2013年の終わりに

毎年のことではあるが、今年も御多分にもれず例年と何ら代わり映えのしない一年が終わろうとしており、この雑感もそれを総括することで今年最後の更新となる。

昨年末の雑感に書いた、行ってみたい焼肉屋さんには9月13日に行って食べてきたので一応は目標をクリアしたことになるが、何年も前から計画しているホテルでのランチバイキングには今年も行かなかった。

そのホテルはすぐ近くにあり、平日であれば毎日ランチバイキングをやっているので、ちょっとその気になればいつでも行けるのにである。

冬は冬で寒い中をわざわざ歩いて昼食をしに行くこともないので雪が解けて自転車に乗れるようになってから・・・と思い、春になったらなったでもう少しあたたかくなってからとか思っているうちに暑くなり、それじゃあ涼しくなってからなどとグズグズしているうちに寒くなってしまうということを毎年くり返しているのが現状だ。

今年から始めたのは月一ラーメンで、夏の暑い時期を除き、一カ月に一度くらいはラーメン屋さんに行って食べてこようと 『お買い物日記』 担当者と決めたのが今年の 3月なのだが、7月~9月を休んで 10月から再開したものの 11月には行くのを忘れてしまった。

その他に美味しいカツ丼を食べさせてくれる店に行き、月に一度くらいは食べに来て良いかもしれないとか話していたのだが、結局はその一回しか店を訪れていない。

また、なぜだか 『お買い物日記』 担当者が今年になってロースカツサンドの美味しさに目覚め、月に一度くらいは食べようということになったが、それも毎月とはならず飛び飛び状態だ。

我が家では毎日摂取している食べ物が数多くある。

納豆、果物、牛乳、ヨーグルト、寒天、プルーン、ブルーベリー、大葉、梅干し、ゴマ、唐辛子、人参、酢などだが、年間 365日とまではいかずとも 250日以上は摂取しているだろう。

納豆は朝食前と夕食後、おかずとしてではなく単品で摂取しており、果物を食べてから牛乳を飲み、それから朝食にして最後に寒天とプルーンとブルーベリーが入ったヨーグルトで締めるのが毎朝のことで、昼は必ず食事の間に梅干しを大葉と共に食べ、ゴマと唐辛子と人参は味噌汁の具として入れて昼食後は必ず大さじ二杯の酢を水で薄めて飲むのが日課だ。

もう何年も続けているので何を何のために摂取しているのか分からなくなってしまったが、とりあえず数年に一度くらいしか風邪もひかなくなったし、まったく夏バテをしなくなったのは事実だ。

これだけ多くのものを毎日摂取していればそれで良さそうなものだが、今年からそれにきな粉がプラスされた。

それもどうして摂取する気になったのか今となっては覚えていないが、毎朝飲む牛乳に混ぜて飲むようになったのは先月からだ。

と、まあ、ここまですべて食べ物関係のことばかりだが、我が家では食べることが大きなウエイトを占めており、実際に時間になれば腹が減り、美味しく食べられるということは健康の証拠でもあるので来年も同じように過ごせればと思う。

健康といえば毎朝の散歩も 2004/11/16から 12年間も続けているし、夕方のラジオ体操も 2011/10/11から 2年以上続いている。

例の体操は木曜、日曜にするようにしてきたのだが、今年からめっきり回数が減って木曜の夜だけにすることが多くなってしまった。

それというのも以前より肩こりがしなくなったからで、それは続けている散歩だったりラジオ体操の効果かもしれしれない。

しかし、その我流の柔軟体操は何年前に始めたのか思い出せないくらい続けているもので、たしか大阪で暮らすようになってすぐだったようなおぼろげながらの記憶があるので始めてから 20年近くになるのではないだろうか。

