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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2005年 9月

カウントダウン カウントダウン

  視聴率が低迷し、ナイター中継を取り止めて通常の番組を放送するテレビ局が増えている。 確かにゴールデンタイムで一桁の視聴率しか見込めないのであれば放送するのに値しないだろう。 プロ野球の将来を考えると由々しき事態ではあるが、アマとプロの垣根を高くし、セ・リーグとパ・リーグの垣根も高くして、つまらないドラフト制度を導入してきたプロ野球関係者の自業自得である。

  今年になって慌ててセ・パ交流戦を始めたり、ファンサービスの徹底を標榜しても、今まで人気の上にあぐらをかいていたがために実践や徹底が難しいようだ。 以前の雑感にも書いたが、以前からファンを大切にしているロッテはパ・リーグでありながらも観客動員数も多く、熱狂的ファンの応援に支えられて今季は成績も良くなっているので、見習うべきところは見習うべきであろう。

  人気がどん底まで下がったプロ野球は、改革に着手する大きなチャンスでもあるのではないか。 テレビの放映権料や観客動員数でジャイアンツ人気に便乗していた各球団だが、それに頼れなくなった以上は自助努力せざるを得ない。 ストライキ問題以降、ファンサービスに力を入れている球団も多いようだが、まだまだ努力できる点はあるだろう。

  そして、ジャイアンツ人気に依存していたがために制度を見直す際にもジャイアンツの発言権が強く、決定権に近い権力を与えてきたが、今後は気を使う必要などないのだから本当にプロ野球が発展できる制度改革も可能になろう。 ここは利害関係を超越した議論を徹底し、真の改革とは何かをジャッジ(審判) する必要がある。 そのためにもコミッショナー権限も大きくすべきであろう。

  ジャッジと言えば、時代が時代なのだから微妙な判定の場合はビデオによる確認などを取り入れるべきではないだろうか。 国技である相撲でさえ微妙な行司判定はビデオで確認するくらいなのだから、アンパイアも変なプライドを捨てて確かなものを導入すべきである。 そうすれば選手や監督との揉め事もなくなり、試合も円滑に進むはずである。

  今年のセ・リーグは阪神タイガースの優勝で 100%間違いなさそうだが、間隔が短いので前回ほどの盛り上がりはない。 優勝による経済効果も半減して 1,500億円程度と予想されている。 しかし、20年に一度の 3,000億円より 2年に一度の 1,500億円の方が長期的に見れば効果は大きいという事になる。

  道頓堀ダイブを阻止しようと 3メートルの壁を築いたり、大阪府警が厳戒態勢に入るなど、訳の分からない税金も使われたりしているが、壁を作ったり設置したりする業者もいる訳なので、これは一種の公共工事である。 いらない道路を作ったり、不必要な経費を請求する公務員に税金を使うよりは 「市民の安全を守る」 という名目で税金を投入する方が多少は分かりやすい。

  そんな事をせずとも道頓堀のような汚い川に飛び込まない良識を持つことが重要ではあったりするのだが・・・。 いずれにせよ、阪神タイガース優勝のカウントダウンは始まった。 少し景気が持ち直していることでもあるし、1,500億円と言わずに 3,000億円でも 5,000億円でも経済効果をもたらして、大阪の街を元気にしていただきたいものである。

2005 / 09 / 24 (土) ¦ 固定リンク

犬や猫のいる風景 2005年秋 犬や猫のいる風景 2005年秋

  自分も 『お買物日記』 担当者も揃ってボ〜っとしているからか、犬や猫も快活に飛び跳ねているより、どことなくボ〜っとした雰囲気を漂わせている奴が好きだ。 『管理人の独り言』 に何度も書いている喧嘩して負けて帰ってくる猫も普段はボ〜っとしている。昨日もウトウトしていたので 「負けたの?」 と声をかけてやると、耳をピクピクさせているくせに聞こえないふりをして横を向いてしまった。

  普段からボ〜っとしている猫なので喧嘩に勝てるはずがないと思うのだが、本人 (?) は勝てるような気がして向っていくのだろう。 何度負けても向っていくのは根性が据わっているからではなく、単に身のほど知らずなだけかもしれない。 あの調子だと、何度戦いに挑もうとも勝つことはないだろう。

  先月の雑感に書いたベランダに ”生息” している猫とお母さんの心理戦は今でも続いている。 相変わらず自分の家や隣の家のベランダで遠くを見たり、下を見たりしているのだが、その姿が何とも言えず可愛い。 以前の独り言に書いたように、ベランダの端からダラ〜ンと両手を出しており、一般的な猫座りなどしないのである。 誰に教えてもらったのか分からないが、そうしているのが楽なのであろう。

  5月の雑感に書いた窓辺から外を眺めている猫の夫婦は相変わらず仲が良い。 部屋のレイアウトが変わってしまったようで、二匹並んでいる姿を見ることは滅多にないのだが、狭い場所に寄り添って座っている姿をたまに見ると、こちらまで幸せな気分になってくる。

