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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2004年11月

おっさんの知恵袋 おっさんの知恵袋

  現在は便利なものが色々と売られているが、そんなものに頼らなくても十分に楽をする方法はある。 このサイトの訪問者の多くは主婦の方なので、「そんなこと言われんでも知ってるわ!」 と突っ込まれそうだが、過去に厨房に入っていた時に先輩達に教えてもらったことを少しだけ。

  切れの悪くなった包丁は砥石(といし)で研ぐのは当り前だが、砥石がない場合はアルミ箔を切ると良い。 ハサミの切れが良くなるのは広く知られているが、包丁でも同様である。端と端を片手で持って輪を作り、包丁で切って二枚に、その二枚を重ねて切って四枚に、そうやっているうちに包丁の切れ味が復活する。 切れない包丁は無理に力を入れて切ることになり、怪我の原因となるのでメンテナンスには気を使いたいところだ。

  スーパーなどに行くと ”たれ” だの ”つゆ” だのが様々な料理用に売られているが、本来はそんなに必要ない。 厨房でもベースとなる濃い目の ”たれ” があるだけだ。 各料理で使う場合は濃度を変えて塩とか砂糖とかを足すだけである。 たぶん最も濃度が高い 『すき焼き』 に合わせてあるのだと思うが、それを薄めて 蕎麦、うどん、そうめん、ひやむぎなど冷たい麺用のつゆにする。

  さらに薄めて天つゆ。 もう少し薄めて親子丼やかつ丼に、さら薄めて暖かい蕎麦やうどんのつゆ。 もっと薄めてなべ物のだしにして、さらに薄めたもので炊飯すれば、炊き込み御飯ができる。 それ意外にもベースのたれの濃度を変えて煮物をつくったり、揚げだし豆腐を作ったりする。 高級料亭などと違って一般的な食堂では何を食べても似たような味がするのは、たれが共通だからだ。

  つまり、基本的なものさえあれば大半の和食をカバーできるわけだ。 最初に煮詰めているので長期保存も可能だから、一度作ってしまえば後は楽ができる。 わざわざ 『すき焼きのタレ』 だの 『うどんつゆ』 だのを買う必要がないのである。

  食器も厨房では短時間で大量に洗わなければならない。 そこで教えられたのは洗った食器の水を切るトレーの受け皿というか、かごの外側の部分のトレーを使う方法である。 トレーに触るのもやっとというくらい熱い湯を入れてスポンジに使うのと同量程度の洗剤を入れておく。 茶碗くらいの大きさの食器や、箸や取り皿など細かなものはトレーに入れた方が全体的に洗剤が付くので衛生的だ。

  湯が熱いのを我慢してガチャガチャと洗い、水切りトレーに並べていく。 受け皿を使っているので流し台が濡れてしまうが、当然のことながら流し台は水がシンクに向って流れるように設計されているので問題はない。熱い湯を使うのは殺菌のためもあるが、お湯であることと、食器も熱くなっているのが作用して、あっと言う間に水分が蒸発してく。 つまり、食器を拭く手間を減らせる訳である。

  食器が洗い終わったら、水切りトレーの下が濡れているので少しだけ洗剤が付いたままのスポンジで流し台を洗い、布巾で拭いて最後にその布巾を洗えば終了である。 これからの季節は湯を使うことが多くなるが、設定温度を上げてもガス料金に大きな影響はないので高温の湯で洗った方が衛生的かつ合理的だと思われる。 しかし、最近は食洗機 (自動食器洗い機) が普及しているので無駄知恵か。

  食器洗いと同様に入浴後、熱い湯を浴室に散布しておくと、カビ菌が死ぬし、湯が蒸発して乾きも早いのでカビ菌の繁殖を防ぐことができる。 ・・・これも浴室乾燥機などが普及してきているので、やっぱり無駄な知恵か。 だしの作り置きにしても、それが面倒だから様々な種類の製品が売っているのであろうから、結果的には無駄な知恵なのかもしれない。

  こうやって、おっさんと若い世代の隔世の差は広がる一方なのであろう。

2004 / 11 / 27 (土) ¦ 固定リンク

在宅勤務を始めて 在宅勤務を始めて

  在宅勤務生活になって一週間(5営業日)が経過した。 通勤生活を終えて在宅勤務が始まるときは寂しいような嬉しいような複雑な気分だったが、いざ始めてみると実に淡々としたものである。 最初から分かっていたことではあるが、それなりにメリットとデメリットがある。

  メリットとしては、仕事を開始する直前まで寝ていられることだが、今は通勤生活をしている頃より早起きをしているので利点を享受できていない。 仕事をしていて疲れたらゴロンと横になって体を伸ばしたり休んだりできるのだが、特に自制している訳でもないのに実質の営業時間中は横になる気分になれない。 自由に時間を使えるはずなのに、あまり自由を感じることができない。

