大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

トップページ
2002年12月

2002年の終わりに 2002年の終わりに

  今年もいよいよ終わりに近づき、この雑感も 2002年は書き納めである。今年も昨年に続いて暗い一年だったような気がする。毎年のように 「来年こそは」 と希望に胸を膨らますのだが世の中は明るくならずにいる。今年一年も ”パッ” としないまま終わろうとしているのが何だか悲しい。

  政治などは、もう ”ぐずぐず状態” である。大橋巨泉氏の議員辞職に始まり、宗男 vs. 真紀子、田中真紀子氏の更迭、辻元清美氏の議員辞職に鈴木宗男氏の逮捕といった具合にボロボロである。民主党はなんだか訳が分からないことになっているし、その民主党から飛び出したオッサンが保守党と合流してみたり、その保守党の党首だった人が自民党に戻ったりと勝手なことばかりしている。

  良く言われることではあるが、国民の方を向いて政治活動をしているのではなく、保身や私利私欲のためだけに行動しているとしか思えない。支持率の下がった小泉内閣とはいえ、情けない行動しかできない政治家よりは、まだ国民の方を見てくれているような気がするから 50%前後の人たちが応援しているのだろう。小泉内閣がやろうとしていることは支持する。抵抗勢力に譲歩してしまうのが情けない。

  「道路族や郵政族が悪役であり、小泉首相は正義の味方」 といった図式があり、正義の味方は悪役をバッタバッタと切り捨てて・・・というのを国民は思い描いていたはずなのだが、どうもドラマのようには物語が進まずに悪役の顔を立ててみたり言い分を聞き入れたりしているように見えてしまう。それでも悪役 vs. 正義の味方という図式である限りは、ある程度の支持率は維持できるものと思われる。

  小泉首相が悪に屈してしまったら人気もガタ落ちとなり、政権に終わりを告げることになるのだろう。それ以前に最近になってマスコミが騒いでいる解散総選挙というカードを切るのかもしれないが、仮に選挙となった場合、それでも抵抗勢力と言われている人たちは当選するのだろうか。”甘い汁” を吸っている業界の組織票で再び国会に姿を表すのかもしれないが、いつまでそんなことを続けるつもりなのだろう。

  道路を必要としている地域があるのも事実ではあるが、その ”作られ方” が問題なのである。道路は税金で作られ管理されているのだから、適正な価格で作るように努力するのが国民から選ばれた議員がすべきことである。業者に適正とは思えないような中間マージンを落としたり、ファミリー企業に適正とは思えないような価格で仕事をさせたりと、税金を仲間内で分配しているようなものである。

  民間企業はコスト削減に努力して安く高品質なものを提供しているというのに、いったい何を考えているのだろう。税金は一部の人たちのためにあるのではなく、納めている国民全員の共有財産でなければならない。選挙があった場合は良識ある判断のもとで投票していただきたいものである。いつまでも特定の業界にだけ利益を誘導する政治家を選んでいると 10年後、20年後には日本が滅んでしまうかもしれない。

  経済も停滞したままであるが、諸悪の根源といわれていた金融機関にも新しい息吹が感じられるようになってきた。先々まだ厳しい状況は続くのだろうが、金融の安定化に努めていただきたいものである。ただし、金融が安定したからといってデフレが克服できるというものでもないらしい。詳しくは分からないが、過去の経験から言ってデフレになってしまうと克服できるまでに何十年という時間が必要らしいのだ。

  企業、個人とも生きながらえられる術を身に付けた方が良さそうである。ハイパーインフレになると金の価値が下がってしまうが、デフレの場合は価値自体はさがらないので、やはり ”貯金” ということになってしまうのだろうか。そうなると金が消費に回らないから物価が下がり・・・と、ますますデフレがスパイラルしてしまう。困ったものではあるが、しばらくの間は耐え忍ぶしかないのであろう。

  暗い話ばかりではなく、昨年(2001年 野衣良氏)に続き今年もノーベル賞を小柴氏と田中氏が受賞した。田中氏などはそのキャラクターと相まって、すっかりお茶の間の人気者、オヤジ達のヒーローになってしまった。マスコミに追いかけられてご本人はさぞかし迷惑されているだろうが、暗い世の中に光を射してくれた功績は発明の功績より大きいかもしれない。

  来年の 4月 7日は天馬博士が鉄腕アトムを誕生させる日である。”来年にこそ” 夢と希望を託したい。来年末の雑感には素晴らしい年だったと書けるよう、自分も努力すると誓いながら今年の雑感を終えようと思う。

