているマスコミには腹立たしさすら覚える。

好景気になってきたと伝えていた夏の初め、その時だって給料が上がらない会社員はいただろうが、そんな話しやインタビューを聞いた試しがない。

景気を実感できない今も、夏の初めのように給料が上がってクリスマスや年末年始を楽しみにしている会社員はいるに違いないが、そういう内容は一切伝わって来ず、それぞれ逆の立場の意見を拾わないのがマスコミらしい。

取材した結果を伝えるのではなく、伝えたい内容に沿って取材するのがマスコミの常套手段。

つまり、いろいろと取材した結果、今は好景気なのだとか、消費増税の反動は小さかったという結論に至ったのではなく、最初から結論ありきで取材し、その結論を裏付け、その結論に信憑性を持たせるための声を拾い集めてくる。

だからニュース番組など信用できないのである。

■ 記者会見の手話

誤解を恐れずに言うが、記者会見の手話は必要なのか。

総理大臣や幹事長、時の大臣が記者会見する会場には壇の左端に手話をする人が必ずいて、そのやり取りを通訳しているが、あれは本当に必要なのだろうか。

単なるお飾りならば経費の無駄、税金の無駄だと思う。

もちろん、手話を必要とする人がいるならば絶対的に通訳すべきだと思うが、ニュース番組、あの会場での必要性はまったく感じられない。

総理や大臣が壇上に進み、一礼するまでの一瞬だけテレビに映ることがあるが、いざ会見が始まったあとは一切テレビ画面に映ることはなく、耳の不自由な人がテレビを見ていたとしても何の役にも立っていないのが実際だ。

会見場に耳の不自由な人がいて一問一答の内容を知る必要があるとも考えにくく、耳の不自由な記者が手話通訳を介して質問しているところも見たことがない。

手話通訳の人は、いったい誰に向かって手話をし、誰のために通訳しているのだろう。

やっている本人は虚しくないのだろうか。

あの手話をやめたところで誰が困るのだろう。

きっと、その筋の団体から鬼のようなクレームが来るのが嫌なだけに違いない。

■ 年末年始の海外旅行

今回の年末年始はカレンダーの並びがよく、有給休暇の使い方によって 9連休になるとかで、海外で年越する人の数は過去 2番目の多さらしい。

びっくりするくらい円が値下がりし、海外で 8,000円で買えていたものが 12,000円もするようになってしまったというのに、それでも旅行に行くということは先の話題に戻って日本はやはり好景気になったのだろうかと思ってしまう。

食事にしても 1,000円で済んでいたランチが 1,500円、5,000円のディナーは 7,500円と、えらく割高になっているというのにである。

おまけにイスラム国を名乗るテロリスト集団が世界的な広まりを見せ、いつどこで大規模なテロ行為が発生するのかも分からない中、標的にされやすい飛行機に乗って行こうというのだから、まさにチャレンジャーだ。

エボラ出血熱も最近は話題にならなくなってきただけで決して感染が収まった訳ではなく、今現在も患者数は増え続けており、それによって亡くなる人も後を絶たない。

これもマスコミの罪だが、いわゆるニュースバリュー、つまり報道価値が高いものが優先されて読者、視聴者の興味が高いものばかり報道するため客観的事実が見えづらくなってしまう。

発行部数や視聴率が大事なのは理解できるが、本当に価値のある内容を伝えてもらわなければ困る。

エボラ出血熱は収まるどころか世界に拡散している事実、世界情勢が過去にないほど不安定になっていること、それでも海外に行くなら自己責任という意識を徹底すべきであることを伝えるべきだ。

そして、今回も年明けの 4日になって帰国し、次の日から休みボケのまま仕事をするタフなのかアホなのか分からない会社員が山ほどいるのだろう。