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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2003年11月

迷惑 迷惑

  今日で 11月も終わり、いよいよ年末である。 毎年のことではあるが、年末から年始にかけて、街には酔っ払いが大量に出没するに違いない。 過去に何度も書いているが、人に迷惑をかけない酔い方をしていただきたいものである。 本人は気分が良いのであろうが、周りの人間は、たまったものではない。 酒臭いのは仕方ないにせよ、大声で話したり、フラフラしたりすると、うるさいし邪魔なのである。

  この前もオッサンの酔っ払い軍団が、新大阪駅から電車に乗り込んできた。 すっかり出来あがっている軍団は、人の迷惑を顧みずに大声で話し、つまらないことで 「ガハハハ」 と笑っている。 「うるさいな〜」 と思ったが、酔うと三半規管が麻痺するものなので、当然のことながら聴覚も鈍くなり、声も大きくなってしまうものだから仕方がない。

  三半規管が麻痺しているので平衡感覚も損なわれるのであろう。 オッサンの一人がつり革に掴まってグラングランしている。 体がぶつかっても謝りもせずに他のオッサンと談笑している。 腹が立ったものの、「酔っ払いを相手にしても仕方あるまい」 と自分に言い聞かせ、一歩離れて隣のつり革に移動した。 ところが、そのオッサンの揺れは益々激しさを増し、離れても体が当たる。

  「くっそ〜」 と思い、オッサンの顔を睨んでいると目があった。 それでも謝りもせずに他のオッサンと話を再開するのである。 正体を無くすほど酔っているのであれば、ある程度は許さねばならないが、性質(たち)が悪いのは、自分は酔っているから、ある程度は許されるであろうと、姑息な計算をしている奴である。 それだけの判断力が機能しているのであれば、迷惑をかけないなり、謝るなりしてほしい。

  千里丘駅に到着し、電車を降りようとしたら、そのオッサンが両手でつり革を掴み、通路の真ん中で仁王立ちになっている。 「すみません」 と言ったが、そのまま動こうとしない。 ムラムラと怒りが込み上げ、爆発しそうになったため、こちらの目つきが変わったのだろう。 仲間のオッサンが慌てて 「後ろ!」 と注意した。 それを聞いたオッサンは 「ん?」 と言いながら、ゆっくりと振り向いた。

  こちらの目からは 「殺すぞ光線」 が出ている。 「邪魔やこら!酔っ払い!」 と怒鳴ってやったら、怯えながら 「ひえ〜」 と転がるように反対側まで飛んでいった。 それだけ機敏に動けるのであれば、最初からシャキッとしていれば良いのである。 あんな酔っ払いよりは、一人で何事かをブツブツ言っている酔っ払いのほうが、よほど可愛げがある。 電車が動き出してもオッサンはうつろな目でこちらを見ていたのであった。

  迷惑と言えば、何日か前に大阪駅の階段で、やっと歩けるようになった子供の手の一方を母親が、もう一方の手を祖母がつないで降りていた。 自分にとっての子供、孫が可愛いのは理解できるが、時と場所を選ぶべきである。 朝の混雑時にそんなことをされたら、忙しい社会人にとっては迷惑でしかない。 大量の人が電車から吐き出され、急ぎ足で階段を降りている最中なのである。

  馬鹿親、馬鹿婆まる出しの二人は、ノタクタしている子供に 「上手だね〜」 とか 「はい、よいしょ、よいしょ」 などと声をかけている。 通り道を塞がれたサラリーマンは、「ちっ」 と舌打ちしながら、憎々しげな目でその光景を見ている。 そこにやって来た気の短いオッサンが 「邪魔や!!」 と一喝すると、まるで鬼でも見るかのような目で睨み、謝るどころか 「怖いおっちゃんやな〜」 と子供を抱きかかえながら言っている。

  人の迷惑を考えずに、まったく自己中心的な親子馬鹿三代なのであった。 あんな親に育てられたのでは、今は可愛い子供も、自己中心的で、人の迷惑を考えない人格が形成されるに違いない。

