歯医者二軒目

過去に通った歯医者

その歯医者は極端な商業主義だった。いささか唐突ではあるが、先週の続きである。いつも行っていた歯医者が廃業したため、次に通う歯医者を探していたところ、「知り合いが勤めている」 という理由だけで紹介された歯医者に行くことになった。腕が確かとかいう理由ではないのに少々不安を感じないでもなかったが、せっかく教えてもらったことでもあるので行ってみることにしたのである。

ましてや当時は小学生だったため、自分で歯医者を選別する見識などあるはずもない。親に 「行ってこい」 と言われれば 「は〜い」 と従わざるを得ない。なんとなく嫌な予感もしたのだが、親の命令に従い渋々ながらも通うことになってしまった。小さな町ながらも市の中心部にその歯医者はあった。それまで通っていたところとは異なり、近代的な建物である。

中に入ってみて患者の多さ驚いた。大きな待合室にたくさんの人がいる。歯医者は予約制であるから多くの人が待っているなどとは考えもしなかったし、それまで行っていたところでは他の患者さんに会うことすら少なかった。たまに待合室に座っているのは前の人が精算を待っているくらいのものである。ところが目の前には 10人以上の人が座っている。

呆気に取られながらコソコソと空いている席に座り、目だけ動かして周りを見ていると、次から次に名前が呼ばれて診察室に人が入り、次から次へと治療を終えた人が吐き出されてくる。「なぜだ?」 と考えはしたものの頭の良くない小学生に理解できるはずもなかった。考えるのをやめて足をブラブラしたりしていると名前を呼ばれた。診察室のドアを開け、中を見て驚いてしまった。

そこには数多くのイスが並び、歯医者さんが何人もいる。看護婦さんだか助手さんだかわからないが、医者の数以上の人たちも忙しそうに動き回っている。これだけの人を一度に治療できるのだから患者の回転が速いのも当然だと納得しつつも、その圧倒的な白衣の数にたじろいでしまった。「こちらですよ」 と奥の奥にある席に案内され、座って待っていると先生がやってきた。

メガネをかけた先生は感情を持っていないような冷たい目の持ち主で、子供相手だというのにニコリともせずに 「どうしました?」 と、これまた感情のこもらない冷たい口調で聞いてくる。何となく怖かったので声に出さず、イ〜っとして虫歯になっていた下前歯を指差した。その歯をいろいろな角度から見て何事かを側に立っていた助手さんに告げ、先生は立ち上がって行ってしまった。

どこに行ったのかと思えば今度は違う席で別の人の歯を診ている。なるほど医者の数より治療用のイスが多いわけだ。医者の行き先を見ていると助手さんがニコニコしながら寄ってきた。手に注射器を持ち 「麻酔しますからね〜」 などと言う。突然の出来事に驚き、口を閉じてイスにへばりついたが、そんなささやかな抵抗も空しく、口を開けさせられ歯茎に針を刺されたのだが、どうもおかしい。

その助手さんは新人だったのか、注射がとても下手で針が歯茎を突き抜けている。それに気付かないものだから注射器の液体がチュ〜っと口の中に入って来る。「大変だ〜!」 と叫びたかったが、針が刺さっているので口を動かすこともできない。針が抜かれた後でゲホゲホとむせ返ってしまい、少し薬を飲み込んでしまった。「どうしたの?」 と聞かれ事情を説明すると、「まあ!それじゃあ・・・」 と言う。

あやまってくれるのかと思ったら 「ごめんなさい」 も言わずに、もう一本注射されてしまった。二本目の注射では恐怖のあまりに体がカチカチに硬くなった。それからの治療も大変で、先生の腕はともかく、麻酔薬を飲んでしまったのがいけなかったのか 「うがいしてください」 と言われてもノドに感覚がなく上手にできない。水も口の横からデロリ〜ンとこぼれてしまった。

家に帰り、歯医者での出来事を事細かに親に報告したが、「治療が終わるまで行け」 と言う。子供にとって恐怖でしかない注射を二回もされて悲惨な目に会ったというのに 「何という言い草か!」 と思ったが、親には逆らえなかったため、仕方なく最後まで通院した。そして、その歯医者を最後に、どんなに歯が痛くなっても、どんなに虫歯でボロボロになっても 20年以上もの間、歯医者に行くことがなかった。

