CMあるある

少し前に我が家におけるあるあるネタを書いたが、テレビCMを見ていると同じようなパターンの繰り返し、過去のCMの焼き直し的なものが多くて呆れてしまうことが多い。

あるある1. 特に可愛いくもない子供を登場させる

オーディションを勝ち抜いた誰の目から見ても可愛いと認めざるをえない赤ちゃんや幼児ではなく、
「う~ん」
と唸り声しか出てこないような微妙なラインだったり、
「はあぁ!?」
と大声で聞いてみたくなるような容姿の子どもが登場するCMがある。

全国レベルのものではなく地方CMに多いのだが、間違っても制作会社がブッキングしたプロダクション所属のモデルではないであろうということが明白な、本当にその子をCMに登場させるが正解だったのかと経営者に問いただしたくなるほど残念なレベルの子どもが何の指導も受けていないことが丸出しな演技で商品やサービスを紹介する内容だ。

たぶん経営者の孫、社員の子どもか何かなのだろう、親バカ過ぎて冷静に美的水準を見極めることができず、周りからお世辞で褒められていることにも気付かずに CM出演させてしまったに違いない。

社員の皆様は取引先や顧客からの微妙な反応を受け、さぞかし苦労されているものと思われる。

あるある2. ペットが人間の言葉をしゃべりだす

飼っている犬や猫、鳥などが急にしゃべりだすというシチュエーションもありがちだ。

それがペットフードを始めとしたペット関連用品で、
「おいしいワン」
とか
「うれしいニャン」
とか言うのならまだ分からないでもないが、それらとは無関係な商品の CMで何の脈略もない場合が多いので、その演出の意図をはかりかねる。

あるある3. 父親役が情けない

男女差別、男女格差が社会問題となり、女性の立場や対応が向上するとともに食器洗い、トイレ掃除、風呂掃除などなどのCMに女性ばかり登場するのはいかがなものかという婦人団体からの猛抗議を恐れ、各企業はこぞって CMで男に掃除をさせたがる。

そして、だいたいにおいては父親の威厳も何もあったものではなく、情けない顔をして掃除している姿ばかりだ。

その他にも娘や妻から文句を言われたり叱られたりするCMも多く、そこまで見下していながらしつけなどで父親に威厳をもって子どもへ対処せよというほうが無理というものだ。

あるある4. ああ勘違い

これはもう、見るのも飽き飽き、食傷気味どころか見せられるとため息しか出てこないのが、褒められて照れたら実は違ったというやつだ。

画面の中の女性が
「きれいだなぁ」
「かわいい!」
などと言われて照れていると、あるいは画面の中の男性が
「すてきですねぇ」
「すごいですね」
と言われて照れていると、隣の異性は商品やサービスを褒めていたというオチ。

昔から使い古され、見飽きたパターンだと言うのにどうして何年かに一度はこの手の CMが登場するのか。

スポンサーにしても制作会社にしても打ち合わせの段階で気づいても良さそうなものだが。

あるある5. ポスターや看板の人が動き出す

これも見飽きるくらいに使い古されたパターンで、ポスターや看板の前で話していると、急に写真が動き出してビックリしたりするアレである。

その他にもテレビを見ていると中の人から話しかけられたり、画面から人が飛び出てきたりするのも常套手段だ。

これらはもう見飽きているので二度と作らないでいただきたい。

あるある6. 独りよがりなCM

感動させよう、させようとして何も伝わってこないCM。

泣かせよう、泣かせようとして何も伝わってこないCM。

人によって感動する場面、泣ける場面というのは異なるだろうから一概には言えないのかもしれないが、あまりにも押し付けがましく、いかにもな演出で作成された CMを見せられると感動するどころか興ざめしてしまう。

