02/23 の雑感でそれぞれの理由(言い訳)のことを書いたが、食べ物の好き嫌い、それも嫌いな理由は人それぞれである。「なるほどね」 と少なからず納得できる理由もあるが、本人がいくら力説しても 「なんじゃそりゃ」 と全く理解できないものがある。少なからず納得できる理由の一つとして、過去にそれを食べて 『食あたり』 をしてしまったため、それ以降は口にするのをためらってしまう場合などである。
知り合いにホタテ貝が嫌いという人がいたが、やはり過去に 『食あたり』 をしていると言う。なんでもゴルフの大会で獲得した賞品で、刺身で食べたところ高熱を伴う激しい下痢に襲われたそうなのだが、ゴルフの大会は遠方で開催され、泊りがけで出場したのだから食卓に並ぶまでには相当な時間が経過しているはずである。それを刺身で食すというのはチャレンジャーとしか言いようがない。
以前の雑感に、ある店で食べた ”レバ刺し” で調子が悪くなったことを書いたが、その後レバ刺しが食べられなくなったかと言うと決してそんなことはない。家庭で出す料理ではないし、外食はめったにしないので実際は口にしていないのだが、頭の中でシミュレーションする限りにおいては平気で食べられそうな気がする。ホタテ貝そのものが嫌いになるのだから余程ひどい目にあったのだろう。
その他にも同じ理由で魚の 『サバ』 がダメな人、『イクラ』 がタメな人も知っている。サバなどの ”ヒカリ物系” や、イクラなど ”卵系” の食あたりは強烈だと聞いたことがあるので、それらの食べ物にあたってしまった人は二度と口にすることができなくなるのかもしれない。
しかし、友人にシメサバが大好物な奴がいるが、過去に賞味期限の過ぎたシメサバで地獄の苦しみを味わっているにも関わらず今でも食べ続けているので一概には言えないのだろう。彼は 「あの時はひどい目にあった」 とニコニコとシメサバを食べながら感慨深く語るのである。相当な根性の持ち主なのか、地獄の苦しみを味わっても食べたくなるほど大好物なのか定かではないが、それも人それぞれなのであろう。
もうひとつ少なからず納得できる理由として、「過去に食べすぎたため今は見たくもない」 と言う理由がある。子供の頃に毎日のように食べさせられたから今は 「トマトが嫌い」 と言う人もいるし、祖母は 「イモやカボチャを食べると戦時中を思い出す」 と言ってあまり口にしなかった。当時は食糧難で米の代わりに毎日イモやカボチャを食べさせられていたらしい。
関西の人で納豆が苦手な人は多いが、仕事仲間もその一人である。他にもキノコ全般が苦手だと言う彼に理由を聞いたところ 「菌や胞子なんぞで繁殖するものが食えるか!」 と言い放つ。「じゃあヨーグルトは嫌いか?」 「チーズは?」 と聞くと 「好き」 と言う。白カビ菌が繁殖しているカマンベールなどは大好物だと言うので 「菌や胞子なんぞ・・・」 という理由は単なる言い訳でしかないようである。
納豆などは独特の匂いがあるので好き嫌いが分かれても当然だと思うが、不思議な理由で特定の食べ物が嫌いだと言う奴もいる。茄子が嫌いな奴の理由は 「吐くから」 だったが、吐くから嫌いなのではなく、嫌いだから吐きたくなるのではないかと思うので理由になっていない。漬物全般が嫌いな奴の言う理由は 「あれは、すでに野菜ではない」 というものだった。ここまでくると 「そうですか」 と聞いているしかない。
キュウリが嫌いな奴の理由は 「キリギリスの味がする」 だが、「キリギリス喰ったことあるんか〜!?」 と聞くと当然のことながら 「ない」 と言う。よくもここまで訳の分からない理屈をこねるものだと感心すらしてしまうが、本人はどんな理屈をこねてでも口にしたくないのだろう。
この雑感に何度も書いているように食べものの好き嫌いはなく、ジンマシンが出るため唯一食べられなかった牡蠣(カキ)も克服したのだが、過去に一時期だけ 『ソースやきそば』 が食べられなくなったことがある。食べた直後に目の前で交通事故があり、被害者の割れた頭から脳漿が飛び出しているのを見てしまったとき、胃の中のものを全て吐いてしまったのである。
それ以来 2-3 年間はやきそばの匂いを嗅いだだけで気分が悪くなったものだったが、今ではその記憶も薄れ、美味しくいただくことができるようになった。結果的に何でも食べられるようになったので好き嫌いが多い人の ”それぞれの理由” を聞いては笑ったり呆れたりしているのである。