それだけ続けているからか、歳の割には体に柔軟性があるほうだと思われるし、体が固かった 『お買い物日記』 担当者も若い頃より柔らかくなった状態を維持できている。

少なからず健康に役立っているのだろうから、それらの運動は来年も続けていこうと思う。

仕事面では少しずつ、本当に少しずつではあるもののお客さんが増えている。

のんびりとした風土であるのは相変わらずで、昨年末の雑感に書いた話しが一歩も先に進んでいない案件のうち 1件が進んでやっと Webページの公開に至った。

仕事は流れたものだとすっかり諦めていたというか、すでに忘れていたのが急に動き出したのだが、大阪で仕事をしていた身にとっては信じられない話しだ。

最初に話しをしてから実際に動き出すまで年単位の時間を要する。

以前に仕上げた Webページは打ち合わせから依頼が来るまで 2年、今回も 2年半の時を経てやっと実現に至ったのだから恐ろしくなるほどのスローペースだ。

実は今も年単位、月単位で話しが進んでいない案件が 2-3件ほどあるが、焦らず待っていれば機が熟して動き出すに違いないと鷹揚に構えることにしている。

来年になれば少なからず動きはあることを願いつつ、今年の雑感を終わることにしようと思う。

自分解体新書 - 17 -

自分解体新書 ~目次~

■ 足裏 その2

足の裏が痛くなり始めて一年余り。

医者に診てもらったところ疲労性の痛みだと言われ、運動を控えるようにとの指示を受けたが誤診ではないかと疑っている。

なぜなら昨年末から新年にかけて散歩もせず、室内運動もせずゴロゴロしていたのに一向に痛みは治まらなかったし、勧められたサポーターを装着していても改善は見られなかったからだ。

ところが今年のはじめをピークに少しずつ痛みが軽くなって今はさほど気にならない程度まで改善しており、ピーク時の痛みを 10とすれば今は 2くらいに落ち着いている。

なぜ、何が原因で痛くなり、なぜ自然治癒しかかっているのか分からないが、このまま完治してくれることを願っている。

■ まつ毛 その3

11月にその存在を確認した白いまつ毛だが、実はまだ右目の隅で頑張っている。

白いまつ毛は抜けやすいのか、過去に生えたものは気づかないうちに数日でなくなっていたのに今回のやつは実にたくましい。

最初はチラチラと視界に入って邪魔だったものの、今となっては慣れてしまって気にならなくなっているので、このまま順調に生育して次に生えてくる白いまつ毛と初の 2本、初の両目とかになったら少し盛り上がって楽しいのではないかと思わないでもないが、そんなことで喜ぶのは自分だけであって世間的には何の面白味もないことだったりするのが残念なところだ。

■ 胃

数カ月前、息苦しさで夜中に目を覚ました。

胸が燃えるように熱く、唾液を飲み込むことすら辛い状態で、一瞬は何が起こっているのか分からなかったが、努めて冷静になってみると普段の 10倍くらいひどい胸焼けのような感じであると思われた。

胃酸が逆流して食道付近まで上がってきている状態で、横になっていると余計につらいので布団を抜け出して部屋の中をウロウロと歩き回っていたところ、10分くらいで何とか治まったので再び布団に入って目を閉じる。

しかし、またすぐに胸が熱くなってきたので部屋の中をウロウロしていた。

それから数週間後、再び同じような症状に襲われて寝不足になったりしたので内科の定期健診の際に相談すると、胃酸を抑える薬を一週間分ほど処方してくれたので飲み続けたのだが、実は不快感を覚えた時にだけ飲めば良いものだったらしい。

それは 3カ月後の検診で教えられたのだが、医者から追加の薬を処方するか問われた際に、不思議なものであれから一度も発症していないことを伝えた。

それでも念のためにと処方してくれたが、妙なものであれ以来パッタリと症状が表れないので、まだ手付かずのまま薬は残っている。

■ 大腸

先週の雑感にも書いたが、健康診断の結果で大腸がんの精密検査を受けよとの連絡があった。

検便の結果で便潜血が認められ、その数値が 157ng/mlなので大腸がんの可能性があるため精密検査すべきとのことなのだが、ネットで調べた結果では数値が 100~300では大きな病変はなく、500以上である程度大きなポリープなど、1000を超えると癌を強く疑うということだ。

100~300で大きな問題がないのであれば精密検査などという大げさなことをしなくても良さそうなものだが、『お買い物日記』 担当者の母、自分の父、『お買い物日記』 担当者の父に続いて兄と 4人続けてがんで亡くなっており、さらには 『お買い物日記』 担当者本人まで子宮体がんを患ってしまったという経験から、早期発見の重要性を十二分に理解し、痛感している。

2年前の健康診断で胃壁の生検と病理検査をされたのも少し大きめのポリープがあったからで、今回も大腸にポリープがあるのであれば早めに切除しておく方が良いのかもしれない。

しかし、少し前に義兄も大腸検査、ポリープ切除を行ったのだが、前日からの下剤服用による準備が大変だったと聞いたので気が進まず、年明け早々にある内科の定期健診の際に精密検査の必要性を聞いてみようと思っている。

そこで心配ないということであれば、来年の健康診断まで様子をみられるのだが。

加齢と体調と寿命と

12/12の独り言にも書いたように生命保険を見直す時期になった。

まず第一に保険料は内容に変更がなくても加齢とともに高くなるように設計されており 10年毎に見直されるのだが、年齢が 20代から 30代になった時であれば数千円の違いだったものが、30代から 40代になるのであれば万円単位、40代から50代であれば数万円、50代から60代になれば約倍額と、加速度的に高額化していくので内容を見直して支払額を抑えるようにしたい。

