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2004年 3月

自慢話 - 2 - 自慢話 - 2 -

  2003/01/26 の雑感に 「人に自慢できるのは視力が良いことくらい」 と書いたが、その視力すらも衰えてきてしまったような気がする。 10時間も PC の画面を見続けた仕事帰りには、遠くの光がぼやけて見えるようになってしまった。 帰宅してから目の周りをマッサージすると、体がグニャグニャになってしまうほど気持ちが良い。

  先週の雑感にも書いたように、以前は帰宅してからも TV ゲームで遊び、目を酷使していたのにも関わらず、眼精疲労など無縁だったのにである。 以前は見えていた遠くの文字がぼやけて見えたり、デジタル時計の 8 と 9 の識別が困難になってきた。 2001/09/02 の雑感では 「見えないという状態が理解できない」 という主旨の文書を書いているが、それがどういう状態なのか少し分かってきた。

  唯一、人に自慢することができた視力が衰えてきた今、(人に誇れるものがない人間になってしまった・・・) と、ガッカリしていたのだが、無い知恵を絞りに絞って考えたところ、『方向感覚』 は人より優れているのではないかと思い至った。 初めて訪れる場所でも、なんとなく歩いていれば目的の場所にたどり着くことが多かったりするのである。

  以前は他の街に暮らしており、大阪には出張で来る程度だった。 当時暮らしていた街は、京都をモデルにして道路が碁盤の目のように整備されており、大阪のようにゴチャゴチャしていなかったのだが、そんな街に住む自分でも大阪の道で迷ったことがなかった。 常宿がなかったので、出張のたびに宿泊するホテルが変わるのだが、細かい地図などなくても問題はない。

  最寄の駅に到着し、腕を組んで 「う〜む」 と考え、あたりを見渡して (こっちのような気がする) と思った方向に進み、(この辺かな?) と思う角を何度か曲がれば目的のホテルが姿を現す。 同行者に 「来たことがあるの?」 と聞かれ、「いや、初めて」 と答えて驚かれたことも一度や二度ではない。 さも、知ったような顔をしてスタスタ歩くのだから当然のことだろう。

  最近、とは言っても半年くらい前のことだが、京都からの帰りに高槻駅で下車し、大好物のモスバーガーを買って帰ることにした。 高槻駅は下車するのも初めてだったこともあり、一応はホームページに載っている店の地図を確認したが、まことに大雑把な地図で正確な場所は分からない。 それでも、「行けば何とかなる」 と、JR 高槻駅で電車を降りた。

  駅前に立ち、「きっとあっちが阪急の駅に違いないと」 歩き出し、ズンズン進むとそこは間違いなく阪急の駅だった。(大きな道路沿いにあるに違いない) という先入観があったため、さすがに直ぐには見つからなかったが、繁華街を少しウロウロしているうちに (とっても近づいているような気がする) と感じた。 それからすぐに道路の角から右手を覗くとド〜ンとモスバーガーの看板があった。 やはり方向感覚が優れているのかもしれないと、内心で (むふふ〜ん) と喜んだりしたものである。

  ・・・で、これは自慢しても良いかもしれないと、今回の雑感に書いているわけだが、いろいろと思い出しているうちに嫌な記憶が蘇ってきた。 人に連れられて ”ミナミ” に行き、初めての場所で酒を飲んだ帰り、「道わかるか?」 との問いに対して 「なんとかなります」 と答えて店を出た。 いつもの通りに (たぶんこっちだ) と思う方に足を進めたのだが、だんだんと人影も減り、あたりが寂しくなってきた。

  (これは違うかも) と不安になって、すれ違う人に電車の駅を尋ねると、「反対方向ですよ」 と言われてしまった。 それからは珍しく早足で必死に歩き、やっとの思いで駅にたどり着いたのだが、時すでに遅く、終電が発車した後だった。 結局その日は泣きながらタクシーに乗り、ションボリしながら帰宅したのであった。