そんな CMを見せられると、むしろその企業のことが嫌いになってしまうのは自分だけだろうか。

あるある7. 笑わせようとしてダダ滑りなCM

これは上記 あるある4. に通ずるものがあるが、企画過程、制作過程でのみ盛り上がり、実際に映像化してしまうとちっとも面白くないという最悪のパターンだ。

ことの重大さに気づいたときには莫大な予算を投じた後なので、取り返しがつかないまま放映されることになってしまったのではないかと思ってしまうくらい悲惨な CMもある。

それが素人に毛の生えたくらいの役者がやって滑るのならまだしも、そこそこ名の売れたタレント、中堅のお笑い芸人などを起用してダダ滑りしたのでは目も当てられない。

お笑い芸人もタレント生命に汚点を残すことになりかねないので、出演を決める前に台本などを入念にチェックしてから仕事を引き受けるかどうか決めたほうが良いのではないだろうか。

ショウコノコト 8

ショウコがこの町にやってきたのは昨年の 9月10日のこと。

それから 5カ月が経過し、すっかり環境に慣れたようだ。

そして、年齢相応になってしまった記憶力は少しずつ元に戻りつつある。

病気をしたり環境の激変がストレスとなって記憶力が低下し、認知症やアルツハイマー病を引き起こす場合があると聞いたことがあり、それと条件が合うこともあってショウコが認知症になってしまったと覚悟したこともあった。

実は施設に入ってからのほうが物忘れが激しくなり、配達されたハガキを自分で片付けたのも忘れて清掃員の人が捨ててしまったと言ってみたり、新しく購入した電話機の使い方を何度説明しても覚えられず、次の日どころか数時間後に同じことを聞いてくる。

これはもう以前のショウコに戻ることはないのだろうと。

このままショウコの頭の中に花が咲き乱れ、花畑状態になってしまうかも知れないと覚悟したものだ。

昨年 6月の入院から 9月くらいまで自分の記憶があやふやなことはショウコも自覚しているようで、
「あの頃のことが思い出せない」
「どうやって入院したか覚えていない」
「転院したことも分からない」
などと、今になって言い出したりしている。

もっと言えば、故郷を出る際に仲良くしていただいていた近所の方々に挨拶をしに行ったこと以外は、自分と 『お買い物日記』 担当者が家具の廃棄の手配や土地と家の処分まで進めるために 2週間おきに帰省していたことも正確には把握できていないらしい。

6月に救急搬送された病院に入院していたことも、自分たちが駆けつけたことも覚えていない。

曖昧かつ断片的な記憶しかなく、故郷を出てこの町に来るまでの道中、
「子どもたちはこんな長い距離を移動して来てくれてたんだなぁ」
と、流れる車窓の風景を見ながら考えていたことは覚えていても、同乗してくれた介護師さん、運転手さんの名前も顔も、何を話したのかも覚えていないという。

確かにあの頃はショウコの記憶力の低下に愕然とし、自分たちも大いに戸惑った。

今までとは明らかに違う言動に右往左往させられ、あまりにも話しが通じないことに苛立ちを覚え、ついつい声を荒げてしまうことも少なからずあったのも事実だ。

あまりにも伝えたことを覚えていないので、施設に入るまでにしなければいけないことをリストにして紙に書き、次に来るまでにやっておくようにと言い渡し、処理が済んだらチェックマークを付けるようにさせていた。

医師は年齢相応の記憶力と言っていたが、それまでのショウコが記憶力も優れたスーパー婆さんだっただけに、その落差を見ると怒りとも悲しみとも言えぬ感情が湧いてしまったものだ。

ところが、昨年の 10月後半か 11月頃から少しずつショウコの頭の中の霧が晴れてきたようで、伝えたこと、何かを置いた場所などを忘れずに覚えているようになってきた。

以前のような記憶力は取り戻せないにせよ、普通に会話できるようにさえなれば良いと思っていたが、最近は前に会ったときの会話を覚えているし、何カ月も前に買った物の値段を 1円単位まで覚えていたりする。