  もうひとつのメリットとして、通勤から開放されることが挙げられるが、これは確かに楽になった。 通勤では少なからず歩いていたので、それがなくなると運動不足に陥ってしまうというデメリットも併せ持っているが、散歩を義務化したので大きな問題はない。 むしろ通勤のストレスから開放されたので寝つきが良くなったようだ。 この雑感にも 『管理人の独り言』 にも何度か書いているように、以前は不眠症に近いレベルだったのだが、今週は布団に入って 30分くらいで眠りにつくことができている。

  在宅勤務のデメリットとしてはプライベートと仕事の境界があいまいになってしまうことである。 ダラダラとして仕事が進まないというデメリットを心配していたのだが実際には逆で、プライベートにまで仕事が入り込んできたような気がする。

  通勤していたときは、家で仕事のことを思い出したり、やらなければいけないことを思い出したりしても職場の自分宛にメモ的なものを e-mail するだけだったが、今は目の前に仕事環境が整っているものだから、実質の営業時間外でも気になったら仕事をしてしまう。 結果的には通勤している頃より PC に向かっている時間が長くなったような気がする。

  もうひとつのデメリットは先週の雑感に書いたとおり、道行く人のネタを 『管理人の独り言』 に書けなくなったことである。 散歩はしているが早い時間なので、あまり多くの人に会わないし、近所の人をネタにするのも気が引ける。 まして大阪駅のように多くの人がいるわけでもなく、変な人もいない。 これだけは自分の努力で解決できるものではないので諦めるしかなさそうだ。

  いろいろとメリットもデメリットも多い在宅勤務だが、来週からは時間をうまく使い、充実した生活を送ろうと思っている。

2004 / 11 / 20 (土) ¦ 固定リンク

通勤生活を終えて 通勤生活を終えて

  2004年 11月 12日をもって、長く続けてきた通勤生活にピリオドを打った。 これから在宅勤務生活の始まりである。 在宅勤務の利点は通勤に費やされていた時間を有効に使えること、朝も遅くまで寝ていられること、疲れたらゴロンと横になれること、その他にも沢山あるが、欠点も少なくない。

  通勤してれば少なからず歩いたり階段を上ったりするが、在宅では決定的に運動不足になる。 時間を自由に使えるあまり、公私の区別をつける精神的 ”けじめ” も必要になる。 自宅に仕事環境が整っているのを良いことに、ダラダラと何時までも、そして休日までも仕事をしてしまう危険性もある。 やはり強い信念と意思をもって、これからの生活を送らねばなるまい。

  通勤生活を終えてもうひとつ残念なのは、人間観察もできなくなることだ。 『管理人の独り言』 で綴ってきたのは、その多くが通勤の際に見かけた内容ばかりだった。そのネタ集めが困難になるのはかなり痛い。 これからの独り言はテレビで観たものに対してブツブツと文句を書き連ねる ”ぼやきネタ” に終始してしまいそうである。

  独り言に書ききれないほど通勤生活では様々な人を見たり体験をしたりすることができたが、中には嫌な経験も多い。 ある日の電車内では、足を高々と組んでいるオッサンが座席に浅く腰掛けて通路の中くらいまで場所をとっていた。(邪魔だな〜) と思いつつも、それを避けて電車に乗り込んだ。 千里丘駅に着き、電車を降りるときにオッサンの足に当たってしまったので、一応は 「すみません」 と謝ったのだが、そのオッサンはこちらを睨みつけて 「チッ」 と舌打ちをしやがった。 その瞬間、怒りが爆発してしまい、オッサンの組んだ足を思いっきり蹴り上げてやった。 オッサンの 「うががぐあ゛〜」 という叫び声はドアが閉まったので途中でフェードアウトしていった。

  ある日の帰り道、駐輪場の前を歩いていると中から飛び出してきた若い兄ちゃんが運転する自転車と当たりそうになった。 駐輪場内では自転車を押して歩くように注意書きがされてる。 出口には一旦停止とも書かれているし、白線も引かれている。 さらに歩行者を確認するためのミラーまで設置されている。 すべての注意を怠った兄ちゃんが悪いのだから向こうから謝ると思っていたら、こちらを睨みつけている。 腹が立ったので兄ちゃんを見据えるように体の向きを変えたところ、「あううああう」 などと訳の分からない言葉を発しつつ足を使ってバックし始めた。 しかし、自転車でのバックは思いのほか難しく、兄ちゃんは転んでしまった。 こちらも少し驚いたが、それは自業自得である。

  通勤の行き帰りで何度か目撃したのだが、書けないでいたことがある。 その、つまり、なんと表現したら良いのか。 髪の無い部分より小さな ”ヅラ” を付けたオッチャンがいるのである。 側頭部から後頭部にはあるのだが、てっぺんには毛がない。 そこに小さなカツラを載せているものだから地肌が天使の輪のように一周している。 職場や家庭で誰も注意しないのだろうか。 それともオッチャンは笑いを振りまきたいのだろうか。 とっても気になる存在だった。