  そういうことがあったのだから、やはり人に自慢できるほど方向感覚に優れているわけではなさそうである・・・。

2004 / 03 / 27 (土) ¦ 固定リンク

趣味の変遷 趣味の変遷

  先週の雑感は、嗜好の移り変わりを書こうと思ったのに、結局は食べ物の好みは変わらないという情けない結論になってしまったが、趣味に関しては確実に変わってきている。 ただし、元々が高尚な趣味など嗜んでいないので、それがどんなに変わろうとも何も問題はないのであるが・・・。

  以前から一貫して変わらないのは造形に関することが好きということだ。 これは先週の雑感でも触れた ”ばあちゃん” に絵心があり、色々な動物などを描いてくれたことが影響しているものと思われる。 子供の頃から絵を描くのが好きで、お絵描き帳や新聞折込の裏面などにグリグリと訳の分からない絵を描いて喜んでいたらしい。

  中学生時代は不良で、まともに授業など受けなかったくせに、美術の時間だけは真剣に絵を描いていた。 その後、本格的に絵の勉強を始め、それが役に立ったのかどうか分からないが TV ゲームの制作をしている会社に勤めてコンピューター・グラフィックを担当した。 CG と言っても当時のパソコンや TV ゲーム機が表現できる色の数はしれており、芸術的な絵など描けなかった。

  その鬱憤は実際に手書きの絵を書くことで晴らしていたので、帰宅してから寝るまで絵を描くことに没頭していた時期もある。 今でこそ、手書きで描くことはなくなってしまったが、このサイトのトップページで使っている動画を作成したりしているので、結局は ”絵” から離れずに未だに続けている趣味のようなものである。 これに関しては、これからも変わることがないに違いない。

  一時期は仕事としていた TV ゲームをやり込んでいたが、今はあまり遊ばなくなってしまった。 以前は趣味と実益を兼ねていたので、仕事でもゲームをし、帰宅してからも他社製のゲームで遊んでいた。 新作のゲームをするために薬局でカフェインを購入し、それを服用して眠らずにゲームをやり続けたこともある。 とことん遊び、『ドラクエ』 を実質 4日で終らせたこともある。

  当時、一緒に遊んでいた友人は小学校の先生をしていたのだが、学校で子供たちがゲームに行き詰まると相談に乗ってやっていた。 「○○の町に行って、○○を探し、○○に見せると先に進める」 と助言してやると、「先生はどうして知っているの?」 と子供たちから尊敬の眼差しで見られる。 友人は、ぬけぬけと 「何でも知ってるから先生なんだ」 と言い放っていたらしい。

  かなり以前の雑感にも書いたが、マージャン、パチンコなどのバクチを趣味にしていたこともある。 それを毎日のように三年間ほど続けていた。 マージャンをしようとか、パチンコをしようと思っていなくても、通っていた喫茶店にメンバーが集まり、話をしているうちに、うずうずとバクチの虫が騒ぎ出し、気が付くとパチンコ台の前や、マージャン卓の前に座っていた。

  あれだけ毎日のようにやっていたのに、今はマージャンもパチンコもまったくやらなくなった。 不思議にやってみたいとすら思わない。 異性にしてもバクチにしても、歳をとってから覚えると深みにはまってしまうと聞くが、その通りなのかもしれない。 この歳になってバクチばかりやっていたら 『怪しげなオッサン』 である。 そういう点においては、若いうちにやっておいて良かったと思っている。

  『管理人の独り言』 に毎週のように書いている通り、今は極端な出不精になってしまい、休日は 『軽い引きこもり』 状態になっているが、若い頃は家の中になど居なかった。 休みのたびに車で出かけ、車中泊しながら走り回っていた。 走った道をペンで塗ってみると地図が真っ黒になってしまったくらいだ。 新車を購入すると、走行距離が 1000km になった時に点検を受けるが、納車の翌日の夕方に点検に行って業者の度肝を抜いたこともある。