2003 / 11 / 30 (日) ¦ 固定リンク

乱世 乱世

  二週間前に衆議院選挙があり、11/19(水)に第二次小泉内閣が発足した。 これで政治も落ち着きを取り戻すかと思いきや、未だにガタガタしている。 イラクへの自衛隊派遣をどうするのか、年金制度をどうするのかなど問題は山積している。 経済も含めて混乱の極みにある世の中を、どのような方向に導こうとしているのか。 選挙のときに掲げていた公約は実行できるのか。

  イラクへ自衛隊を派遣すると、日本を標的にするというテロ予告が出されたりしている。「テロに屈するべきではない」 という姿勢は正しいと思うが、そもそもアメリカがイラクを攻撃したことは正しかったのだろうか。 いつの間にか 「テロとの闘い」 という定義にすり替わってしまったが、元々は 「大量破壊兵器を保有している」 というのが理由だったはずである。

  それを日本も支持し、アメリカに協力してきた。 しかし、未だに大量破壊兵器の発見に至っておらず、アメリカではブッシュ大統領に対する批判が高まっている。 来年に控えている大統領選挙で 「この戦争は不当なものである」 と主張している民主党の人が大統領に選ばれ、アメリカの態度が 180度変わってしまったら、日本の政府もアメリカの言いなりに 「戦争は間違いだった」 と態度をコロっと変えるのだろうか。

  年金に関しては問題点もいろいろあろうが、国民の負担が大きくなっても仕方ないと思う。 いつも言われる少子化に加えて、平均寿命の驚異的な伸びも大きな要因だろう。 60歳から支給されるとして、85歳までだと 25年間になる。 平均寿命 70歳の頃だと 10年間の支給だった訳だから、倍以上の期間である。年金を支える世代の数が減り続け、平気寿命が伸び続けると、どう考えたって破綻するに決まっている。

  確かに負担額が増えるのは辛いことだが、消費税が上がろうと、それに耐えるしかない。 ただし、その前に外郭団体などが訳の分からない経費を使ったり、無意味で不必要な建物を建設したりするのは中止して頂きたい。 デタラメなことを続けておきながら、国民に負担を押し付けるのは良くない。 その態度が改まらないようであれば、保険料の未納者が増えても文句を言う権利などあるはずがない。

  道路公団の新総裁が決まったが、これであの組織が正常化するのだろうか。 すっかり悪役になってしまった藤井元総裁だが、彼の言い分には多少の真理も含まれているだろう。 道路建設事業を食い物にしてきた政治家、業者は掃いて捨てるほどいるに違いない。 そうするためには、藤井氏が総裁で都合が良かった面も多かったはずである。

  テレビ局の取材などで 「こんな道路は必要ない」 と言っている地元住民の意見は、政治に反映されないのだろうか。 道路族議員は 「それは一部の意見」 と切って捨てるが、道路が必要だと言っているのは利益に結びつく業者か、土地所有者で、それこそ ”一部” の人でしかないのではなかろうか。 道路建設に関しては、住民投票などで意見を正確に反映させるべきだと思う。

  道路族議員の常套句で 「国家百年の計」 というのがある。 現在の利益より百年後に投資するのだと。 将来を見越した事業なのだと。 しかし、そんな馬鹿げた話をうのみにするほど国民は甘くはない。 少子化によって人口が減り続けるということは、車の台数も減少するということである。 第一、百年後も車はゴムのタイヤでアスファルトの上を走っていると本気で思っているのだろうか。

  人類の科学力を馬鹿にしてはいけない。 油田だって、40年後には枯渇してしまうと言われている。 それを指をくわえて見ている訳にもいくまい。 新しい原理の乗り物が登場し、アスファルトの道路が不必要になった場合、巨額の資金を投じて建設された高速道路は無用の長物となってしまう。 その責任は誰がとってくれるのだろう。 日進月歩ではなく、分進秒歩で発達する技術をまるで分かっていない。

  うむ。 久々に ”雑感” らしくなったような気がする。 自分のことばかり書いていた雑感も、もう少し短文にして軌道修正しなければ。

2003 / 11 / 23 (日) ¦ 固定リンク

トラウマ トラウマ

  先週の雑感に、誤解されやすいと書いたが、神経質な性格だと想像されている部分は強く否定できないところがある。 やや神経質であるのは自分でも分かっているからだ。 ただし、極端な神経質だったり、潔癖症などということはない。 可能なことであれば、入浴だって一週間に一度にしたいくらいである。 そうもいかないので入浴はするが、面倒でしょうがない。