  気になると言えば、電車でいつも見かける女性のことが気になっていた。 気になるとは言え、好みのタイプであるとか、そういう気になり方ではない。 グレーや紺色のスーツ姿が多い中、髪は金、目の上は真っ青、唇は真っ赤、赤とか緑とか原色の服を身にまとい、ヒールをカンカン響かせながら歩く若い女性がいたので、その気がなくても注目してしまう。 ところが、ある日を境にして彼女の姿を見かけなくなった。 仕事を辞めたか、勤務先が変わったのだろうと思っていたのだが、ある日、隣に目をやると、地味に ”変身” した彼女が立っていた。 髪は黒く、化粧も薄く、着ている服の色も地味、ヒールではない普通の靴をはいている。 会社の上司に叱られたのか、彼氏に言われたのかは定かではないが、化粧や服装によって女性は変わるものであると思い知らされてしまった。

  最後に、以前の雑感独り言で何度か書いた職場近くの洋服屋さんの犬は、まだ大切に飼われている。 毛もバサバサで痩せており、前足も不自由になって自力で立ち上がることすらできないが、お父さんやお姉さんの愛情を一身に受けて生きている。 もう会うこともないだろうが、一日でも長く生き続けてほしいと願っている。

  そんな訳で、通勤生活を終えるに当たり、記憶に残っていたことを書き綴ったが、これからはネタ探しと運動不足解消を兼ねて散歩を日課にしようと目論んだりしているところである。

2004 / 11 / 13 (土) ¦ 固定リンク

ネーミング ネーミング

  ネーミング(命名)というのは大切なものである。 世の中に溢れる商品もネーミングによって売り上げが左右されることが多い。 以前はイメージ先行型の商品名が多かったが、その効果や効能がダイレクトに消費者に伝わる商品名が良しとされ、最近は説明書きなんだか商品名なんだかよく分からないくらいに直接的な名前を用いることが多くなっているようだ。

  個人的には、この流れの先駆けとなったのは 『小林製薬』 であろうと思っている。 この会社の商品は名前を見ただけで、それがどういう商品であるか分かる。 『あせワキパット』 は脇に使う汗を吸収してくれるパットなのだろうと容易に想像がつくし、『トイレその後に』 はトイレの後に使うものだと分かる。『ポット洗浄中』 などはポットを洗浄するもの以外は思いつかない。

  女性に多い便秘を解消する商品も大胆なネーミングのものがある。 典型的なのは 『ドッカンスリム』 とかいう商品で、飲めばドッカン!と出てくれそうだ。 『飲んでチョーキレイ』 は ”超” と ”腸” をかけているのだろうが、「飲めば便秘が治る」 というメッセージは十分に伝わってくる。 そして、これらの商品は 『○○ダイエット』 や 『○○スリム』 のようなイメージ的な名前の商品よりも売れている。

  数年前まで薬といえば最後に ”ン” の文字が付くのが一般的だった。『パンシロン』 とか 『キャベジン』、『ジキニン』 や 『ノーシン』、栄養ドリンクでも 『オロナミン』 や 『リゲイン』 など、これ以外にも最後に ”ン” が付くものが多い。 イメージだけの問題なのだろうが、最後に ”ン” が付くのと付かないのでは売り上げの差も大きかったと聞く。

  自動車で圧倒的に多かったのは ”か行” と ”さ行” で始まる名前である。 歴代の人気車種でも 『カローラ』『キューブ』『クラウン』『コルト』、『サニー』『シルビア』『スカイライン』『セリカ』『ソアラ』 など、これ以外にも見事に ”かきくけこ” か ”さしすせそ” で始まる車が多い。 実際には発売されていなくても商標登録されている数が多過ぎ、付ける名前がなくなってきたので違う名前も多くなってきたが。

  人名で使用できる漢字が増えて、これから生まれてくる子供には 『苺(いちご)』 などという名前も増えてくるものと思われる。 かなり以前の雑感に書いた通り、若い頃に大きな会館の厨房でバイトをしていた。 その会館には日本全国から研修のために人が集まって来る。 そこで知ったのだが、東北地方の女性には 『トスコ』 とか 『トスエ』 という読みの人が多い。

  漢字は 『俊子』 とか 『敏江』 などと普通なのに ”フリガナ” にそう書かれているのである。 想像するに、親が出生届を出しに行き、読みかたを確認された時に 「これはトスエって読むのか〜?」 「んだ、トスエだ〜」 という会話があり、そのまま戸籍に載ってしまったのではないかと思う。 年頃になった時に恥ずかしい思いをしたことと思うが、周りにも同じような人がいたら、それ程でもなかったのかもしれない。

  実は叔母の名前は 『冷子』 という。 何も好き好んで実の娘に ”冷たい子” と名づける親はいない。 聞くところによると、『玲子』 と命名したのだそうだが、役場に行った時に間違って 『冷子』 と記入してしまったとのことだ。 父親 (自分にとっての祖父) も相当に間抜けだが、役場の人も変だとは思わなかったのだろうか。 本当に ”冷” という字で良いのか確認してくれても良さそうなものである。

  その名が災いしてか、叔母は七十歳になる今も一人身で、生涯独身のまま人生を終えることになるものと思われる。 やはりネーミングは重要らしい。

2004 / 11 / 06 (土) ¦ 固定リンク

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