道産子 DNA

北海道に帰ってきてから 4度目の冬を迎える。

やはり道産子の DNAを受け継いでいるのか、除雪だけが憂鬱であるものの寒くて白い世界に閉ざされるのを嫌だと思ったことはない。

今日は朝からシンシンと雪が降り続いており、夕方には除雪をすることになったが、まだ始めたばかりなので少し楽しかったりする。

今までは降っては解けることを繰り返していたが、今回の雪はいよいよ根雪となって来年の春まで解けることはないだろう。

朝の散歩をしていても、あちらこちらの雪に犬の足跡があったりして楽しい。

まったく姿を見かけなくても多くの犬に会った気分になれる。

そして、やはり12月には雪が積もり、ホワイトクリスマスでなければ気分が盛り上がらない。

除夜の鐘を聞いて新年を迎えるのも雪景色でなければ調子が狂う。

大阪で暮らした十数年間は白くないクリスマス、雪のない正月で、どうにも違和感をぬぐい去ることができなかったものだ。

それというのも道産子 DNAをしっかり受け継いでいることと、生まれてからずっと経験してきたことと異なるため、何かしっくりこない感覚がつきまとったのだろう。

年齢とともに雪が嫌になると母親などは言っているが、今のところは冬が嫌でもないし、雪を毛嫌いするほどでもないのは若さの証拠か。

こんなことを言うもの何ではあるが、大阪の夏と北海道の冬のどちらが良いかと問われれば、一瞬の迷いもなく北海道の冬を選ぶ。

どんなに寒かろうと厚着、重ね着をすればしのげるし、暖房すれば部屋は暖かくなるが、大阪の夏は冷房にも限度があるし、薄着にも限度があるので対処法が限られ、あとはひたすら我慢するしかない。

寒さを我慢しても食欲不振にもならなければ汗疹で身体中が痒くなることもなく、脳の回転が鈍ることもないが、暑さを我慢すると肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまう。

運や縁があって北海道に戻り、この町に住むことになったが、実際にはあと何年も大阪で暮らすことはできなかったと思う。

それは様々な事情もあるが、道産子 DNAの持ち主が生息する環境では決してなく、体力的にも精神的にも限界が近かったと思われるからだ。

近所の方々や知り合った方々には懇意にしていただいたし、大阪の人柄は好きなのだが、やはり根本的な違いに完全に順応するのは難しい。

住む場所が変わると様々なことに変化が起こることについて 『水が変わる』 と表現するが、まさに生存の根源である水の違いは受け入れ難いものがある。

ずいぶんと改善が進んだが、住み始めた当初は水道水から異臭がしてそのまま飲むことができなかったし、それを熱したシャワーを浴びると異臭が倍増して密閉空間であるバスルームからは一刻も早く逃げだしたくなるほどだった。

そして道頓堀を歩いていて流れる川から発せられる異臭にも驚かされた。

水の都であるはずの大阪がこんなことで良いのかと腹立たしささえ覚えたものである。

鮭が生まれた川に戻るように、道産子は北海道で暮らすのが一番良い。

どんなに過疎化が進んで不便な暮らしになろうと、北海道に骨を埋めたいと真剣に考えるようになった自分が今ここにいる。