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2004年 1月03日

食に対する価値観 食に対する価値観

  『管理人の独り言』 にも書いているが、我家では ”おせち” の大部分が手造りである。 既製品は 『科学の味』 がしたり、甘すぎたりで、食べられないことが多いからだ。 食べる側が一方的にそう思い、造る側の負担を増やしているのであれば問題だが、お互いに同じ味覚を持っているため、手造りすることに対して反対意見がなく、我家はそれで円満に収まっている。

  手造りする第二の理由は、好きなものを好きなだけ食べたいからでもある。 既製品だと、全てのものが同じ程度の量しかないが、黒豆、栗きんとん大好き派や、出汁巻き玉子、肉料理が大好きな派がいるので、それらを他のものより沢山食べたい。 好きな料理を自分の食べたい分だけ造ることができるので、手造りはやめられないのである。

  いっぱい造って食卓に並べるのは良いのだが、困ったことに出されたものは、すべて食べなければ気がすまない。 結果的に腹が割れそうになるまで食べてしまうのである。 食べ物を残すのは自分自身が許さない。 よほど体調が悪ければ残してしまったりするが、普段の食事でも出されたものは残さず食べる。 茶わんに米は一粒たりとも残さないし、弁当で持っていく 『おにぎり』 を包んでいるアルミ箔についた米も食べている。 体調が許す限り、常に食べ物は完食するようにしている。

  米の一粒までも食べきるなど、人からは 『セコイ』 と思われるかもしれないが、これは躾(しつけ)によるところが大きいものと思われる。 乳児のころから小学校を卒業するまで、年寄りに育てられることが多く、食べ物の大切さとかを嫌になるほど聞かされた。

  戦時中、終戦後と、どれだけ食糧難であったか。 当時は米など口にすることができず、どれだけ貧しい食生活であったか。 米作りがどれだけ大変な作業であるか。 さらに 「お米の中には七人の神様が宿っている」 などと教えられた。 米の中にどんな神様が宿っているのか分からないが、そこまで言われると、食べ物を粗末にする訳にはいかない。

  当時は同じ話を何度も聞かされて、うんざりもしていたが、そういう環境で育ち、そういう躾を受けたため、好き嫌いもなく、何でも食べられるようになったのだと感謝している。 正月も三日目となったが、今夜も食卓にはド〜ンと料理を並べ、腹が割れそうになっても食べ続けることだろう。

  今年一年も出されたものは完食し、コロコロと太っていくに違いない。

2004 / 01 / 03 (土) ¦ 固定リンク

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