2001年 6月17日
夏を前に想うこと 夏を前に想うこと
梅雨に入ってしまった。これから数日は雨が降ったり止んだりするのであろう。今年に入ってからの降水量は例年と比較して極端に少ないとのことなので、嫌な雨もがまんするしかなさそうだ。
空梅雨になってしまうと水不足になり、飲料水や農作物への被害が出てしまう。1994年にあった米不足にまで発展してしまうかもしれない。それほど米に執着心はないが、やはり蓄えがなくなるのは不安なものである。
梅雨が終わると本格的な夏がやってくる。梅雨が終わって本格的な”夏”ということは今は夏のイントロなのだろうか?先日、会社の仲間と大阪はいつから”夏”なのだろうかと話していた。
気温が 25度を超えて天気予報などで「夏日」と言われる日が 1週間で 4日以上(50%以上)になったら夏?とにかく暑い!と感じ始めたときが夏?などと考えたのだが結局はよく分からなかった。
その会話の直後に FMラジオから TUBE(チューブ)の曲が流れてきたので「もうすでに夏らしい」というということでお互いに納得していたりしていたのである。
大阪に暮らし始めていろいろな違和感を覚えつつも、それなりに慣れ親しんできたが、この”夏”だけはいまだに馴染むことができない。出張などで数日間の滞在は経験していたが長期にわたって暮らした事がなかったので、これほど辛いものだとは想像もしていなかった。
大阪に来て最初の年は心身ともに大きなダメージを受けてしまった。昔から「水が変わる」とか「水に馴染む」とか言われるが、水がこれほど重要だと実感していなかった。とにかく水が美味しくないのである。当時は浄水場のシステムが古かったのであろうが、水道から出てくる水がドブ臭くて我慢できなかった。
飲料水として許されるのであろうか?と疑ってしまうほどの異臭を放っていたように思う。お買物日記の担当者はシャワーを浴びていて、その臭いに耐えきれず口と鼻をおさえながらバスルームから逃げ出してきたほどである。
現在は浄水のシステムが変わったのと、慣れてしまったおかげで普通に水を使用してるのだが、のどが渇いた時にゴクゴク飲む水はミネラルウォーターに頼っている。
さらに大きなダメージだったのが、この暑さである。赴任してきたのは 9月の終わり頃だったが、とにかく暑い。会社の同僚などは「過ごしやすくなった」と言っていたが、その湿気と気温には耐えることができなく、購入したばかりのエアコンをガンガンに効かせていた。その年は特に暑い年だったらしいのだが、10月の中旬までエアコンのお世話になっていたように記憶している。
現在は多少(30度くらい)の暑さには慣れてきたが、湿度には馴染むことができない。これからの”本格的な夏”になると気温 35度、湿度 80%以上という日が襲いかかってくるのであろう。
今でも夏バテになってしまうが、大阪に来てからの数年間はまさに地獄だった。とにかく暑くて眠ることができない。暑さに耐えきれずに一晩中エアコンのお世話になっていた。食欲もなくなり、普段の半分程度しか食べることができない。
以前からこの雑感に書いているとおり、麺類は大好物なのだが毎晩のように”麺”を食べていると体が受け付けなくなってくる。しまいには何を食べたら良いのか分からなくなってしまうのであった。
それでも生き延びる知恵は自然に身につくもので、西側の窓に遮光カーテン。寝具の上にゴザ(のようなもの)。エアコン+扇風機。枕にはアイスノンなどなどの秘密兵器を使用して、快適とはいかないまでも、なんとか耐えられるようになった。
いろいろと工夫をして暑くて長い”夏”を乗り切っているのだが、湿気だけは許すことができない。発表される”湿度”はどのように算出されているのか解らないが、80%などというのは信じられない値である。100%中 80%が水分だったら肉眼で水滴が確認できそうなものだと思うのだが、いまだに水滴を見るこはできていない。
きっと、なにか根本的に考え方が間違っているのかもしれない・・・。と夏を前に少し悩んだりしているのである。
2001 / 06 / 17 (日) ¦ 固定リンク