歯医者三軒目-終章-

過去に通った歯医者

その歯医者には回数にして 四十数回、期間にして半年間も通う羽目になってしまった。元はと言えばボロボロになるまで放置しておいた自分が悪いのであり、『身から出た錆び』 とか 『自業自得』 という言葉を身にしみて思い知らされたのであったが、よりによってこんな歯医者に長く通うことになるとは・・・。しかし、歯医者を選定したのも自分であるため、それも自己責任ではあるのだが・・・。

最初はオシャレな雰囲気に圧倒されたり興奮していたりしたのだが、何度も通ううちに変なことが気になりだした。待合室の大型 TV に映し出されている映画は 『ボディーガード』 など当時ヒットしていたものも多かったが、『プレデター 2』 などのような猟奇的、暴力的なものが多い。それが何度も何度も ”上映” されるので長く通っている人などは画面を見ずに本を読んだりしている。

待合室の片隅には熱帯魚が飼育されていたのだが、よく見ると水槽の上に 「院長作」 というカードが立てられている。何が 「院長作」 なのだろうと思い、近くで見てみると水槽の中には古代遺跡のオブジェが沈められており、その影からバルタン星人のフィギアがこちらを見ている。日によって古代遺跡がローマ神殿になったりバルタン星人がウルトラマンに変わったり変化を楽しんでいるようだが、とても気持ち悪い。

医者たる者は内科医であろうと外科医であろうと歯科医であろうと落ち着いた雰囲気の人が個人的には望ましい。しかし、院長と呼ばれるその先生は激情型のとってもヒステリックな人だった。患者の目の前で助手さんを平気で叱り飛ばす。その他の技師さん達にもネチネチと嫌味を言っている。その先生が主たる要因だとは思うが職場(院内)の雰囲気がギスギスしていてとても暗い。

『キレイなお姉さん』 と思っていた受付の女性が院長の奥さんなのか愛人なのか恋人なのか分からないが、助手さんたちに対する態度がやたらとでかく、高圧的に叱りつけたり何事かを指示したりしている。そこに勤めていた女医さんなどは院長に嫌味を言われても無視してみたり、悔し泣きしながら治療を続けていた。そんな状況であったから人の入れ替わりが激しく、仕事に慣れる前に辞めてしまう人が多い。

次々と新しい人が来て、一から仕事を覚えなければならないため、院長がまたイライラするという悪循環に至っていたようだ。そういったことで一番の被害を被るのは患者である。口の中の水や唾液を吸引する器具の使い方を教えるのも患者が実験台で、「吸い出すときは横から」 とシュゴゴ〜とやって見せる。「奥まで入れすぎると」 と器具を突っ込まれた時は 「おえっ!」 となってしまった。

人が 「おえっ」 となっているのに 「ほら、こうなるから」 などと説明している。「何するんじゃ〜!」 と言ってやりたかったが、その後の治療で痛くされてはたまらないので、じっと耐えるしかなかった。家族も被害にあっている。歯茎を縫い合わせる糸は抜糸の必要がないように自然に溶けてしまう 「高級な糸を使ってますからね」 などと患者に自慢するくせに、助手さんがその糸を長く使用してしまった。

すると糸の両端を持ち、横に広げながら 「もったいない」 と助手さんを叱りつけるのだが、歯茎と繋がったままの状態でそれをやるものだから唇の両端がジョリジョリされて赤くなってしまった。仕事に慣れない人ばかりのため患者として辛かったのは歯の型をとる作業である。ピンク色のデロリ〜ンとしたものを入れられ、それが固まるまで待ち、ゆっくりと外して型を抜くのだが、外し方が悪いためか何度も失敗する。

一本の歯の型をとるために 5回も 6回もやり直しである。一緒に通っていた家族は何度失敗されたか 「12回目までは数えていたけど、面倒になってやめた」 くらいなのだ。それで精巧な型がとれるのならまだしも、できて来た差し歯が合わずに取れてしまうこともあった。そんな時は再治療、差し歯の作り直しである。こちらに責任がなく、技量が未熟なために再治療になったにも関わらず金はとられる。

電化製品などのように歯にも保証期間を設けるべきだと心底から思ってしまった。そして、そんな歯医者に通うのはとても嫌だったが、カルテ類の一式を患者が入手し、他の歯医者で続きの治療を受けることは不可能なため、一度通い始めると最後まで続けなければならないという不条理きわまりない慣習である。それに加えて嫌でも通い続けて早く治療を終わられなければならない事情ができてしまった。

会社から大阪本社への転勤を言い渡されてしまったのである。その 8月は実父が入院中で余命いくばくもなく、年を越せるかどうかという状態だったので、「転勤は春まで待ってもらえませんか」 と陳情したが受け入れられず、10月の転勤が決定してしまった。そうなると 9月中に治療を終わらせなければならない。それからは滅多に使ったことのない有給休暇を乱用し、毎日のように歯医者に通った。

