ちょっとバタバタしていたら、もうこんな時間になっていた
何だか少し頭が痛くなりかけているが、今週は忙しいので、頭痛になっている場合ではない。
気合で乗り切るしかないと思ったりしている
ちょっとバタバタしていたら、もうこんな時間になっていた
何だか少し頭が痛くなりかけているが、今週は忙しいので、頭痛になっている場合ではない。
気合で乗り切るしかないと思ったりしている
夜になって近所のスーパーまで買い物に行ってきた。
店の横に犬が繋がれており、もの凄く不安そうな顔をしている。
きっと飼主は買い物をしているのだろう。
キョトキョトと人の目を気にしながらも店の入口を見つめ、ご主人様が帰ってくるのを待っている姿はとても健気だ。
買い物を終えて店から出ると犬の姿がなかったので、やっと戻った飼主と一緒に楽しく帰路についたものと思われる。
散歩道にある桜の木の葉は残り少なくなった。
葉が残り数枚になると思い出すのがオー・ヘンリー作の 『最後の一葉』 だ。
粗筋はウィキペディアに任せるとして、大人になって物語を思い返すと様々な疑問が頭をよぎる。
主人公は、なぜ最後の葉が落ちると自分も死ぬと信じ込んでしまったのか。
病気で寝ていた主人公に気付かれず、最高傑作の葉の絵を描くことができるのか。
そして最大の疑問は、どうしてそれが絵だと気付かなかったのか。
少しでも体を動かせば、枝と葉がずれて見えるはずであり、風が吹いてもびくともしないのは不自然すぎるだろう
純文学というのは、そんな読み方をしてはいけないのかもしれないが。