20年以上にも及ぶ壮絶な歯との戦いは激烈を極めた・・・が、続きは次週にすることにする。

歯医者一軒目

過去に通った歯医者

最近では少しでも歯の調子が悪くなると、すぐに歯医者に行くことにしているが、以前は長い間 ”ほったらかし” にしていた。何せ 20年間ほど歯医者に行かなかったものだから、もうこれ以上は悪くなり様がないだろうというくらいボロボロだったのである。知り合いに歯医者で治療されるときの 「キュイ〜ン」 という音と、歯を削られる感覚が好きだという人がいる。あまりにも気持ちよくて寝てしまうのだそうだ。

そんな人は珍しいのだろうが、自分は歯医者で治療を受けるのは決して好きではないが、眉をひそめるほど嫌いというわけではない。痛いのはもちろん嫌いだが、治療のときの痛み程度は我慢できる。だったら、もっとマメに通えば良さそうなものだが、歯医者の難点は通わなければいけないというところである。一回の治療で治るのであれば面倒ではないが、一本の歯が完治するまでに何度も通わなければならない。

若い頃は金がなかったのと、遊ぶのに忙しいという理由で、歯医者には行く気になれなかった。子供の頃は自分に行く気がなくても親が勝手に予約を入れて無理矢理にでも通わされた。記憶の限りでは最初に歯医者に行ったのは小学校の二年生くらいだったように思う。

その歯医者は腕(技術)には定評があるものの無愛想なことでも有名なところだった。大人でさえ 「あの先生は怖い」 と言うのだから、子供にとってはゴジラよりも怖い存在だったのである。歯医者まで一緒に来るような親ではなかったため、一人でトボトボと向かう足取りは重い。行ったことにして帰ってしまおうかと考えたことも一度や二度ではなかったが、そんな嘘はばれるに決まっているので勇気をふり絞り、重い足を引きずるようにして通ったものである。

行く前に一応は歯磨きをして行くのだが、そこは子供のやることなので、どうしても磨き残しがある。それを見つけるとマスクの奥で 「ん゛ー!」 と声を出し、器具でガリガリと削りながら叱られる。「ちゃんとキレイに磨きましょうね〜」 などと優しく諭す人ではないのである。治療中も 「はい、うがいしてください」 などとは言わない。小さな声ながらも鋭く 「うがい!」 と命令される。

長く口を開けていると疲れてきて、少しずつ開きが小さくなってくる。そんなときもアゴをワシヅカミにされて 「ん!」 と口を開けられる。まるで拷問にあっているような、軍隊で絶対服従させられているような恐怖の時間が過ぎていく。いくら怖くても声を出して泣くこともできず、恐怖におののき、目に涙を溜めたまま、時間が過ぎるまでただひたすら耐え忍んでいた。

ところが、ある日を境にその先生の態度が一変した。子供を恐怖のどん底に叩き落し、大人にでさえも恐れられていた先生が、「はい。あ〜んして」 とか 「はい。ガラガラ〜ってうがいして」 などと、とても優しい。子供ながらに気味が悪く、違う意味で恐怖を感じたりしてしまった。その変貌ぶりを家に帰って親に報告したところ、「孫ができたからかね?」 と言う。

鬼のような先生も自分に孫ができてみると 『子供は可愛い』 と感じるようになったらしいのである。当時聞いた話によると、子供に対する態度だけではなく、大人にも優しくなったらしい。人は何かのキッカケで変われるものだと、今になって思ったりしている。それからは、「腕は確かだけど偏屈な先生」 という評価から 「腕も確かで優しい先生」 という評価に変わり、多くの患者をかかえる評判の歯医者になった。

それから長らく黄金期は続いたのだが、先生が高齢になり、後を継ぐ人もいなかったのか廃業することになってしまった。残された患者は大変である。通う歯医者は簡単にコロコロと変えられるものではない。人から評判を聞いたり右往左往しながら次に通う歯医者を探すことになってしまった。

次に通うことになったところが、それから 20年もの間、自分を歯医者から遠ざける原因となった因縁の歯医者なのだが、その話は次の機会に譲ることにしようと思う。