そして引越しを翌週に控えた 1994年 9月 22日 木曜日 最後の治療が終わった。長く辛い地獄の日々から開放された記念すべき日である。10月、引越しも無事に終わり大阪府民になった。治療が終わってから一年目の 9月・・・前歯がポロリと抜け落ちた・・・。

歯医者三軒目-序章-

過去に通った歯医者

長らく虫歯を放置していたため、折れたり崩壊した歯は 10本以上になった。前歯もガタガタになり、二ッと笑うと見える範囲で 3本も抜けている。人から 「歯医者に行かないんですか?」 と聞かれても 「これはチャームポイントなんだ!」 と言い張り、「何の特徴もない顔なんだから、これが唯一の特徴だ」 とまで言ってのけて頑ななまでに通院を拒否していた。

人と会う機会の多い仕事であれば、それなりに気を遣って治療したであろうが、当時の仕事は外部の人との接触がなかったために本人さえ気にしなければ、それほど問題はなかったのである。周りの人間も見慣れてしまっていて歯医者通いを促されることもなかった。それどころか歯の抜けた部分にタバコを挟んでみたり、その部分から煙を吐いてみたりと笑いをとるのに役立てたりしていた。

何年間かの時を経て、現場の仕事から外部の人との折衝へと仕事内容が変わり始めた頃、会社の社長に 「歯を治せ」 と言われた。その時も 「これはチャームポイント・・・」 と言って逃れようとしたが 「何がチャームポイントだ!つべこべ言わずに行って来い!」 と叱られてしまった。しかし本社は遠方にあり、社長とは滅多に会わないので 「は〜い」 と良い返事だけして、それからも放置し続けていたのである。

それからも会う度に 「まだ行ってないのか!」 と言われ続けたが、「今の仕事が一段落してから」 とか 「帰りの時間が不規則だから通院は・・・」 などと、のらりくらりと言い訳しながら引き延ばしてしていた。何度目かに会ったとき、ついに 「歯医者に行かなかったらボーナスなしじゃ!」 と言われてしまった。特にお金を使う予定もなかったが、ボーナスが貰えないのは悲しいので、仕方なしに通院する決断をした。

何年も通ったことがなく、どのように歯医者を選定すれば良いのかも分からないので、色々な人に聞いて回ったところ、人生経験豊かなご老人から 「新しい歯医者は開業資金を回収しなければならないのと、評判を良くするため一生懸命やってくれる」 との情報を得た。帰りの時間が不規則なのは本当のことだったので 『夜遅くまで診察している』 という条件を併せて探したところ、自宅の近所に該当する所があった。

自宅から徒歩 3分、開業して間もない、美容室と見まちがうようなお洒落で立派な造り、診療時間も夜 9:00までと申し分ない条件である。早々に電話で予約を入れ、通院する手続きを済ませた。通院初日、ドキドキしながらドアを開けると、そこには 「本当に歯医者か?」 と疑いたくなるような待合室があった。床はフローリング、黒い革張りのソファ、大型の TV 画面には字幕入りの洋画なんぞが映し出されている。

受付にはバッチリ化粧をし、髪をフワフワにカールさせた ”お姉さん” がすまし顔でたたずんでいる。革張りのソファに座ると体をやさしく包み込むような座り心地で頭の中には 「高級」 の二文字が浮かんできた。辺りを見渡すと床だけが木目調で、その他の調度品、壁などはモノトーンな色調に統一されている。待合室の隅には観葉植物が置かれたりしていて、これから歯の治療を受けることを忘れそうである。

名前を呼ばれ診察室に入ると待合室と同じようにモノトーンな世界が広がっていた。診察用の椅子もゴツイ感じのものではなく、お洒落でデザイン性の高いものが使われている。とにかく何から何まで 「おっされ〜」 な雰囲気なのだ。こんな場所でボロボロの歯を見せて良いのかと躊躇してしまったが、ここは間違いなく歯医者であるので 「全部治してください」 と言って口を開けた。

その歯を見た先生は 「ありゃ〜」 と言ったまましばし沈黙し、「どこから手をつけましょう?」 と言う。とりあえずは目立つ前歯からとリクエストしたものの、先生は腕組みしながら 「う〜む」 と考え込んでいる。結局その日はあらゆる角度からレントゲンを撮り、今後の計画を練って診療を終えた。帰りの受付には、さきほどとは違うが化粧をバッチリ決めた ”きれいなお姉さん” が座っていた。

自宅に戻り家族に対して、いかに ”おっされ〜” な歯医者であったかを興奮して話した結果、家族共々で通院することになった。そして、それが間違いの始まりであった。それから長い間、地獄と恐怖の苦しみを味わう事になろうとは予想だにしなかった。その歯医者の実態というのが・・・。

