2001年 5月27日
盲導犬 盲導犬
子供の頃に実家で飼っていた犬はとんでもない「バカ犬」だった。もちろん、血統書などない雑種だったのだが、雑種にだって賢い犬はいるし血統書付きの犬にも賢くないヤツもいる。どこかに優れた点でもあれば良かったのだが、雑種かつ、バカ犬だったので目も当てられない。
知らない人が近づくと「ワンワンワン!」と吠えるので番犬の役は果たしているのだろうと思っていたが、よくよく見てみると尻尾をちぎれんばかりに振って愛想を振りまいている。餌をやる時に何度「おすわり!」と言っても従ったためしがない。器に餌を入れたとたんに口を突っ込んでガツガツ食べ始める。「まて!」と言いながら取り上げようとしようものなら飼主に向って「グルルルル」と威嚇してくる。
おやつを手に持って食べさせようとして指まで食べられそうになったことも一度や二度ではない。食い意地が張っているというか、意地汚いというか食べ物に関しては飼主すら信用していないようだった。
小学生の頃だったが、そのバカ犬を散歩させていたある日、目の前をネコが横切った。最初は首をかしげて見ていたのだが、突然ものすごい勢いでネコを追い始めた。その馬鹿力に小学生の体格では勝てるはずもなく、「わぁー!」と言いながら引っ張られていってしまった。
勢いにまかせてグイグイ引っ張られても、逃げられないように紐を手首に巻きつけていたのが災いし、手を離すことができない。スピードについて行けず結局は転んでしまったのだが、バカ犬はおかまいなしに前進を続ける。いたいけな少年はズルズルと引きずられて太ももには無数の擦り傷ができてしまった。
そんなバカ犬であったが、一応は家族の一員であり情も移っているから悪ガキに石を投げつけられたりしているのを目撃すると無性に腹が立った。どんなに駄犬であっても飼主にとっては可愛いところもあったりするのである。
そのバカ犬と 13年間暮らしたある年の冬、餌をやろうと器を手にした。いつもなら待てと言っても待っていられないのに犬小屋の中は「しーん」としている。脱走壁のある犬だったので「またか」と思ったのだが、小屋の出入り口から鼻先が見えている。
どうしたのかと覗いてみると目を閉じて動く気配がない。寝ているのかと思い声をかけてもピクリとも動かない。体をさわってみると冬の気温よりも冷たくなってしまっている。凍っていたのか死後硬直だったのか解らないが体がカチカチになっていて鎖を引いても小屋から出すことができなかった。
どうしようもないくらいにバカな犬だったが、その時はとても悲しかった。それから何ヶ月かは同じような犬を見るだけで色々な事を思い出すのだが、バカだったことよりも良かった面だけが強調されていたような気がする。
あれほどのバカ犬でさえ死んでしまうとダメージが大きいのであるから、人生のパートナー、一心同体となっている盲導犬と別れることはとても辛いことだと想像できる。TVで定年を向えた盲導犬と別れるシーンを見たことがあるが、飼主(と言うよりパートナー)も犬もとても悲しい顔をしていた。
以前、JR大阪駅で盲導犬とそのパートナーを目撃したことがある。たまたまホームから地下鉄御堂筋線まで同じルートを通ったので、その二人(一人と一匹)が前を歩いていたのだが、驚くことに健常者の歩行と遜色ない速度で歩いている。通勤客が大勢いるにも関わらず、ぶつかる事なく歩いているし、階段も普通に降りている。遠巻きに見ると単に犬を連れて歩いている人にしか見えない。
まさに飼主(パートナー)と一心同体で”目”の代役を果たしている。お互いに絶対的な信頼関係があるのであろう。その光景を見ていて、なぜか賢い盲導犬とはかけ離れた昔飼っていた”あの”バカ犬を思い出してしまった。
いつか必ずその飼主(パートナー)と盲導犬は別れなければならない日が来る。それは悲しいことではあるが、飼主(パートナー)の身の安全を考えると高齢になって能力が低下した盲導犬に”目”の役割をいつまでもさせておくことはできない。
「すごいなー」「えらいなー」と思うと同時に、お互いを信頼しきっている関係が永遠ではないことを思い、複雑な気持ちでその後姿を目で追っていた。
2001 / 05 / 27 (日) ¦ 固定リンク