2003/01/26 の雑感に 「人に自慢できるのは視力が良いことくらい」 と書いたが、その視力すらも衰えてきてしまったような気がする。 10時間も PC の画面を見続けた仕事帰りには、遠くの光がぼやけて見えるようになってしまった。 帰宅してから目の周りをマッサージすると、体がグニャグニャになってしまうほど気持ちが良い。
先週の雑感にも書いたように、以前は帰宅してからも TV ゲームで遊び、目を酷使していたのにも関わらず、眼精疲労など無縁だったのにである。 以前は見えていた遠くの文字がぼやけて見えたり、デジタル時計の 8 と 9 の識別が困難になってきた。
2001/09/02 の雑感では 「見えないという状態が理解できない」 という主旨の文書を書いているが、それがどういう状態なのか少し分かってきた。
唯一、人に自慢することができた視力が衰えてきた今、(人に誇れるものがない人間になってしまった・・・) と、ガッカリしていたのだが、無い知恵を絞りに絞って考えたところ、『方向感覚』 は人より優れているのではないかと思い至った。 初めて訪れる場所でも、なんとなく歩いていれば目的の場所にたどり着くことが多かったりするのである。
以前は他の街に暮らしており、大阪には出張で来る程度だった。 当時暮らしていた街は、京都をモデルにして道路が碁盤の目のように整備されており、大阪のようにゴチャゴチャしていなかったのだが、そんな街に住む自分でも大阪の道で迷ったことがなかった。 常宿がなかったので、出張のたびに宿泊するホテルが変わるのだが、細かい地図などなくても問題はない。
最寄の駅に到着し、腕を組んで 「う〜む」 と考え、あたりを見渡して (こっちのような気がする) と思った方向に進み、(この辺かな?) と思う角を何度か曲がれば目的のホテルが姿を現す。 同行者に 「来たことがあるの?」 と聞かれ、「いや、初めて」 と答えて驚かれたことも一度や二度ではない。 さも、知ったような顔をしてスタスタ歩くのだから当然のことだろう。
最近、とは言っても半年くらい前のことだが、京都からの帰りに高槻駅で下車し、大好物のモスバーガーを買って帰ることにした。 高槻駅は下車するのも初めてだったこともあり、一応はホームページに載っている店の地図を確認したが、まことに大雑把な地図で正確な場所は分からない。 それでも、「行けば何とかなる」 と、JR 高槻駅で電車を降りた。
駅前に立ち、「きっとあっちが阪急の駅に違いないと」 歩き出し、ズンズン進むとそこは間違いなく阪急の駅だった。(大きな道路沿いにあるに違いない) という先入観があったため、さすがに直ぐには見つからなかったが、繁華街を少しウロウロしているうちに (とっても近づいているような気がする) と感じた。 それからすぐに道路の角から右手を覗くとド〜ンとモスバーガーの看板があった。 やはり方向感覚が優れているのかもしれないと、内心で (むふふ〜ん) と喜んだりしたものである。
・・・で、これは自慢しても良いかもしれないと、今回の雑感に書いているわけだが、いろいろと思い出しているうちに嫌な記憶が蘇ってきた。 人に連れられて ”ミナミ” に行き、初めての場所で酒を飲んだ帰り、「道わかるか?」 との問いに対して 「なんとかなります」 と答えて店を出た。 いつもの通りに (たぶんこっちだ) と思う方に足を進めたのだが、だんだんと人影も減り、あたりが寂しくなってきた。
(これは違うかも) と不安になって、すれ違う人に電車の駅を尋ねると、「反対方向ですよ」 と言われてしまった。 それからは珍しく早足で必死に歩き、やっとの思いで駅にたどり着いたのだが、時すでに遅く、終電が発車した後だった。 結局その日は泣きながらタクシーに乗り、ションボリしながら帰宅したのであった。
そういうことがあったのだから、やはり人に自慢できるほど方向感覚に優れているわけではなさそうである・・・。