歯医者ネタでこれほど引っ張ることになるとは思わなかったが長文になってしまったのでまたまた続く。

歯医者停滞期

過去に通った歯医者

その始まりは先週の雑感に書いた歯医者が原因だった。あまりにも治療がヘタで、血も通わぬ問診を繰り返すような所へは行きたくなかった。しかしそれは第二の理由で、本当は遊ぶのに忙しくて歯医者通いは面倒だったというのが最大の理由である。友達と遊ぶ時間を割いてまで歯を治療したいとは思わず、徐々に進行していく虫歯を放置していたため最後には悲惨なことになってしまった。

人間には自然治癒力というものがあり、体調を崩しても怪我をしても回復するのであるが、歯だけは自然に治るものではない。理屈では解っていても痛みが去ると通院する気が失せてしまう。再び痛くなってくると通院すべきか悩むのであるが、痛い部分を氷で冷したり、正露丸を直接つめたりしているうちに痛みが治まり、再び通院する気が失せるという繰り返しだった。

最初は左上の奥歯に小さな穴が開いた。初期段階は冷たい物を口にすると、しみる程度だったが穴は徐々に大きくなり、ズキズキと痛み出した。それでも痛みには周期があり、一定時間を我慢していると嘘のように治まってしまう。それを繰り返しているうちに痛くなることがなくなってしまったので歯医者に行かずに放っておいた。もちろん虫歯は進行したままである。

それ以来、食べ物を噛むのは右側だけになったのだが、今度は右上の奥歯が腐り始めた。そこで痛みもなくなった左側で噛むようにしていたところ、今度は奥から二番目の歯が崩壊し始めた。次に噛むのを右側に戻していると右側の奥から二番目の歯が駄目になり・・・。だんだん噛む場所がなくなってきたので物を良く噛まずに飲み込む癖がついてしまった。

そんな状態になっても歯医者に行かず放置したまま生活していると、虫歯は前歯まで広がってきた。後で知ったことだが、虫歯はミュータンス菌によるもので ”菌” というくらいだから当然のことながら感染する。じつは、生まれたばかりの赤ちゃんの口の中には、虫歯菌(ミュータンス菌)はいないのだそうだ。もし、そのまま大人になれば虫歯で苦労することもない。

どうして虫歯菌が住みついてしまうのかというと、それは身近にいる親からもらってしまう。赤ちゃんが使うスプーンをうっかりなめたり、親の箸で一緒に食べさせたりすると虫歯菌が赤ちゃんの口の中に移っていくことになってしまう。虫歯になると 「丁寧に磨かないからだ!」 と叱られたものだが、実は親に原因があるので子供から 「お前のせいだ!」 と反撃されかねないのである。

そんなことはさて置き、前歯まで広がった虫歯は左側の犬歯を壊滅状態にしてしまった。すると土台を失って安定感を失ったためか、隣の挿し歯がとれてしまったのである。いよいよ歯医者に行くべきかとも思ったが、やはり面倒なので瞬間接着剤でくっつけてみた。接着剤の威力は絶大で見事に歯は固定されたのだが、少し斜めについてしまった。格好の良いものではなかったが、「まあいいや」 と再び放置。

それから少しして前歯の一本が折れてしまった。原因は虫歯が進行していたのはもちろんだが、ボキッと折れた直接の原因は喧嘩だった。殴り合いの喧嘩をしていて顔面にパンチをくらった時に弱っていた歯は衝撃に耐え切れずに、もろくも崩壊してしまったのである。折れた歯を再び瞬間接着剤でくっつけようと試みたが、断面が合わずにあえなく失敗に終わってしまった。

それから数日後、折れた歯の残りの中心部から何かがぶら下がっている。食べ物が詰まっているのかと思い、楊枝でコリコリしてみると異常な痛みが走る。何だろうと思いつつも気になってしかたないので爪ではさむようにして思い切り引っ張った。そのとたんに電流のような痛みが体を走り、脊髄までしびれた。今から考えると ”あれ” は神経だったのかもしれないが、痛みで三日間ほど寝込んでしまった。

ここまできたら、いよいよ歯医者・・・と普通の神経の持ち主であれば考えそうなものだが、『自分で神経を抜いた男』 はこんなことではめげないのである。それからも長らく歯科医の門をくぐることはなかった。笑うと前歯がなく、それ以外の歯もガタガタだったので、とても人様にお見せできるような姿ではなかったと思うが、本人は臆することもなく平気な顔をして生活していた。

そんな自分にも転機が訪れ、やむを得ぬ事情により二十数年ぶりに歯医者に通うことになった。ところがその歯医者というのが ・ ・ ・ ・ ・。 次週につづく。