  今は 「あんなに元気だった自分はどこに行ったのだろう」 と、我ながら心配になってしまうくらい家の中でじーっとしている。 動いているのは目とキーボードを打つ指くらいなものだ。 足腰が弱くならないように歩かなければと思ったりもするのだが、「疲れるからいいや」 と簡単に却下し、相変わらず目と指だけを動かして休日を過ごしたりしているのである。

2004 / 03 / 20 (土) ¦ 固定リンク

嗜好の変遷 嗜好の変遷

  鳥インフルエンザ騒ぎは治まる気配がない。 発端となった業者の会長が自ら命を絶つという悲しい事態になってしまったが、従業員の話や各社の報道を見ていると、責められるべきは社長の方である。 政府は業者に対する刑事告発を決めたようだが、これだけ被害を拡大させたのだから当然のことだ。 願わくば、取調べに対して、責任を故人に押し付けることなく素直に応じていただきたいものである。

  先週の続きになってしまうが、肉や卵、揚げ物などの食べ物を断っていても、それほどストレスを感じずにいられるのは、年齢とともに食の好みが変化したのも一因だと思われる。 若い頃は、揚げ物と肉ばかり食べていた。 一人暮らしが長く、自炊など面倒だったため、主食はおのずとコンビニ弁当、惣菜、外食などに頼ることになる。 数ある中でも選択するのは、どうしても好きな食べ物に偏ってしまう。

  若い頃は栄養のバランスなど気にしていないし、日本人自体が、今ほど健康に気を使っていた時代でもなかった。 そうなると、どうしても同じようなものばかりを食べ続けてしまう。 それでも当時は、若さが勝ってコレステロールや脂肪として体に蓄積されることなく、ある程度の体内バランスが保たれていたのであろう。 いや、血液中の酵素は先天性のものだから、自覚症状がなかっただけなのだろうか。

  いずれにせよ、そういった食べ物に飽き飽きしていたこともあり、今となっては食卓に並ばなくても何の不満もない。 むしろ、野菜や魚などを食べて、しみじみと (美味しいな〜) と感じる。 子供の頃は、野菜や油揚げを煮〆たものや納豆、沢庵(たくあん)、焼き魚、味噌汁などが食卓に並んでいても、食卓全体がブラウン系の色で華々しさがなく、いまひとつ気分が盛り上がらなかったが、今となっては、そういう食事の方が嬉しかったりする。

  海藻などの酢の物や、佃煮、酢味噌を使った和えものなど、(何が美味しいんだか) と思っていた。 食べなければ親に叱られるので、上目使いに顔色をうかがいながらボソボソと口に運んでいたが、今では美味しくパクパクと食べるようになった。 本当に嗜好というものは年月の経過とともに変化するものであるが、それが幸いして、今の食事生活にストレスを感じずに済んでいるのである。

  ただし、過去に好きだった食べ物が嫌いになったり、興味がなくなった訳ではない。 今でもモスバーガーは大好物なので、半年に一度は買って食べる。 お好み焼きも大好きだが、卵を使用しているため、こちらは年に一度くらいの割合で食べている。 牛や豚はそれほどでもないが、鶏(もも肉)は我慢できずに一カ月に一度くらいは食べる。

  その他、ピザも好きだが年に一度くらい、卵料理も好きだが半年に一度くらいだろうか。 卵料理と言えば、この歳になって恥ずかしいのだが、オムライスが大好物なのである。 普段は意識していないが、時々、無性にオムライスが食べたくなってしまうことがある。 しかし、卵は安易に口にできないため、このときばかりは少々のストレスを感じてしまう。

  子供の頃から変わっていないと言えば、昔も今もイチゴは大好きだ。 果物そのものではなくても、クリームやシロップなどでイチゴの風味がすると幸せな気分になってしまう。 最近もイチゴ味のカルピスを購入し、牛乳に混ぜて飲んで幸せな気分に浸っている。 今回のタイトルは 『嗜好の変遷』 としたが、ぜんぜん移り変わっていないではないか。

