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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2003年10月

潮流 潮流

  時は流れる。その時代とともに現れては消えるものがあり、流行も移り変わる。その流れを上手につかむことができた企業は、大きな利益を享受することができるが、流れに乗り遅れた場合は、過大な在庫を抱えてしまうことになりかねない。古くは 『ポケベル』 や 『たまごっち』、最近では 『フリース』 や 『365 日のバースデーテディ』 などが典型的な例である。

  ブームとなり、商品が品薄状態にまで発展してしまう。やっと増産体勢が整い、大量に生産できるころにはブームが去ってしまい、膨大な在庫を抱えてしまう。計画より大量に売れてしまった場合は、各企業にとって 『嬉しい悲鳴』 をあげるのと同時に 『恐怖の足音』 が迫ってきている。ブームが去ると、売れなくなった在庫を処分するためには、値段を下げなくてはならず、結果的に赤字だったという話も少なくない。

  最近では試験的に販売してみて、予想以上の売り上げだった場合は、量産体勢が整うまで出荷を停止するケースが増えている。とことんまでハングリーマーケットにしておいて、一気に販売してブームが終息するタイミングを見極め、過剰な在庫を抱えるリスクを回避しようという戦略だ。それも決して簡単なことではないが、これだけ短期間に流行が変化する時代には必要な処置だと思われる。

  とくに怖いのは若い女性、それも女子高生を中心とした世代での流行である。流行は短期間で一気に広まるが、それが終息する早さも尋常ではない。昨日まで持てはやされていたものが、今日にはすでにダサいと言われる。ダサいという言葉自体が死後なのであろうが・・・。大流行し、今現在も生き残っているものと言えば 『ルーズソックス』 くらいのものである。

  安室奈美恵の登場で女子高生の眉が細くなり、色の黒い化粧が流行した。それが、どう間違ったのか、黒い顔面に目の周りと唇が白い、通称 『ヤマンバ』 とういう化粧法に発展したが、今は絶滅してしまったようだ。浜崎あゆみの登場で、髪を染めて目の周りが黒い化粧が流行して、現在に至っているが、どうやらそれにも陰りが見え始めたように思う。

  我家には女性誌が存在しないので、正確な情報でもなければ、人から聞いた情報でもないのだが、テレビを観ていて気になったのが、女性タレントの化粧法である。まだまだ少数ではあるものの、あたかもスッピンに見えるような化粧をしている人がいる。目の周りはもちろんのこと、唇にさえ極端な色の変化が見られない。本当に 「顔を洗ってそのまま来ました」 という雰囲気なのである。

  それだけ自然に見せるのは、逆に難しいことであり、かなり大量の化粧品を使用しているのかもしれないが、明らかに今までの化粧とは異なる。これは何かで聞いた話だが、日本女性の髪が黒髪に戻りつつあるという。我も我もと、こぞって髪を染めていたが、それが面倒になったのか、それとも流行ではなくなってきたのか。”あたかもスッピンに見えるような化粧” と ”黒髪” が、明日の流行になるかもしれない。

  最近になって毛染めの新製品を発売したメーカーや、「まつ毛がこんなに長くなる」 だの 「ボリュームたっぷり」 だのという化粧品を発売したメーカーは、今のファッションが当面は続くと思っているのかもしれないが、何となく当てがはずれてしまうような気がする。何せ ”黒髪” で ”あたかもスッピンに見えるような化粧” をしていたのは、女性からも広く支持されている人である。

  ・ ・ ・ 流行を牽引するパワーを持った女子高生が、明日にも動き出すかもしれない ・ ・ ・ 。

2003 / 10 / 26 (日) ¦ 固定リンク

  この雑感や 『管理人の独り言』 に何度も書いているとおり、四つ足の動物、それも ”犬” が大好きだ。子供の頃には飼い犬に引きずられて、足の広い範囲の皮がむけてしまったり、よその犬に噛みつかれて大怪我をしたこともある。普通であれば、それがトラウマとなって犬嫌いになりそうなものだが、以前と変わらずに今でも身近な動物の中では犬が大好きなのである。