  公衆トイレにも平気で座れるし、電車のつり革だって気にせず握っている。 仕事の机や部屋が散らかっていても、さほどは気にならない。 ところが、一度気になりだしたら最後、仕事を中断してでも片付け始めてしまう。 そして、それまで眠っていた ”神経質” や ”完璧主義” な部分がムクムクと頭をもたげ始め、とことんまで奇麗にしないと気が済まない。

  PC のディスプレイをガラスクリーナーで磨き、キーボードを分解して中に入っているゴミまで徹底的に掃除し、キーのひとつひとつを磨きたくなる。 細かい操作を必要とするため、マウスの反応が少しでも悪くなると、ボールを取り出して、中の部品についている汚れを徹底的に落とす。 ついでにマウスパッドの汚れも落として、完璧な状態にまで仕上げたくなってしまうのである。

  とにかく、やり始めると止まらなくなってしまうので、逆になかなか着手しないということもあるのかも知れない。 しかし、実際には多少の汚れや散らかりは気にならないので、やはり極度の神経質や潔癖症ではないものと思われる。 第一印象では神経質そうに見えるらしいが、男女の隔てなく回し飲みも平気だし、根がズボラなものだから、よく 「第一印象と違う」 と言われたりするのである。

  ただし、自分でも神経が過敏すぎると思っていることがある。 それは食事のときに、白米に色が付くことや、茶碗に色が付くことを極端に嫌うことである。 とにかく味が混ざり合うのが嫌で、取り皿もある程度使って白い部分がなくなると替えたくなってしまうくらいなのだ。 弁当でも味の違うおかず同士が接触していると気分が悪い。 ごはんに漬物を直に乗せてあるなど論外である。

  おかずを米の上に乗せてから口に運ぶこともしない。それは米にそのおかずの色がつくのが嫌だからである。 それが昂じて茶碗に色がつくのも嫌になってしまった。 納豆を食べるときも、口に入れる必要分だけの納豆を米の上に置き、納豆の色が付いた部分の米はすべて食べる。 バランスが崩れて納豆が滑り落ち、茶碗に色が付こうものなら大きく落胆してしまうのである。

  これに関しては、神経質というよりも、子供の頃に受けた心的外傷、つまりトラウマ [ Trauma ] が原因であると自覚している。 以前にも書いたが、今は頑丈な ”おっさん” になっているが、昔は体の弱い青白くヒョロヒョロした子供だった。 食も細く、普通の子供の半分くらいの量しか食べなかったらしい。 そんな子供を心配してのことだとは思うが、母親がかなり強引に食事をさせようとしていた。

  その時に、おかずを米の上に乗せてから口に入れられることを繰り返していたものだから、米は様々な色に染められていく。 そのカラフルでもあり、グロテスクでもある米を口に入れられて、気持ちが悪くなって 「べー」 と吐き出しては、ひどく叱られたりしていた。 あれは小学校に入る前なので 4 〜 5歳の頃だったと思うが、嫌で嫌で泣きながら食事をしていた記憶と、カラフルに染まった米の映像が頭から離れない。

  そんなことが原因で、今でも味が混ざり合うのと、米に色が付くことがどうしても許せなかったりするのだが、丼物やカレー、炊き込みごはんのように最初から色が付いているものまで嫌いなわけではないことだけは、付け加えておかねばなるまい。

2003 / 11 / 16 (日) ¦ 固定リンク

誤解 誤解

  どうも自分は誤解されやすいタイプらしい。 過去の雑感に 「視力が良い」 とか 「元不良」 とか 「腹が出ている」 とか 「がさつな人間」 などと書いているにも関わらず、理屈っぽい文書ばかり書いているのが原因なのだろうが、『雑感担当者』 である自分を、とても神経質でメガネをかけ、色白の痩せこけた人物であると想像している人もいるらしい。

