今日は 2月に他界した義兄の納骨がとり行われた。
無理な延命処置はしないと事前に医師と話し合いはしていたが、数時間かけて徐々に低くなる血圧、徐々に弱くなる呼吸、そして徐々に遅くなる心拍数を見ているのは本当に辛かった。
臨終と告げられても実感はなく、ただ呆然とたたずんでいる病室は、狭い空間でしかないはずであり、そこに家族や病院関係者が入っているのだから息切れすら感じてしまうほどの圧迫感があって然るべきなのにやけに広く感じた。
これ以上の悲しみはないのではないかと思われるほど悲しく、ただ辛く、まだ四十代の若さで逝ってしまった義兄を想うと胸が張り裂けそうになった。
家族葬で送ることにしたのが残された者にとって良かったのか、それとも逆だったのか、通夜、告別式とも弔問客がある訳でもなく、慌しさで気がまぎれることもないまま、ただただ深く、底が知れないくらいに深い悲しみに包まれた。
迎えた初七日、お寺さんのお経を聞いている間も元気だった頃の義兄の姿が思い出され、目頭が熱くなる。
七日ごとの御参りで少しずつ悲しみが和らぎ、あれだけ大きかった心の波が小さく小さく、さざ波のように穏やかなものへと変わる。
そして四十九日と納骨。
小さな骨になってしまった義兄が、それでも今日まで一緒に家にいた義兄が墓に入り、この家から居なくなってしまうという寂しさはあるものの、胸を突き上げるような、心の奥底から湧き上がるような悲しみに包まれることはなく、静かに、あくまでも静かに納骨を済ませることができた。
敬虔な仏教徒ではなく、普段はバチ当たりな ”なんちゃって仏教徒” である自分だが、七日ごとの御参りで少しずつ悲しみが和らぎ、四十九日になると人の心は落ち着き、故人が墓に入るのが当然であり、それで故人も落ち着くに違いないなどと思えるようになるのだから、よく考えられた日数だと感心する。
四十九日も経てば・・・というのが統計学的に導き出されたものなのか、お釈迦様の教えであるのかは不勉強であり、なんちゃって仏教徒なので分からないが、時が流れて悲しみが心に染み込み、溢れ出すことがなくなるのに十分な日数であることをつくづく実感した一日である。