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2001年 9月15日

正義とは 正義とは

 アメリカで大変な事件が起こってしまった。雑感で扱うにはヘビーな話題だが、今週はこの話題を避けて通ることはできないし、いろいろと考えさせられることも多かった。

 結論を先に述べると、背景に何があろうとも”テロ行為”は許されるものではない。犯した罪そのものは厳格に裁かれるべきである。ただし、その”裁き”の手段が報復攻撃となると少し疑問を感じてしまう。

 今日現在のところ、アフガニスタンに潜伏しているオサマ・ビンラディン氏が今回の事件に関与したのではないかと報じられている。仮にそれが正しいとすれば、ビンラディン氏がなぜ今回のテロを起こした(指揮した)のか。

 事実関係もはっきりしていないし、専門家でもないので詳しいことは分からないが、背景には宗教、経済、覇権争いなどの利害関係が潜んでいるものと思われる。ブッシュ大統領は「正義と悪の戦いであり、正義は必ず勝つ」と述べているが、そもそも”正義”とは何であろうか。

 テロ行為に荷担する気も弁護する気もないが、イスラム原理主義者側にとっては自分達こそ”正義”であり、アメリカは”悪”ということになる。そもそもアメリカ政府がイスラエルによるパレスチナ人に対する弾圧を支持・容認していることは本当に”正義”なのか?

 かつてのイラン、イラク戦争では「侵略行為許すまじ」という”正義”を盾にアメリカ(正確には多国籍軍)が戦争に介入し、湾岸戦争へと発展した。「侵略行為を許さないはずのアメリカがイスラエルを支持するとは何事ぞ!」とパレスチナ人とイスラム世界全体が反米感情を強めてテロにつながったというのが、あらすじだと解釈している。

 弾圧されているパレスチナにとってはイスラエルを支持し、経済的にも援助している(と言われている)アメリカこそ”悪”であり、自分達は”正義”なのである。一歩引いて見ると、その論理が正しいのかをある程度冷静に考えることができるが、当事者に冷静さを求めるのは困難なことだ。かつての日本がそうであったように・・・。

 真珠湾攻撃に端を発する第二次世界大戦では、奇襲攻撃を仕掛けてきた日本を”悪”とみなし、アメリカ国民の士気を高めて国民が一丸となって戦争に参加した。しかし、日本側からみると、アメリカが日本に対して仏領インドシナからの全面撤退など、当時の日本政府がのめない条件を最後通牒として突きつけたことを受けた、日本側のリアクションとして起きている。

 日本にとっては無理難題をふっかけて、それを受け入れないなら攻撃すると言ってきたアメリカこそが”悪”であり、日本は”正義”だったわけである。

 そもそも、アメリカは「奇襲」といっているが、真珠湾攻撃にしても今回のテロ行為にしても、事前に察知していた”フシ”がある。奇襲攻撃をあえて受け「卑怯者」の烙印を相手に与えて自国を正当化するのが”いつもの作戦”のような気がする。

 ただし、真珠湾攻撃も今回のテロ行為もオーバーキル(やりすぎ)だった事はいなめない。さらに、どういう場合においても人の命を奪うことは良くないことである。

 もう一度くり返すが背景がどうであれ、テロ行為はやはり許されるものではない。首謀者(組織)は裁きを受けるべきであろう。しかし、面子(メンツ)や利害関係だけで戦争を始めるべきではない。「正義のための戦い」「聖戦」などとキレイ事を言っても、利己的な感情論で行う戦争などに”正義”が存在するはずがない。

 それでも、今回の件に対する”報復攻撃”は必ずあるであろうし、それを避けることはできないのであろう。

 事故現場では多くの犠牲者が出ている。危険をかえりみずに救助にあたっていた警察官、消防士がビルの倒壊に巻き込まれて死亡したり、行方不明になっている。倒壊した国際貿易センタービルにあった富士銀行で行方不明になっているのは経営陣クラスの役員が多い。まず、現地採用した職員を避難させ、次に若手社員を避難させたという。

 危機が迫ったときに、現場の責任者として「我先に」などという利己的な感情を捨てて職員の安全を優先した結果だと思う。命をかけてまで人を救出する人々、命をかけてまで人を先に避難させる人々がいると思えば、感情論だけで行動する人々もいる。

 今回の事件は、本当の意味での”正義”とはなんぞや?と真剣に考えさせられた事件だった。代償を求めず、利己主義的な感情をすてて行動した多くの行方不明者が生存している確率はきわめて少ないと思われるが、奇跡を願わずにはいられない。

 今こそ宗教の壁をこえて祈るべき時なのかもしれない。

2001 / 09 / 15 (土) ¦ 固定リンク

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