世界共通語

先週は日本文化について書いたが、最近の海外ドラマを見ていると、かなり日本文化が世界に広まってきていることを実感する。

以前は登場人物の乗る車は韓国車、使うスマホも韓国製ばかり、ちょっと前だとドラマの中でテイクアウトの食事は中華ばかりが目立った。

まさに国力、勢いの差が如実に現れていて、バブル崩壊から日本経済は大きく失速して落ち込み、設備投資などを怠っているうちに財閥資本に物を言わせた韓国勢が巨額投資などで台頭し、LG、SAMSUNGなどに家電、電子製品の世界シェアを奪われ、30年近くが経過した今も広げられた差を埋めることができずにいる。

人件費が安価だというだけの理由で日本企業の多くが中国に進出し、技術の流出が懸念された際にも日本の高度技術に追いつくには最低でも20年、いや、30年はかかるなどと根拠のない自信を見せていたが、10年もしないうちに技術は真似されたり盗用されたりし、レベルはあっという間に埋められてしまい、経済力も中国が日本を抜いて世界第二位になってしまった。

アメリカでの存在感も韓国や中国は日本を抜き、その製品などが広く使われるようになったためドラマや映画などでも多く採用されることになったのだろう。

1990年代から2010年くらいまでのドラマでは日本の存在感があまりにも薄く、忸怩たる思いをしたりしていた。

ただし、それ以前のバブル経済絶頂期に日本企業は品のない買収劇を繰り返していたので、映画やドラマで描かれる日本は、どちらかと言えば小馬鹿にされたりしていて決して良い印象の扱いではなかったものだが。

ところが最近になって情勢は変わり、今はテイクアウトの定番も外食で選ばれるのも日本食、そして劇中に日本語が多く使われるようになってきた。

会話の中で
「ありがとう(arigato)」
が度々使われるが、それは日本人が軽くお礼言う際に
「サンキュー(thankyou)」
と言うのと同じようなノリで使っているのだろう。

それ以外にも
「おはようございます(ohayo gozaimasu)」
なども時々耳にするし、警察が容疑者のアジトに踏み込む際に
「こんにちは!(konnichiwa!)」
と叫んでいるシーンもあった。

ドラマで使われるということは、ちょっとアメリカで日本語が流行っているのかもしれない。

そう言えばメジャーリーグの中継を見ていてもたまに
「さよなら(sayonara)」
「すごーい(sugoi)」
などと実況の人が言うことがある。

自然災害の多い日本ゆえ、津波(tsunami)が世界共通語になったのは分かるし、第二次世界大戦で神風(kamikaze)が有名になったのも当然だろう。

その後、日本といえば、すき焼き(sukiyaki)、てんぷら(tempra)、芸者(geisya)、富士山(fujiyama)というのが最も有名だった。

映画などで昔から侍(samurai)、忍者(ninja)は有名だったし、日本発祥のカラオケ(karaoke)はアメリカのみならず世界で通用する単語だ。

最近になると、かわいい(kawaii)、漫画(manga)などの若者文化が世界中に広まり、それに引きずられてオタク(otaku)もメジャーな世界共通語になりつつある。

携帯電話で使われる絵文字(emoji)も世界で通用するし、いかにも日本らしい折り紙(origami)や盆栽(bonsai)も広く知られるところとなった。

トヨタ生産方式の改善(kaizen)は世界のビジネス用語として定着しているし、省資源国ゆえの節約志向が根付いていた頃のもったいない(mottainai)も多くの国で使われている。

最近の日本食ブームで豆腐(tofu)、味噌(miso)、寿司(sushi)、刺身(sashimi)、テリヤキ(teriyaki)なども有名になったし、日本独特の文化とかわいい文化、手先の器用さが融合したキャラ弁の写真が世界に拡散して弁当(bento)も共通語になりつつあるようだ。

それどころか日本発祥ではないパン粉(panko)、ラーメン(ramen)も、日本語として広がりを見せている。

最近になって世界共通語となったものは、総じて明るいというかポジティブな印象のものが多いが、それは世界が日本の価値観や文化を認め、日本の良いところを見てくれているからではないだろうか。

そう言えば海外ドラマで中国マフィアや韓国の犯罪組織が登場したり、密輸先として中国や韓国の名がでることは多いが、悪い意味で日本が登場するケースは極めて少ない。

ジャパンマフィアは閉鎖的で海外進出していないのも一因かも知れないが、日本人は正直でクリーンなイメージがあるのも事実なのだろう。

せっかくアメリカが、そして世界がそういう目で見てくれているのだから、汚職(osyoku)だの、いじめ(ijime)などなどのネガティブ・イメージな言葉が世界共通語になってしまわないことを願うばかりである。