全国で銭湯の数が減り、2005年現在で 5,000軒程度だ。
家を出て、一人暮らしの始まりは風呂なしアパートだったので、そこを出るまでの 6-7年間は銭湯通いをしていた。
今の世の中には人付き合い、裸の付き合いなどなくなってしまったが、当時は友達と銭湯に行くこともあり、互いに背中を流したり湯船に浸かってくだらない話しに花を咲かせたりと、それなりにコミュニケーションを図っていた訳である。
ある日、その銭湯に行くと先に友達が来ていて洗髪をしているのを見つけた。
シャンプーが終わり、洗い流す段になったので後ろにそっと近づき、上から少しずつシャンプーを垂らしてやったところ、いつまでも泡が消えず、必死に頭をジャブジャブとすすいでいる。
それを不審に思った友達が目の前の鏡越しに自分に気付き、やっと事態を把握したかと思うと洗面器に冷水を入れてぶちまけて反撃に出たりするのだが、それが知らないオッサンにかかったりして怒鳴られたりもした。
湯船に入って何だかんだと話しをしていると、知らないオッサンやジイさんが会話に乱入してくることもあり、そこで知り合いの輪が広がったりもしたが、今ではそんな風情も失われてしまったことだろう。
そもそも最近は風呂なしのアパートなど希少物件で、各部屋に風呂もトイレも完備されているのが常識となったため、銭湯の客は減る一方で廃業が増えるのも致し方ないことかも知れない。
かなり以前の雑感にも書いたように、若い頃は髪を長く伸ばしており、今も濃くないヒゲは当時まったくと言って良いほど生えておらず、誰がどう見ても性別不明などいうものではなく、まごうことなき女として認知されるような外見だった。
それは番台のオバちゃんも同様で、ガラガラと戸を開けて男湯に入っていくたびに
「違うっ!女湯はあっち!」
と注意された。
脱衣場で服を脱ぐ際も番台のオバちゃんや周りのオッサンの注目の的で、みんなが好奇な目でこちらを見ており、どうにも落ち着かないし、いくら男同士であっても何人もの目がこちらに向けられている中で服を脱ぐのはこっ恥ずかしい。
そんなことが続き、すっかり風呂嫌いというか銭湯嫌いになってしまった自分は、人の目を気にせず入浴できる家族風呂に通うようになった。
家族風呂とは脱衣場から浴室までが個室になっている公衆浴場で、当時は銭湯の 2.5倍ほどの料金で貸し切ることができた。
家族 3人であれば、むしろ安いか、小さな子供連れだと同額で個室が使えるのだが、それを一人で使うとなると金のない学生の身分とあっては回数を減らさざるを得ない。
大衆の目にさらされて服を脱ぐ恥ずかしさに耐えてでも清潔を保つか、回数を減らして多少は頭や体の痒みに耐えてでも気兼ねなく入浴するかを検討した結果、彼女がいる訳でもモテたい訳でもない以上、家族風呂を選択するという結論に至った。
しかし、金額が 2.5倍というだけではなく、家族風呂のある場所が銭湯の 3倍の距離であったため、想像以上に入浴間隔があき、ちょっと不潔な状態が続くことになってしまったのは反省の意味も込めて記しておかねばなるまい。
しかし、が、しかしである。
うら若き青年が好奇の目にさらされて裸になるのは想像以上に恥ずかしく、想像以上にストレスを感じるものであり、不潔だと分かっていても、なかなか銭湯に足が向かなかったのである。
だったら髪を切れば良いという話しもないではないが、当時はその考えがまったく頭に浮かばず、数千円で散髪することよりも、月々数万円ほど出費が増えてでも風呂付きの部屋に引っ越すという暴挙に及び、ますます貧乏学生に拍車がかかってしまったのであった。
今は家族で風呂に入るとすればスーパー銭湯というものがあるので家族風呂という業態も減ったに違いない。
今後も公衆浴場は減り続け、古き良き文化は失われるだろう。
しかし、これも時代の流れ。
個人が使えるものがあれば公衆のものが必要とされなくなるのは電話も同じで、今では電話ボックスを見つけるのも一苦労だ。
公衆電話は 1984年の 934,903台をピークに減少が続き、2012年には約 1/4の 210,448台、銭湯は 1965年の約 22,000軒をピークに 2005年には公衆電話と同じように約 1/4となる 5,267軒となっている。
数自体は銭湯の方が少ないが、携帯電話の普及、それを使わない年齢層の人口減を考えると公衆電話のほうが早いペースで数が減っていくのではないだろうか。
いや、銭湯の利用客も高齢化が進んでいるので人口減は客数の減少に直結する。
公衆電話と銭湯、果たしてどちらが先に絶滅するのだろう。