  お会いしたことがない人に誤解される分には、「それも仕方なかろう」 と割り切ることができるが、いつも会っている人にでさえ誤解されることが多い。 それを否定したり、訂正したりしないものだから、相手は 「これは間違いない」 と思い込んでしまう。 「言い訳はしない」 などという男らしい意思によるものではなく、単に説明するのが面倒で、「勝手にそう思っているがいい」 と放っておいてしまうのがいけないのだろう。

  小学校 4 年生のころ、数人のグループが川原で焚き火をして遊んでいたことが問題になり、同級生が起立させられ、先生に叱られていた。 「その場には他に誰がいた」 という先生の詰問に対して、なんと彼はこちらを指差した。 その時は、あまりにも驚いてイスから転げ落ちそうになってしまった。 先生は鬼のような顔をして 「お前も立て!」 と言う。

  確かに、”現場” に居合わせたのは事実だが、まったく別のグループで遊んでいて、たまたま川原に行ったときには、すでに焚き火は始まっており、確かに火の側には行ったかもしれないが、そのグループとは合流せずに違う遊びをしていただけなのである。 この年齢になれば、このように順序だてて説明することができるが、4 年生当時は話を組み立てる能力に乏しく、半分は面倒だったので、だまって席を立った。

  先生は 「火遊びをしたのも悪いが、自分から正直に言わなかったのはもっと悪い」 と、さんざん叱られてしまった。 そして、”彼” がなぜ火遊び仲間だと告発したのか分からなくて、立ったまま話を半分しか聞いていなかったところ、先生の怒りの火に油を注ぐ結果となってしまい、「なんだその態度は!」 と激怒され、”彼” は許してもらったにも関わらず、自分は授業が終るまで教室の後ろに立たされたままだった。

  以前の雑感にも書いたが、仕事中は眉間にシワを寄せていることが多いため、「機嫌が悪い」 とか 「怖い人だ」 と何人から思われていたか分からない。 さらに、タバコを吸うのが原因なのか、咳払いをするのがクセになっている。 それが怒り出す前兆であると誤解され、何人かの女子社員は怯えていたと、後になって聞かされたこともある。

  ある日のこと、その女子社員 2 名から相談を持ちかけられた。 なんでも他部署の上司から、自宅での食事に招かれたので行ってみたところ、食後に食器や洗剤で有名な 『○○ウェイ』 の商品の購入を勧められ、それを断ったら上司の奥さんに 「食事までしたくせに」 と脅しとも、嫌味ともいえる言葉を浴びせられたとのことである。 その場は無事に切り抜けたが、購入を勧められ続けているという。

  「これは何とかせねば」 と思ったが、”彼” とは部署こそ違えど同じ役職だった。 本社から離れた場所で部署間がギクシャクするのもどうかと思い、総務部の部長に 「女子社員の名前を出さずに、それとなく注意してもらえませんか」 と依頼した。 部長の注意の仕方が悪かったのか、タイミングが悪かったのか、それは丁度、”彼” が出世した時期と重なってしまい、「嫉妬による中傷」 と誤解されてしまった。

  相談役と呼ばれる長老から、「人の出世を妬んで、悪く言う奴がいるらしい」 とか 「男の嫉妬はみっともない」 とか、直接ではなく間接的に警告までされる。「あの件か」 とすぐにピンときたが、言い訳するのが面倒なのと、女子社員の名前を出したくなかったため、「そうですね〜」 と適当に相づちを打っていたから、きっと 「自分のことと分かっていながら、ふてぶてしい奴」 と思われていたに違いない。

  そんなこんなで、自分は誤解されやすいタイプらしいが、言い訳するのは面倒なので、これからも 「言いたい奴は勝手に言ってろ」 と開き直って生きて行くのだと思う。 ただし、メガネをかけている訳でもなく、痩せているわけでもなく、神経質な外見でもなく、なんとなくポワ〜ンとした、がさつな人間であることだけは、声高に宣言しておこう。