今回提案されたのは病気の治療、入院に関する保障部分を死亡保障部分と切り離し、加齢によって高額化する料率から一生涯同一金額、つまり掛け金が年令によって変わらないものに変更するという内容だ。

そして、その料率が生命保険会社内で見直されて 12/17に改定があり、値上がりする可能性があるので今のうちに契約変更したほうが良いかもしれないという。

12/17と言えば来週の火曜日のことであり、あまりにも日数が少ないので 12日に 『お買い物日記』 担当者と二人で緊急の家族会議を開き、あれやこれやと相談していたのである。

今の契約から新しい契約にするメリットは今後は支払額が変わらず加齢によって高額化することがないという点と、保障される治療法、手術内容が圧倒的に多いという点だ。

今の契約は 20年も前のものであり、当時から比較すると医学は飛躍的に進んでいるため新しい治療法、手術にしても開腹手術ではなく体の負担の軽い内視鏡による手術など多種多様な手法が用いられるがそれらを保障するものではなく、その 20年前に可能だった療法しか適用範囲になっていない。

その差は膨大であり、適用範囲は 10倍以上に拡大されているので当時のままの契約内容で、その範囲内で治療してもらうのは困難だと思われ、やはり新しい内容で契約したほうが安心だ。

一方、変更に伴うデメリットはと言えば、将来的に値上がりはしないものの何があっても払い続けなければいけないという点にある。

今の契約では三大疾病(さんだいしっぺい)と言われる 『がん・急性心筋梗塞・脳卒中』 に襲われた場合、その後は保険料を支払う必要がなくなるが、新しい内容だと病気発症後も延々と払わなければならない。

つまり、自分が三大疾病を発症すると思うのであれば支払う必要がなくなるので現状維持、発症しないという自信があるのであれば将来的に高額にならない新契約を選択するという、一か八かの大博打みたいなものである。

それでも保険屋さんの話しを聞いた直後には新しい契約内容に変更しようという結論に達したのだが、その直後の 12日に前月の 14日に受けた健康診断の結果が届いた。

『お買い物日記』 担当者と同じ日に受けたので結果も同時に送られてきたのだが、自分にだけ別の書類が入っており、そこには 『精密検査』 の四文字が・・・。

それは採取に苦労した検便の結果、標準値より多くの血液が混じっているため大腸がんの検査を受けることを勧めるという内容だったので少し目の前が暗くなり気が重くなってしまったが、ネットで調べるとその数値は大問題でもなく大腸がんであるリスクは極めて低いことが判明した。

しかし、それでも大腸がんである可能性は 0ではない。

ということは、それはつまり三大疾病のひとつであるがんを発症した可能性を否定できないということであり、もし発症したのであれば今後は保険料を支払わなくても良いことを意味する。

ただし、今の契約のままだと大腸がんだった場合、現代医学では内視鏡や腹腔鏡によるがん細胞の切除といういたって体への負担の軽い手術をすることが多くなっているものの、その手術法は保障対象外になってしまう。

新しい契約だとそれらの手術法も適用になるものの、今後も保険料を支払わなければならないという、あちらを立てればこちらが立たず、帯に短し襷に長しという典型的なトレードオフ関係になっているため、12日の家族会議が長引いてしまったのである。

結果、たとえ手術法の範囲が狭まったとしても、もし大腸がんになったのであれば今後は保険料を支払わなくてすむ現状の契約を維持することに決めた。

17日に決定するという料率変更で多少の値上がりがあったとしても、精密検査の結果が確定した時点で新契約に移行すれば良いだろう。

しかし、これは念のための措置であり、自分としては自分が大腸がんなどではないという変な自信があったりするのではあるが・・・。

北の人々

北海道に帰ってきて来年の 2月で丸 6年が経過する。

元々は北海道で生まれ育った道産子(どさんこ)であるため、その県民性というか道民性は自分にも備わっているものであり今さらながらに認識するものでもないのだが、大阪で 13年も暮らしていると少なからず風土に馴染んで知らず知らずのうちに自分に変化をもたらしたものと思われ、こちらに帰ってきて改めて道産子の特性に気付かされることも多い。

これが一応は政令都市である札幌にでも住めば大きな違いを感じないかもしれないが、人口が数万という地方の町に暮らせばそこに住む人々はいたって大らかであり、流れる時間があまりにもゆっくりしているような感じを覚えたものである。