  こちらが犬好きなのが分かるのか、犬の方から寄ってくることが多い。前にも書いたが、真っ黒な大型犬が飼い主のお母さんを引きずるようにして走ってきたり、見知らぬ犬が誰かと勘違いして飼い主の制止を振り切って寄ってきたりする。飼い主は、犬が人に近づこうとすると迷惑をかけてはいけないと思って 「これ!」 と犬を叱ったり、こちらに向かって 「すみません」 と謝ったりするが、何も迷惑だと思わない。

  何度も書いている ”お気に入り” の黒い犬もこちらに近づいてきて、鼻をくっつけるようにして 「フンフン」 と匂いをかがれたことも一度や二度ではない。三匹のシーズー犬がワチャワチャと足にまとわりついて来たこともある。仕事帰りで 「スーツが汚れるな〜」 と思ったが、犬が好きなので 「まあいいや」 と、されるがままになっている。飼い主は 「すみません」 と恐縮するが、迷惑だなんて思っていないのである。

  かなり以前の話になるが、友人の家で当時としては珍しかった 『チャウチャウ』 を飼っていた。中型犬のはずだが、その犬は異様に大きい。友人は 「飯を食わせすぎた」 と嘆いていたが、普通は食事を与えすぎると太るものであって、大きさそのものに影響するものではないはずだ。あれだけ大きく育ったのは、もともと大きくなる DNA を受け継いでいたものと思われる。

  大きくて力が強いため、友人の母親では散歩させることもできない。友人が留守のときなどは、代わりに散歩係りを買って出ていた。友人宅の目の前に小学校があり、下校時に散歩させていると子供達がワラワラと集まってきて 「クマ?」 だの 「ライオン?」 だのと言われる。その度にチャウチャウは首をうなだれて、しょんぼりした雰囲気になってしまう。

  「不憫な奴」 と思いつつ 「これは犬だよ」 と教えてやっても 「うそだ〜」 と言ってなかなか信じてもらえない。そこでチャウチャウは腹に据えかねたのか、犬だという事を証明したかったのか、子供達に向かって 「ワンワン」 と吠えるのであった。その声を聞いて 「本当だ、犬だ」 と認めてもらえるのだが、最後には 「変な犬」 と言い捨てて子供達は去って行く。その後姿を寂しそうに見つめている犬があわれだった。

  何度も散歩をさせたり、友人が犬を連れて当時住んでいたボロアパートに遊びに来たりしていたものだから、その犬とはすっかり仲良くなっていたのだが、ある日を境に犬が ”勝手に” 遊びにくるようになった。朝方までマージャンをして昼過ぎまで寝ていると、ボロアパートのドアに 「ドスン!ドスン!」 と体当たりする音で目が覚める。何事かとドアを開けてみると、チャウチャウが部屋に入ってくるのである。

  家から歩いて五分程度の距離とは言え、その間には交通量の多い国道もある。最初は友人が隠れているのだと思って、名前を呼んだりしていたが、人のいる気配がしない。電話して聞いたところ、勝手に外出したのだと言う。「家の人が心配しているから帰ろうね」 と首輪を引っぱっても、前足を踏ん張って動こうとしない。しかたないので放っておくことにし、もう一度布団に入った。

  するとチャウチャウは遊んでほしいものだから布団の上に乗ってくる。異様に大きく育った犬に乗られると重くてたまらない。「じゃまだ!」 と言って犬を布団から下ろしても、今度は頭をグリグリと押し付けたり、前足で顔を触ったりするので、寝ていられたものではない。結局は、そのまま布団の上で犬との格闘になってしまう。ひとしきり遊ぶとドアの前で 「ワン」 と一声鳴き、開けてやると勝手に帰って行くのだった。

  たまに勝手に遊びに来ても、こちらが外出中の場合がある。そんな時は、腹いせのためか、ドアの前に糞をして帰るというとんでもない奴だったが、それでも憎むことができない愛嬌のある犬だった。これは二十年以上も前の話なので、生きているはずがないが、今でも大型犬を見るたびに 「可愛い犬だったな〜」 と感慨深く思い出したりするのであった。

