今年 10個目の台風が日本列島を通り過ぎ、各地に大きな爪痕、傷跡を残していった。 自然の驚異の前に人間は無力であることを思い知らされる結果となったが、被災した人達はそんな感慨にふける暇もないことだろう。 それでも命を失わなかっただけでも良しとしなくてはならないのかもしれない。 今回の台風は多くの犠牲者を生み、今日現在になっても行方不明のままの人が大勢いる。
そんな大自然が残した傷跡とは無関係だが、自分の体のあちらこちらにも傷跡が残っている。 最近の子供達がどうなのか分からないが、昔の子供などは遊んでいて怪我をするなど日常茶飯事だった。 昔の親は、今の親ほど過保護でもなかったので怪我をして泣きながら帰っても 「ツバでもつけておけば治る」 とか 「赤チンでも塗っておけ」 と言われたものである。
当時、赤チンは万能薬だとでも思われていたのか、擦り傷、切り傷など、怪我をしたときには大活躍だった。 最近は見かけなくなってしまったのでネットで検索してみたところ、正式名称をマーキュロクロム液と言い、「赤色のヨードチンキ」 という意味で「赤チンキ」、略して 「赤チン」 と言うらしい。 そのマーキュロクロム液は、なんと有機水銀化合物であるらしく、製造過程で水銀を出すために規制をうけることになり、昭和 48 年に国内での製造が停止されることになったらしい。
で、自分の体の傷跡であるが、頭に大きな傷が二箇所ある。 ひとつは 7針、もうひとつは 3針縫った大怪我だ。 さすがにこれだけの怪我ともなると赤チンを塗って放っておくわけにもいかず、病院に直行することになったが、これは子供の怪我ではなく、物事の分別が可能な年齢に達した頃の怪我である。その原因はシャレにならないので伏せておくことにするが・・・。
何かに 「ゴン!」 と頭が当たり、「いててて・・・」 と押さえていると手に血が付いていたことも一度や二度ではない。 坊主頭にしたことがないので確認してはいないが、あちらこちらにぶつけてできた細かな傷も沢山あるに違いない。 あまり目立たないが、右の頬にも傷跡がある。 これは針金が刺さってできた傷なのだが、あと数センチずれていたら眼球に当たっていたかもしれない。
今はうっすらとしか残っていないが、右足の裏から甲にクギが貫通した傷跡もある。 これは友人宅の物置小屋の屋根から飛び降りて遊んでいたときに、地面に落ちていた角材から突き出たクギの上に着地して足を突き抜けたものである。 刺さった瞬間は 「ギャッ!」 と叫んだものの、そのままにしておく訳にもいかないので反対の足で角材を踏みしめて無理矢理引き抜いた。
左手の中指には彫刻刀で ”彫った” 跡がある。 カナヅチとノミで木に彫刻をするのをテレビで観て興味を持ったのだろう。 すぐに角材を拾ってきて、版画を彫るための彫刻刀で ”作品創作” に取りかかった。 しかし、ものの 10分もしないうちに自分の手を彫ることになってしまった訳である。 母親にこっぴどく叱られ、泣きながら自分で赤チンを塗った記憶がある。
左手首には火傷の跡があるが、これはどうしてできた跡なのかさっぱり記憶がない。 右の手のひらには 3センチくらいの切り傷があるが、この傷が出来た原因もシャレにならないので理由は割愛することにする。 左足太ももに残る傷は
かなり前の雑感に書いたように、飼い犬に引きずられてできた傷だ。 そして、体の中でも傷跡が集中しているのはヒザである。 これは走って転んで、自転車で転んで、暴れて擦りむいて、ぶつけて血を流してと、数え切れない ”戦歴” の代償である。
今思うと背中がゾクゾクしてしまうような危険な遊びをして数多くの傷跡を残したが、子供の頃は恐いもの知らずで、怪我をした翌日には平気な顔をして遊んでいたものである。 最近は怪我をしてまで遊んでいる子供の姿を見かけなくなり、少し寂しい気もしないではないが、それも時代なのかもしれない。
しかし、あまりにも過保護に育てるのもいかがなものかとも思う。 体で痛みを覚え、自分が怪我をすることによって、相手に怪我をさせたらどれだけ痛いのかも分かってくるのだから。