特に大阪は日本一歩くのが速かったり、じっと信号機が青になるのを待っていられなかったりするほどせっかちな人が多く、そんな中に 10年以上も暮らせば多少は影響を受けて歩くのが早くなったり信号無視したりするようになっていたが、こちらに帰ってくると誰もセカセカと歩いてなどおらず、交通量の極端に少ない道路であっても誰も信号無視して渡ったりしていない。

最初の数カ月間は一台も車の通らない道で信号を守っているのが馬鹿らしく思えたが、今はイライラもせずじっと信号が青になるのを待つようになった。

歩行者であるこちらが交通ルールを守るのも当然のことながら、運転する人もまた実にマナーが良く、いや、あまりにもマナーが良すぎて恐縮してしまうことも少なくない。

今でも続けている毎朝の散歩では信号のない道を歩き、信号のない交差点を通ったりするのだが、道路に立って渡りたそうな気配でも見せようものなら多くの車が止まってくれる。

こちらとしては、その一台さえ通り過ぎれば他には車が来ていないので行くのを待っているつもりなのに、そのたった一台の車が止まってくれてしまうのでペコペコと頭を下げながら小走りで道路を横断することになってしまう。

そんなことをされては逆に気を使ってしまうし、できることなら走りたくもないので可能であればそのまま通り過ぎていただきたいところなのだが、こちらにはとっても親切な人が多くて歩行者を優先させようとしてくれる。

仕方がないので最近では道路を渡りたい素振りを見せず、車が来ていたらわざと車道に背を向けて逆方向を見てみたり、街路樹に生っている実をながめたりしながら 「私は道路を渡りたくなんかありません」 的なオーラを発散させつつ、横目で車が途切れるのを待っているようにした。

建物の敷地から車道に出ようとしている車も歩行者を最優先にしてくれるので、それにもこちらが恐縮してしまうことも多い。

その車からはまだ 5メートルも 10メートルも前を歩いているのだから、大阪の、いや、普通の都会の感覚からすれば先にブオーンと発車してしまえば良いのであって、そうされてもこちらとしては身の危険を感じることも感情を害することもないのだが、こちらの運転手さんはじっと通りすぎるのを待っていてくれる。

いかにも 「待っているから渡ってね」 という雰囲気があれば、こちらとしても早足で通り過ぎたり、お先にどうぞという意思表示をしたりできるのだが、家の中から誰か出てくるのを待っているかのように後ろを見たり、出発の準備をしているかのように後部座席や隣のシートに手をやったりしているので、気にせず普通の速度で歩きながら車の前を通り過ぎると、直後にブオーンと出発して行ったことも一度や二度ではないので、歩行者を優先させてくれる運転手さんがどれだけ多いのかがうかがい知れるというものだ。

今年は少し秋が長く、今は一度降った雪も解けてしまっているが、そろそろ本格的な冬が始まろうとしており、来週は最初から終わりまで連日雪の予報が出ている。

北海道の冬は厳しく、野原は一面の雪に覆われ、冬に実をつける木々もないので野鳥はエサの確保に苦労することだろうが、渡り鳥であれば暖かい地方に移動すれば良いし、カラスであればゴミをあされば良い。

しかしスズメはそうはいかず、小さな体では海を越えて渡っていくのも不可能だろうし、雑食性であるにも関わらずカラスのようにゴミをあさる姿も目にしたことがないので冬の食生活にさぞ困っていることだろうと思っていたが、この町のスズメはみんな丸々としているのが不思議だった。

ところが数日前の独り言にも書いたように、この町には鳥を餌付けしている家が多いことが分かったので、今となってはコロッとしたスズメが多いのもうなずける。

いつも歩く散歩コースだけで 10軒ほど庭に餌台を置いており、そこには多くのスズメが集まって来ているが、いつも決まった道しか歩かないのに 10軒も見るということは、この町全体ではいったい何軒の家に餌台があり、どれだけの量のエサをスズメたちは食べさせてもらっているのか。

北海道の人に、この町の人になぜエサをあげる人が多いのかは不明だが、厳しい冬の時期に鳥たちがお腹を空かせては可哀想だという優しい気持ちの持ち主が多いのかもしれない。

しかし、それにしてもスズメにとっては厳冬どころか労せずエサにありつけるのだから暖かい時期より楽なものであり、2-3軒ほどハシゴすればお腹いっぱいになるだろう。

これほどゆったりとしており、親切でやさしい人々に囲まれながら暮らすことに慣れてしまった今、もう二度と大都会では生活することなどできないかも知れない。

田舎は不便なことも多いが、セコセコと、そしてギスギスとした中で暮らすより、のんびりとした生活をするほうが自分に向いていると改めて実感したりしている今日このごろである。