そして、ずっと覚えられなかった職員さんの名前も覚えたようだし、施設に備えられている洗濯機や乾燥機の使い方もマスターしたらしい。

まだ微妙に話が噛み合わないこともないではないが、年齢以上の記憶力、以前のショウコに確実に近づきつつある。

施設での生活にもすっかり慣れ、体も心も落ち着いたとは言え、超高齢者でありながら記憶力を回復させてしまうのだから、やっぱりショウコはスーパー婆さんなのであろう。

パラリンピック

平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックの開催まで1年となり、韓国では盛り上がりをみせているという報道もあれば、国民的関心があまりにも薄いので盛り上げるのに政府や関係組織が必死になっているという情報もあるが、今の韓国は政治不信、政治不安の真っ只中にあるので後者の情報のほうが正しいのではないかと勝手に推測したりしている。

オリンピックと言えば終了後に開催されるパラリンピックへの注目度も少しずつ上がってきているようだ。

以前までは NHKや BSでさえ放送がなく、競技の結果をニュースで伝える程度だったが、前大会のリオオリンピックから放送枠が大きく拡大した。

『24時間テレビ 愛は地球を救う』などと大上段に構える日本テレビが中継しないことが腹立たしいと独り言にも書いたが、本当にその気がないのであれば安易に福祉だ何だと取り上げるべきではないと思う。

自分はと言えば、福祉とかに無関心ではないものの、どうにも自分から積極的に参加するのはちょっと気恥ずかしいというか、自分はそんな立派な人間ではないので偽善的すぎやしないだろうかなどと余計なことを考えてしまうので、陰ながらそっと応援することに徹している。

ただし、手放しですべて受け入れ、すべてに賛同している訳ではない。

例えばパラリンピックの選手がオリンピックの競技に出場したいと訴えているが、それには反対だ。

短距離走もそうだが、とくに跳躍力を競う幅跳び、三段跳び、高跳びなどなどでは義足が高性能すぎて今となっては人間離れした跳躍力を得ることができるようになっている。

決して差別的な意味ではないが、生身の体と人工的な体の持ち主が同じステージで記録を競うのは、やはりフェアとは言い難いのではないだろうか。

それを認めてしまったら、オリンピックで金メダルを得るために足を改造する人だって現れるかもしれず、それは薬物によるドーピングに類似したルール違反となってしまうのではないかと思う。

パラリンピックで活躍する人を見ると感動を覚えることも多いが、それと同時に反オリンピック的精神が見え隠れしたり、不公平感を覚えたりしてしまうこともある。

障害者のための競技だ何だとキレイ事で塗り固められているが、本質はどうなのか。

野球やソフトボールがオリンピックの種目に選ばれたり外されたりするのは競技をするためには様々な道具が必要なため、貧困国などでは普及しないことが問題点として挙げられているからだ。

しかし、パラリンピックの出場者が使っている義足はどうなのか。

まるでフォーミュラーカーのような車椅子はどうなのか。

選手がスポンサーを見つけ、強度を高めるとともに柔軟性の向上をさせて軽量化を図るという相反する難題に取り組み、それが車椅子だと空力性能にまで及び、とても個人ができることではなくなるし、開発には莫大な費用を要する。

パラリンピックはだれもが参加できる大会ではなく、選ばれし者、それは身体能力が優れているのみならずスポンサーや協力企業と手を組める人材でなければならないのではないのか。

そして、どんなに優れた人材がいたとしても発展途上国、いわゆる貧困国ではその人を支えるスポンサーも企業も存在しないと思われるため、参加できたとしてもメダルなど狙えるはずもないだろう。

車椅子マラソンなどで、まるでスポーツカーのようなものを使用する人ばかりの中で、病院で使われているような車椅子で勝てるはずがない。

そんなことを思いながらパラリンピクを見ていると、ひたむきに頑張る選手の姿に感動しつつも心のどこかに冷めた部分があることに気づく。

パラリンピック委員会が一元的にスポンサーから集めたお金や協力してくれる企業を管理し、各国の有能な選手に均等に配分するなどの制度を設けない限り、平等で公平な大会はできないような気がするのだが、現状に不満を持っている選手はいないのだろうか。