2003 / 11 / 09 (日) ¦ 固定リンク

阪神タイガース 阪神タイガース

  ずいぶん前のことのように感じてしまうが、つい先日の 10月 27日 月曜日、日本シリーズはダイエーの優勝で幕を閉じた。これで 2003年のプロ野球は、その全日程を終えたことになる。当日の 『管理人の独り言』 にも書いたが、心から阪神を応援していた人、もちろん阪神の監督、選手、球団関係者は本当に残念だったと思う。阪神日本一を祝う動画を用意していた自分もガックリと肩を落とした一人ではあるが。

  しかし、これも繰り返しになってしまうが、ペナントレースの覇者であるのだから、明日のパレードは胸を張って声援に応えていただきたい。沿道に押し寄せるであろう人々は、セ・リーグの優勝を心から祝い、頑張ってくれたことに感謝しているのだから。野球シーズンが終った今でも、阪神の優勝を祝うテレビ特番が数多く放映され、未だ余韻に浸っている人も多いはずだ。

  明日、予定されているパレードは大変な盛り上がりになるに違いない。御堂筋といえば多くのビルがあるが、そこにオフィスを構える会社は羨ましい。人込みの中からでは、選手や監督が見えるか見えないか分からないが、ビルの窓からであれば、多少は遠くなってしまうものの、確実に見ることができると思うからだ。きっと臨時にオフィスを開ける企業が数多くあるに違いない。

  アメリカやヨーロッパでは、パレードが下を通る時にオフィスの窓から大量の紙吹雪が舞うが、日本であれをやると叱られるのだろうか。法律や市の条令など、何かの違反になってしまうかもしれないが、日本では、ましてや大阪では約 20年に一度しかない 『お祭り』 なのだから、可能であれば見逃していただきたいものである。壮大な感じすらしてしまう紙吹雪を見てみたいと、今は真剣に思ったりしている。

  今年のプロ野球が開幕してから、『管理人の独り言』 で何度も話題として取り上げ、阪神の戦いぶりに一喜一憂してきたが、阪神ファンになったのかと問われた場合、純粋に 「なりました」 とは応えられない。この雑感に何度も何度も書いているとおり、芸能人でもなんでも、特定の人やグループに入れ込むということがないのである。今年は阪神を応援したが、来年も応援するかは分からない。

  いったい自分の心理はどういうものなのだろうと考えていたとき、「今年の阪神ファンの中には、阪神ファンのファンがいる」 という話を聞いた。その時、目からウロコがゴソゴソと音を立てて剥がれ落ち、自分もまったくそれに当てはまることに気付いた。そう、自分が応援していたのは、純粋な阪神ファンが狂喜乱舞し、喜ぶ姿を見るのが楽しかったからなのだ。

  テレビ中継を見ていても、阪神ファンの掲げるカードは他球団のものより楽しい。七回の攻撃前に空に舞う風船が美しい。阪神が勝利したら 『六甲おろし』 を合唱し、勝利の余韻に浸って、いつまでも帰ろうとしない人たちがいじらしい。会社の行き帰りにスポーツ新聞を嬉しそうに読んでいる人が微笑ましい。どう考えても優勝が確実となったときでも、勝ち慣れていないファンが 「まだまだ」 と言っている姿も可愛い。

  道頓堀に飛び込んだり、街中で暴れたり、いくら阪神が好きでも段取りが気に入らないというだけで、球団関係者を脅したりするバカは論外として、阪神ファン歴 ○十年や、多少のことは犠牲にしても阪神を応援しているという生粋のファンを見ていると、勝って喜ぶ姿を見たくなってしまう。そういう人たちが喜ぶ姿を見たいがため、阪神の勝利、優勝、日本一を願っていたような気がする。

  残念ながら、星野監督の勇退が発表され、コーチ陣などスタッフも大幅に入れ替わってしまう。FA 権を獲得した選手の動向も気になるところだ。今年の戦力をそのまま来年に引き継ぐことは不可能であろう。岡田氏の監督しての適正は未知数である。来期も今年と同じように ”強い阪神” でいられるかということに関しては、疑問符の方が大きいような気がしている。

  それでも、阪神ファンがいるかぎり、その喜ぶ姿を見て、そのパワーの分け前をあずかりたくて、来期も陰ながら応援しているような気がしたりしているのであった。

2003 / 11 / 02 (日) ¦ 固定リンク

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