  同じく毎朝のようにエサを貰いに来る猫は今でも大人しく住人が顔を出すのを待っている。 この猫ものんびりしていて、あまり素早い動きを見せないのだが、先日の朝、空き地となっている草むらで何かを追って飛び跳ねていた。 (何をしているのだろう?) と行動を観察していると、どうやらキリギリスかバッタを追いかけているらしい。

  身を低くしてソロリソロリと進み、一定の距離まで近づくと一気に飛びかかるのだが、何度やっても捕獲できず、顔面から地面に落下していた。 やっぱり機敏な猫よりも、そんな間抜けな猫のほうが可愛らしくて好きになってしまうのは自分と共通する部分があるからだろうか。

  犬も素早く駆け回り、キャンキャン吠えている奴よりもボ〜っとしてノソノソ歩いているくらいの奴のほうが好きだ。 お気に入りの黒い犬はボ〜っとしていないが、性格がとても穏やかで大人しい。 散歩中も飼主をグイグイ引っ張るタイプではなく、常に歩調を合わせて歩いている。

  先日も家の前を通ると犬の姿はなかったが、犬用の虫除けが置いてあった。 少し前までは大きな缶に入った蚊取り線香だったのだが、電気ファンで蚊取り成分を拡散させる最新式のものが置いてあったので思わず笑ってしまった。 飼主は犬のためを思って購入したのだろうが、外に置いてどの程度の効果があるのか未知数だろう。 ブ〜ンとファンが回っている横で犬が寝ている姿を想像すると可笑しくてたまらない。

  本当にボ〜っとしていて大好きだった犬が二週間ほど姿を見せない。 5月の雑感に書いたように勝手に 『サイコロ犬』 と ”命名” し、その後の独り言に書いたような事情で勝手に 『監督』 と ”改名” した犬なのだが、老犬だったので天寿を全うしたのではないかと思う。

  その姿を最後に見た日、”お座り” の態勢をしていたのだが、上半身を支える両前足がカタカタと震えて、首がガクガクしていた。 最初は眠くて眠くてガクガクしているのかと思って笑いながら見ていた。 散歩からの帰り道で再び通りかかった時、その犬は崩れかける体を支えるのに必死だった。 (これはただ事ではない) と思い、立ち止まって様子を見ていたが今にも体を横たえてしまいそうな感じだ。

  「どうしたの?」 と声をかけると少しだけ顔を上げて、こちらを見てくれた。 茶色い体に真っ黒な目と鼻。 その両目と鼻のバランスが良いのか、とても可愛らしい顔をしている。 散歩を始めてから毎日のように顔を会わせ、ジ〜っとこちらを見てくれるので幸せな気分になれた犬だ。 しかし、その時の目に力はなく、すぐに下を向いてしまった。

  そして、その翌日から犬は姿を見せなくなった。 最初は大事に至ることはなく、具合が悪くなって家の中で看病してもらっているのだと思っていた。 最初に命名するきっかけとなったサイコロのオモチャはそのまま置いてあったし、エサを食べたり水を飲んだりする器も置いたままだったからだ。

  しかし一週間ほどすると、その器まで姿を消してしまった。 そして二週間経過した今も犬の姿はないままだ。 その姿や仕草で毎日楽しませてくれた犬だったので、とても切なく寂しい気持ちになってしまうのだが、高齢だったこともあるので現実としては遠くに旅立ってしまったと認識すべきだろう。

  夏も終わり、朝の空気はすっかり秋を感じることができる。 朝の散歩も気持ち良く歩ける季節を迎えたが、片付けられずに秋風に吹かれているサイコロのオモチャを見ると、まだ少し胸がチクチクしてしまう今日この頃なのである。

2005 / 09 / 17 (土) ¦ 固定リンク

過剰 過剰

  どうも過剰なことが苦手だ。 過剰サービスを受けるのも苦手で、この雑感に何度も書いているように髪を切りに行って必要以上に話しかけられたりすると困ってしまう。 受け答えするのが面倒なので話は弾まず、適当に 「はい」 とか 「いいえ」 とか、せいぜい 「そうですね」 くらいしか返事をしないので最終的に会話はなくなる。 こちらも黙っていてくれた方が楽なので目を閉じて考え事をしている。

  日本式の旅館も苦手だ。 部屋の案内からお茶のサービス、上げ膳据え膳で布団まで敷いてくれる。 しかし、実のところは食事の時間もキッカリ決まっていて 「ほれ喰え」 と言われているに等しいし、布団を敷くのだって 「さっさと寝え」 と言われているようなものだ。 旅をしている間くらいは好きな時間に寝て好きな時間に起床し、腹が減ったら食事をするという野生のような生活がしたい。

  食事をする場所で生演奏しているようなところも苦手だ。 音楽を聴いている分には何の問題もないのだが、奏者が席に近づいてきてニッコリしながらこちらを見つめて演奏されるのは、たまったものではない。 顔を引きつらせて愛想笑いはするものの、心の中では (早くあっちへ行け!) と念じてしまう。