本当に公平になるようなルール作りは必要ないのだろうか。

我家あるある

生活をしていると何らかのパターンというか、身の回りで起こりがちなことというものがある。

そこで、今回は我が家のあるあるネタをいくつか。

あるある1. 芸能人の話をすると、1-2週間以内にテレビに登場する。

これは以前の雑感にも書いたような気がするが、『お買い物日記』 担当者と芸能人や文化人、スポーツ選手の話をすると、1-2週間以内にテレビで見る確率が異常に高い。

よく見る芸能人ならまだしも、
「そう言えば何年も見てないねぇ」
とか、
「あの人は芸能界を引退したんだっけ?」
など、久しく姿を見ていないどころか世間の話題にもなっていないような人の話をしても、ほぼ間違いなく画面で見ることになる。

今となっては誰かの話をしたあとで
「こうやって話題になったっていうことは近いうちにテレビで見るね」
などと二人で言い、そしてやはり何日か後にテレビに現れ、
「やっぱりね」
ということになるのだ。

もしかすると、『お買い物日記』 担当者か自分のどちらかが予知能力を授かったのかと思ったりしないこともないが、残念ながら自分たちの先のこともわからないので単なる偶然なのかも知れない。

あるある2. もうダメかと諦めると復活する。

使っているものが壊れたり、そろそろ寿命かと思って買い替えを検討したりすると復活することが多い。

ショウコが一昨年から入退院を繰り返したため何度も帰省したが、その際に大活躍したのがキャスター付きの旅行カバンだ。

持ち手がスライド式で伸び縮みするのだが、ある日の移動中に調子が悪くなり、伸ばした状態でカチッと固定できなくなってしまった。

10年以上も使い続けたものなのでいよいよ壊れてしまったのかと思い、故郷や札幌で時間がある時に旅行カバンを物色したりして買い替えの準備を進めていたところ、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、壊れてなんかないもんねぇ~」
と、慌てて気を取り直したように持ち手からカチッと音がして固定できるようになったのである。

それは一度だけではなく何カ月後かにも再び同じ症状となり、今度こそ壊れてしまったのだろうと買い替える旅行カバンを物色すると、再びカチッと元気を取り戻す。

それから症状は現れていないようだが、ショウコがこちらに来たのでもう帰省する必要はなくなり、カバンそのものを使っていないので実際のところは分からない。

もしかすると油断して、また固定できなくなっているのではないだろうか。

最近、2013年に購入したタブレット端末でも同じようなことがあった。

何度も充電を繰り返しているためのメモリー効果で、いわゆる電池持ちが悪くなってきたのは仕方のないことだが、いくら充電しても 67%以上にならないという症状が発生したのは先月の中旬のこと。

充電を開始して数時間で 100%になっていたのに半日が経過しても一日経っても 67%のままだ。

その後も充電ケーブルを繋ぎっぱなしにしておいたところ 72%にまではなったが、どう頑張ってもそれ以上にはならなかった。

いよいよ買い替えの時期かと家電量販店の新聞折込チラシやネット通販サイトで各製品の価格や性能を調べて機種選定を始めたりしていると、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、まだ頑張るもんねぇ~」
と、慌てて気を取り直したように 100%まで充電できるように復活した。

それ以来、タブレットは元気に動いているので今は買い替えを検討してもいない。

あるある3. ピーマンの種が後で必ず出てくる。

料理をしていてピーマンを切り、種をとっても後で必ず 1個は出てくるのが不思議だ。

いや、それだけの話しである。

あるある4. 一日に一度は『お買い物日記』 担当者がくしゃみを10連発する。

最初の頃は風邪でもひいたのではないかと心配したが、それが毎日のことなので今は気にならなくなった。

ほぼ間違いなく毎日、夕方のパソコンに向かっている時間、あるいは食後のどちらかにそれは始まる。

その原因は不明で本人にも理由はわからないらしい。