  以前の雑感に書いた子供の頃に育ててもらった ”ばあちゃん” が、ジャガイモやカボチャを潰して片栗粉を混ぜ、団子を焼いてくれたのを好きで良く食べていたのだが、最近になってそれを思い出し、土曜の夜は酒のつまみ、夜食をかねて毎週のように食べている。

  やはり、そうは簡単に好みは変わらないらしい・・・。

2004 / 03 / 13 (土) ¦ 固定リンク

油抜き生活 油抜き生活

  先週から引き続き、鳥インフルエンザ騒ぎが治まらない。 発端となった業者の対応も信頼を損ねることばかりだ。 こんなに近くで発生すると、やはり不安は広がる。 鶏肉や卵を食べても感染しないことは分かっているが、豚などを介しての感染や、ウイルスの突然変異による人→人感染にまで事態が進まないことを祈るばかりである。

  業者も、やっと事の重大さに気づいたのか、昨日は平身低頭して謝っていたが、これだけ悪感情を持ってしまった後では遅すぎる。 農水省も 「補助金は国民感情を考慮したうえで・・・」 と言っているし、告訴も辞さない構えだ。 それもこれも、すべて自業自得というやつである。 行政や消費者に対して、これだけ不信感を植え付けてしまったのだから、自助努力で信頼を回復させるべきである。

  先週の雑感の終わりにも書いたが、肉や卵が好きな人は困るだろうし、商売をされている人にとっては死活問題だろうが、現在は肉も卵も断っているので、店頭から牛肉や鶏肉、卵が姿を消しても個人的には大きな問題ではない。

  そもそも、何ゆえに食事制限をしているのかといえば、医者に止められたからだ。 体の調子が悪く、診てもらったところ、コレステロール値が高かったのが原因だ。 特に油っこいものを好んで食べていたわけではなく、毎日の食事も、それなりのバランスは保たれていたのにである。 医者の説明によると、血液中に含まれるコレステロールを作り出す酵素が、人よりも多いのだそうだ。

  これは先天性のものであり、治療の施しようがないらしい。 つまり、常人と同じコレステロール値を保つには、動物性タンパク質、油脂などを人よりも少なく摂取しなければならないということであり、そのためには肉や卵、油などを控えなければいけない。 最初にその話を聞いた時は、目の前が暗くなってしまった。 回数は多くないにせよ、肉や卵料理が大好きだったからだ。

  往生際わるく、「週に一度くらいは・・・」 とか 「少しなら・・・」 などと医者にすがりついたが、「ダメ」 と言われてしまった。 そして、2003年の 1月から ”油抜き生活” が始まった。 初めの頃は、焼肉の匂いにクラクラしたり、スーパーの惣菜コーナーにある揚げ物の匂いにフラフラと吸い寄せられたりしてしまったが、今となっては食べたいと思わなくなってしまった。

  むしろ、天ぷらやフライなどは食べることを想像するだけで胸焼けがしてしまう。 人間、必要に迫られると変われるものである。 コレステロールにはストレスも良くないと言われたので、無理に我慢することなく、鳥のササミやヒレ肉などは、月に一度くらいは口にしているし、肉、卵、油の三拍子揃ったカツ丼も半年に一度くらいは食べている。

  しかし、そこまでやっても血液検査をすると、常人より少し高目の値までしか下がっていない。 血液中の酵素くんが余計なことをしてくれている状態は変わらないようだ。 このまま一生、人並みの食事はできないらしい。 それでも、今となっては 「我慢する」 というほど体が要求しなくなったし、それによるストレスも感じていないので、それはそれで構わないと思っている。

  むしろ、この一年で体重が 5kg 以上も減り、体脂肪率も 20%以下になったこともあり、勝手にダイエットになっているので 「まあいいや」 と、お気楽に構えることにしているのである。

2004 / 03 / 06 (土) ¦ 固定リンク

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