2003 / 10 / 19 (日) ¦ 固定リンク

人のふり見て 人のふり見て

  『人のふり見て我がふり直せ』 とは、他人の行為の善悪を見て、自分の行為を反省し改めよ。という誠に有り難いお言葉である。普段からそれを気にとめているわけではないが、見ていて 「ああはなりたくないな〜」 と思ってしまうことは良くある。それを特に感じるのは、平気な顔をして他人に迷惑をかけている人を見かけたときだ。それほど大きな迷惑を被っているわけではないが、腹立たしいことが数多くある。

  先週の水曜日、帰りの JR は神戸あたりで人身事故があったとのことで、ダイヤが大幅に乱れていた。だぶん、そのことについてだと思うが、年配の女性が改札のところにいる駅員さんに向かって、大声で文句を言っている。その声といったら広い大阪駅に響き渡るほどの大きさで、耳の奥がキーンとしてしまうくらいだ。ネイティブな関西弁で早口なものだから何を言っているのかさえも理解できなかった。

  文句のひとつも言いたくなることはあるだろうが、他人の耳にダメージを与えるくらい大きな声を出さなくても良いと思う。さらに、その女性は改札横のカウンターをバンバン叩きつけて興奮している。かなりヒステリックな人なのだと思うが、見ると目は三角に釣りあがり、口から泡を飛ばさんばかりの勢いで何事かをまくし立てている。若くて気の弱そうな駅員さんは目をキョトキョトさせて、しきりに謝っていた。

  腹に据えかねたことに対して、大声で文句を言えば気が済むのだろうが、周りから畏怖の目で見られるほど過激な抗議はしない方がよろしい。あれでは、たとえ主張が正しくとも正しいことをしているようには見られないだろう。正確には分からなかったが、例えばそれが電車の遅れに関することであったとするならば、人身事故を起こしたのは、その駅員さんではない。他にもっと言いようがあるだろう。

  見ていて腹立たしいのは混んでいる電車の座席で足を組んでいる奴である。そういうのを見ると、思い切り組んでいる足を蹴飛ばしたくなる。眠ってしまっているのならば仕方がないが、乗り込んでくる人を見ながら、それでも組んだ足を降ろさずにいる奴は本当に腹が立つ。そういう嫌な奴を見ているから 「自分は絶対に足を組むまい」 と自分自身に言い聞かせ、通勤電車では足を組まないようにしている。

  駅構内など人の多い通路の中央で立ち話をしている女性も多い。明らかに通行人の邪魔になっているのに、会話に夢中で他人のことなど気にしていない。通路の端に寄って話せば良いのに、堂々と真ん中で、両足で大地をしっかりと踏みしめて仁王立ちになっている。たまに気の短いおっさんが 「邪魔や!」 と文句を言うと、まるで相手が悪いかのように逆ギレして睨みつけている。

  携帯電話で話しながら歩いていて、相手との会話で 「え!?」 と言いながら、急に立ち止まるのも女性が多い。先週もそういう女性がおり、急に立ち止まったため後ろから衝突してしまった。一応は 「すみません」 と謝ったのだが、女性は鬼のような顔をしてこちらを睨んでいる。どっちが悪いのか考えたら解りそうなものだが、あくまでも当たってきた方が悪いと思っているらしい。

  TV のバラエティ番組などで良く聞く話を実体験してしまったこともある。かなり前の話だが、JR の券売機に並んでいると、前に並んでいるオバハンは隣のオバハンとペチャクチャ話をしている。いざ自分の番になったという時にバッグを券売機の前に置いて中の財布を探し出す。そして、その時になって行き先までの料金を 2-3歩さがって上にある表示を見ながら確認している。

  それもなかなか見つけられずに隣のオバハンに聞いたりしているのである。そんなものを待っている必要もなかろうと、先に乗車券を買おうとしたら 「ちょっと!順番守ってや!」 と文句を言われてしまった。この世に法律さえなければ、マシンガンを乱射してオバハンを蜂の巣にしてやりたい気分だった。挙句の果てには券売機の使い方が解らずに 「あーでもない、こーでもない」 とウロウロしている。

