2001年 9月02日
視力 視力
今日は最高気温(室温)も30度と、少し涼しくなってきたようだ。今年は残暑が厳しいと伝えられていたので覚悟していたのだが、意外に早く秋が深まりそうだと気象庁が予報を訂正している。
暑さが苦手な自分にとって涼しくなるのは嬉しいことだが、去り行く夏を惜しんでいる人もいるのだろう。季節が秋に移り変わるとなんとなく寂しい気分になってくるのもまた事実である。しかし、これからは食欲の秋、読書の秋なのである。夏の間は食欲がなかったので、これからは欲にまかせて腹を満たし、コロコロに太って冬の寒さに備えようと思っている。
もうひとつの読書に関しては、季節が秋だから「本を読もう」とかは思っていない。本を読むのが嫌いではないので、季節に関係なく年中同じペースで読んでいる。
通勤電車の中、電車を待つホーム、寝る前の布団の中が主な読書の時間となっている。そこで不思議に思うのは、すでに”おっさん”になっているのに視力だけはそれほど悪くなっていないことである。当然のことながら体力などなどは衰えているのだが、いまだに遠くのものも近くのものも苦労せずに見ることができる。
コンピューター業界に入って20年近くになるので、毎日8時間以上はパソコンの画面を見つづけている。さらに、始まりがゲーム業界だったこともあり、自宅でも TVゲームに興じていた。大作ゲームなどは眠くならないように、わざわざカフェインを主成分とした薬まで飲んで徹夜して遊んでいたのである。
目に良くないと言われることばかりしているのに数年前まで視力 2.0を誇っていたので、目が良くない人の気持ちや、その感覚が理解できない。「遠くや近くのものが見えない」の「見えない」とは、どう見えないのか。暗くて見えないときと同じような状態なのか、霧の中でぼやけて見える状態なのか、さっぱり分からないでいる。
メガネやコンタクトをしている友人に「見えないとはどういうことか」と質問攻めにして嫌がられたこともある。うるさがられようが、嫌な顔をされようが、理解できないので彼らには遠くのものがどのように見えているのか知りたくてしかたなかった。
若い頃はメガネにあこがれて、視力 2.0のくせに「だてメガネ」をかけていたこともある。メガネをしている方が理知的に思えたからである。しかし、メガネは思いのほか邪魔なものだった。
第一に慣れないせいなのか鼻や耳が痛い。そのうちに気にならなくなると思っていたのだが、だんだんと頭まで痛くなってくるような気がした。第二にメガネが飛んでしまうのではないかと思い、頭をプルプルしたり激しい運動をすることができない。自分にメガネは向かない!と判断し、3か月程度で「だてメガネ」をやめてしまった。
そう考えると、目の良くない人はメガネ、コンタクトを使用していることに毎日わずらわしい思いを強いられているのであろう。とくにコンタクトは眼球への出し入れ、洗浄などを含む手入れなど大変だと思う。
特に根性なしの自分は、眼球に異物を挿入するなど恐ろしいことである。コンタクトを入れるためとはいえ、自分の指がどんどん眼球に近づいてくることを想像しただけで、目がシバシバしてしまうため、手入れのわずらわしさよりも先に使用すること自体が不可能なものと思われる。
ものぐさな自分には毎日の手入れもできそうにないのでコンタクトは向かない。体(顔)に馴染まないのでメガネもパスしたい気分である。そうなると、今の視力を維持するしかないのであるが、あいも変わらず毎日パソコンの画面を見続け、以前より時間は少なくなったとはいえ TVゲームもやり続けている。
過去には憧れたりもしたが、今となってはコンタクトもメガネもしたくはない。しかし、視力が落ちない人は老眼になるのが早いと言われているので、ある日突然のように読書に支障をきたすのかもしれない。
いつまでも視力を維持できるとは思っていないが、一日でも長くコンタクトやメガネの世話にならずにいられるよう、今は切に願ったりしているのである。
2001 / 09 / 02 (日) ¦ 固定リンク