2005年 4月30日
ちょっと非常事態に備えて考えてみる 1日目 ちょっと非常事態に備えて考えてみる 1日目
今回の JR の事故のように、外出時に突発的な事故に巻き込まれてしまった場合は仕方がないが、大きな地震が続けざまに起こっている昨今であるし、ここは非常事態に備えて少し冷静に我家の現状を考えてみることにしようと思う。
大阪に引っ越してきた直後に阪神・淡路大震災が発生した。 それ以前に住んでいたところは地震が多かったので、ある程度は慣れていたつもりだったが、あの時の地震は経験したことのない縦揺れだった。まだ夢の中にいた早朝、ドッカ〜ン!という轟音と下から突き上げられるような衝撃で現実の世界に引き戻された。 しかし脳は眠っていたのか、身を起こしたものの事態が把握できない。
あの衝撃から横揺れが始まるまで、実際に何秒ほどの時間があったのか定かではないが、短い間に半分は眠った脳でも様々なことを考えられるものである。「大型車が建物に激突したのか?」 とか 「近くに飛行機でも墜落したのか?」 などと想像しているうちに激しい横揺れが始まった。 最初は地震に慣れていたこともあり、ぼわわ〜んとあくびなどをしていたのだが揺れは激しくなるばかりだ。
「これは尋常な揺れではない」 と思い始めたころには身動きできない状態で、ベッドから落ちないように体を硬くしているので精一杯だった。 揺れも収まり、恐る恐る居間に入ると、たまたま家具の配置が良かったのか、倒れたり落下している物もなく、地震などなかったように静まり返っていた。
それでも辺りがどうなっているのか心配になり、外に出てみたが誰も外には出ておらず、街はいたって平穏に見えた。 もう一度布団に入って寝る気にもならなかったので、そのまま起床し、一応はテレビで地震の規模を見ようとスイッチを入れると、そこには緊張した面持ちで地震発生を伝えているアナウンサーの姿があった。 画面には震度 6だの 7だのと表示されている。
電話回線などが寸断されていて東京のスタジオに情報が集まらないという話を聞いて、とりあえずは何ごともなく無事でいることを親兄弟や親類に電話で伝え、これから先は回線がパンクするから電話が繋がらなくなるが、心配ないということを付け加えておいた。 それから間もなくして予想通りに電話回線が込み合い、外部との連絡が途絶えることになった。
ニュース番組を観ていると、時間の経過とともに被害の大きさが明らかになってきたが、その日は平常日だったので、とりあえずは着替えを済ませて出勤することにした。 JR 千里丘駅に着くと、駅は立ち入り禁止になっており、もちろん電車もストップしていたので自宅に引き返して会社と連絡がとれるようになるのを待つことにした。
テレビを観ていても情報が混乱し、正確な状況が把握できない。 正午近くになって会社に電話が繋がったが、出勤の必要はないこと、とりあえずの数日間は公共の交通が回復するのを待つことだけを確認して電話を切った。 実際に何日後に出勤したのか正確な記憶はないが、翌日には JR が動いていたようにも思うので会社に行ったのかもしれない。
会社には兵庫県から通勤している人もいたが、一週間以上も連絡がつかない人もいたし、犠牲者こそ出なかったもののライフラインが全滅で生活に支障をきたしている人もいた。 あの震災直後は非常持ち出し用の荷物をまとめたり、就寝前に水を確保したりしていたが、今は防災の意識が薄れてきてしまった。 非常事態に対する備えを何もしていないのである。
こんなことではいけないので備えについて考えなければ・・・。という雑感にするつもりだったのだが、長文になってしまったので次週までにまとめることにしようと思う。
2005 / 04 / 30 (土) ¦ 固定リンク