  あまりにも腹が立ったので隣の列に並び直して乗車券を買ったのだが、当のオバハンは、その時になっても券を買えずに券売機の前で 「解りにくい」 と文句を言ったりしているのであった。

2003 / 10 / 12 (日) ¦ 固定リンク

  唐突ではあるが、指は偉い。世の中にあるどんな道具よりも便利である。右手と左手の指はバラバラに動かすことができるし一本ずつ違う動きも可能だ。そのおかけで人はピアノ、ギターなどの楽器も演奏できるし、こうやってパソコンのキーボードだって打てる。人間に指がなければ編物もできないから未だに全裸の生活をしていたかもしれないし、知能も文明も、これ程までには発達しなかったに違いない。

  実はとても恥ずかしい話だが、いい歳になるまで指の名称を完全には把握していなかった。なんと薬指というのは小指のことだと思っていたのである。なぜそのようにインプットされてしまったのかは不明だが、子供の頃から成人しても 『薬指 = 小指』 なのだと信じて疑わなかった。それが誤りだと気付いたのは知り合いの結婚式に主席し、指輪の交換を見たときである。

  結婚式の二次会でその話をすると、友人から 「じゃあ薬指のことを何と呼んでいたのだ」 と聞かれ、「・・・お姉さん指」 と答えると腹を抱え、涙を流して大笑いされてしまった。親指から始まって人差し指 → 中指 → お姉さん指 → 小指、そして小指には薬指という別称まであってズルイと思っていたと説明すると、「このバカが」 と罵られ、それを肴に酒は進み二次会はたいそう盛り上がったのだった。

  そんな間抜けな話はさておき、やっぱり指はえらいと思うのである。精密機械の回転部分を支えるボールベアリングという部品には 1mm 以下の小さな球体が入れられているが、回転を円滑にするためには完全球体に限りなく近いボールが必要になる。それを製造する工程で最後に検査するのは人の指だ。1000分の 1以下の歪みも指は感知することができる。

  職人技までいかなくてもツルツルの板の表面に落ちている髪の毛くらいは普通の人だって感知できる。肌に触れればスベスベしているか、ザラザラしているかなどの判断だってできるし、髪に触れればサラサラしているか、ぱさついているか、ゴワゴワしているか等の微妙な感覚だって分かる。指は作業をするときの便利さだけではなく、触感センサーとしても優れた能力を持っていると思う。

  以前は器用に動いた我が指なのだが、最近は細かい作業をしなくなったせいか動きの繊細さに欠けるような気がする。子供の頃は 5mm 四方の紙で折り鶴だってできたのに今は奇麗に作る自信がない。ぐちゃぐちゃに絡まったヒモや糸を解こうとすると 「イー!」 っとなるし、しまいには CD の表面にあるキャラメル包装を剥がすのにも手間取ってしまうくらいだ。

  若い子が携帯のメールを作成している時の指の動きを見ていると、「器用に動くな〜」 と感心してしまう。慣れれば動くようになるのだろうが、おっさんは慣れる程にメール交換をすることもない。少し長めの文書になるとパソコンのキーボードを打った方が速いので余計に携帯でメールは作成しない。キーボードは見なくても打てるのだが、携帯も慣れればキーを見ずに打てるようになるらしい。

  今年になって誘拐(拉致?)された女の子が、携帯のメールで助けを求めて無事に保護されるという事件が二件ほどあった。彼女らは犯人の目を盗み、画面を見ずにメールを作成して送信したのだという。そういう場面を想定すると、おっさんだからと言ってボ〜っとしているのではなく、携帯でメールを作成する練習をしておいた方が良いのかもしれないが、基本的におっさんは誘拐などされないものと思われる。

  不器用になったような気がするのは、細かい作業をしなくなったのが原因なのか、年齢が原因なのか分からないが、今でも小さな紙で折り鶴ができるのか、そのうちに試してみようと思ったりしているのである。

2003 / 10 / 05 (日) ¦ 固定リンク

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