  テレビコマーシャルなどの過剰演出も苦手だ。 空気清浄機の CM では部屋の空気がどれほど汚れているか、特殊カメラの映像と謳いつつも明らかに CG(コンピュータ映像) を加えたと思われる過度に汚い映像を流す。 絨毯や布団のダニの映像やら、キッチンや風呂のカビの映像やらが、危機感をあおるために 「これでもか!」 という勢いで流される。 そんなものは観たくもないので商品名を覚える前に画面から目を離してしまうことになるから、CM の効果などないに違いない。

  過剰演技を見るのも苦手だ。 最近、テレビコマーシャルにドンドコ山口(山口智充(DonDokoDon))氏が多く起用されているが、特にアルコール飲料系の CM で、妙にハツラツとはしゃいでいる姿を見るとこちらが気恥ずかしくなってしまう。 そういう演技を希望した演出家が悪いのであって、山口氏が悪いのではないと分かってはいるが、彼自体を嫌いになってしまいそうな気分である。

  現在は通勤の必要がないので朝食後も朝の情報系番組を観ていることが多いのだが、ある番組のレポーターに大嫌いな奴がいる。 同時刻には他局でも同じような番組を放映しているので、彼が画面に姿を現すと、さっさとチャンネルを変えることにしている。 彼はとにかく大袈裟で、猫を見たのを虎でも見たかのような勢いで話す、過剰演技、過剰レポートなのである。

  大きな被害を出した台風 14号が九州を直撃している朝、彼は現地から生中継でその模様を伝えていた。 大きな水溜りに足を入れて 「うわ!深い!」 などと、わざとらしいレポートをしたり、風と雨が吹き荒れる中を 「呼吸すらまともにすることができません!」 と叫んだり 「まともに立っていることすらできません!!」 と、道路にしゃがみこんで絶叫していた。

  ところが、「以上、現場からお伝えしました!!」 と締めくくった後に、何かのミスでカメラが切り換わらず、画面には彼の姿が写し出されたままだった。 画面がスタジオに移ったと思いこんでいる彼は、その場所ですくっと立ち上がり、スタッフのいる場所までスタスタ歩いて行ってしまった。 それを観た瞬間、「おいっ!」 と画面に向って突っ込みを入れたのは言うまでもない。

  一緒に観ていた 『お買物日記』 担当者と 「やっぱりあいつのレポートは嘘臭いだけじゃなく、本当に演技してたんだ」 と大笑いし、そして呆れてしまった。 しかし、それからというもの、彼が大嫌いなことに変わりはないが、次はどのような過剰演技を見せてくれるのか、まるでコントでも観るように楽しませてもらっている。 これからもマッチで火をつけてポンプで消すような性格をフルに活用し、現場の様子を過激に伝え続けていただきたいものである。

2005 / 09 / 10 (土) ¦ 固定リンク

確率 確率

  昨日(9/2)の朝、『お買物日記』 担当者と二人揃って腹痛に見舞われてしまった。 食中りで下痢になったわけではなく単なる腹痛が同時発生する確率やいかに?と思ったが、どうやって答えを求めたら良いのか分からないので面倒になって考えるのをやめた。 答えは分からなかったが、きっとかなり低い確率であろうと想像することができる。

  そう言えばお買物日記担当者と自分は同じ薬を飲むと同じ症状が現れる。 6月の独り言に書いたように、市販品のカゼ薬を飲むと便秘になってしまうのだが、これと同じ症状の人がどの程度いるか分からないので確率を導き出すすべがない。 同じカゼ薬でも病院で処方される薬でも同じ症状が出てしまう。

  最初は気づかなかったのだが、特定の薬を服用すると神経の一部が麻痺してしまうのである。 それに気づいたのは数年前のことだが、具体的には痛みを感じなくなるという症状だ。 病院に行かなければならないほどの風邪をひいてしまい、注射をされて薬を処方された。 そのおかげもあって風邪は回復に向ったので肩凝り予防の例の体操を始めたのだが、それがまったく効いてこない。

  普段だと 「う〜っ」 と唸ってしまうほど辛い運動もサクサクとこなせる。 どんなに体をひねろうが曲げようが、まったく痛みを感じない。 それに良く考えてみると、肩が凝っているというのすら感じない。 二人で 「ぜんぜん効かないね〜」 とか 「肩が凝っていないから効かないのかな?」 とか話していたのだが、何かがおかしい。 試しに頬をつねってみると痛みを感じない。

  これは二人で服用している薬が原因であろうという考えに至り、病院に行って相談すると、確かにそういう副作用を発症する場合があるが、それは千人に一人の割合なのだそうだ。 つまり確率は千分の一ということになり、二人揃って発症する確率は十万分の一になるので 「考えにくい」 とのことだった。 しかし、同じ症状になっているのは現実なので、とても珍しいことが我家で発生したということになる。

  薬の副作用など楽しいことではないが、とっても低い確率のことに遭遇するのは何だか気分が良い。しかし、どうせ低い確率のことを体験するのであれば、薬の副作用などではなく、宝くじにでも当たらないものだろうかと、ちょっと我が身を恨めしく思ったりしているところである。

2005 / 09 / 03 (土) ¦ 固定リンク

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