2002 / 12 / 29 (日) ¦ 固定リンク

年末通勤事情 年末通勤事情

  また今年もこの時期がやってきた。本来は多くの日本人とは無関係であるはずのクリスマスである。もともとクリスマスというのは Christ(キリスト)mass(ミサ)の略語であり、圧倒的に仏教徒が多い日本人には関係がないはずなのだが、昭和 25 〜 26年頃から急速に普及したらしい。バレンタインデーと同様に商業の戦略に乗っかってしまった典型例なのであろう。

  そんなことはさておき、年末ともなると世の中なにかと慌ただしい。忘年会にクリスマス、大晦日から元旦へと大きなイベントが目白押しだ。街は 12月になったとたんにクリスマス・モードに突入し、きらびやかに飾付けをして客を誘っている。街行くカップルを見ていると、明らかに女性がウキウキしていて男性が力なく笑っている。きっと高額なプレゼントを要求されるのに怯えているに違いない。

  そして毎年のことながら、この時期は駅構内も酔っぱらいが多い。ゲハゲハ笑いながら歩いている酔っぱらいは ”マシ” な方で、何が気に入らないのかブツブツ文句を言いながら歩いているオヤジも多い。宴会で酒を飲んだのだろうが、楽しい席ではなかったのだろうかなどと余計な心配をしてしまう。それでも他人に迷惑をかけてはいないので、それも ”まだマシ” な方でである。

  先日、改札の手前で喧嘩している兄ちゃんとおっさんを見た。駅員さんが仲裁に入り、こう着状態になっている。お互いに相手の胸ぐらを掴んだまま動けなくなっているのである。『先に手を離した方が負け』 みたいな意地のぶつかり合いで相手を睨みつけたまま手を離そうとしない。

  駅員さんも困り果てて 「いちに〜のさ〜んで一緒に離そうね〜」 などと説得しているのだが、血が止まって指の先が変色するくらい力一杯握った手は 「はい。いちに〜のさ〜ん!」 という駅員さんの掛け声も空しく離されることはなかった。面白いので最後まで見届けたかったのだが、電車の発車時間が迫っていたので途中で見るのをあきらめてしまった。酔っぱらい相手に駅員さんも大変である。

  この時期のもうひとつの現象として、電車内で化粧をする女性をよく見かけるのはなぜだろう。前日は宴会などで帰宅時間が遅くなり、いつもの時間に目を覚ますことができない人が多いのだろうか。半病人みたいな青白い顔でヌボ〜っと電車に乗り込み、空いている席にだるそうに腰掛ける。しばらくはボ〜っとしているのだが、完全に目が覚めるとおもむろに化粧道具を取り出して ”変身” していくのである。

  人前で堂々と化粧する人の神経は理解できないのだが、本人にとっては ”スッピン” の姿をいつまでもさらすより化粧をする方が小さな勇気で済むということなのだろうか。電車の揺れにもめげず、パタパタと化粧を始め、完成に近づいていくのだが、目の周りに化粧をする時や、口紅をつける時に電車が揺れて、とんでもないことになったらどうしようと見ているこちらがドキドキしてしまう。

  本人は手馴れたもので、口紅を塗ったあとに唇をンマンマと動かしている。上目使いに手鏡を覗き込みながら顔を右左と動かし、二、三度瞬きをして ”変身完了” である。それからほどなく目的の駅に到着すると化粧品が詰まったカバンを肩にかけ、電車に乗ってきたときとは別人のようにさっそうと人ごみの中に消えていった。それを見て 「たくましいな〜」 と妙に感心してしまった。

  会社帰りの地下鉄で外人さん二人と同じ車両に乗り合わせたとき、次の駅で着物姿の女性がシズシズと乗ってきて近くの席に座った。外人さんはその女性を見ながら英語で何やら話し合っている。英語などさっぱり分からないが雰囲気から察するに 「Oh〜!着物じゃん?!初めて見たよ」 的なことを言っているものと思われる。

  その女性はとても綺麗な人で着物を完璧に着こなし髪をアップにしており、上品雰囲気を漂わせている。ひざの上にハンカチを置き、文庫本など読んでおられる。外人さんはお互いをつつきながら 「お前が行ってこい」 (予想)などと言いながら着物姿の女性に異常な興味を示していた。

  そのうちの一人が女性に近づき、「キモ〜ノ?キモ〜ノ?」 と聞いた。女性はそんな時も上品に首を斜め 45度に傾けながらニッコリとうなずいている。外人さんは 「Oh〜」 と感激し、次に 「ニホンガミ?」 と女性の頭を指さした。アップにしてはいるが日本髪ではないので女性はやさしく微笑みながら首を横に振った。外人さん二人は 「髪は違うみたいだけど着ているのは着物だ」(予想)と話し合っている。

  女性は 『なんば駅』 で降りたのだが、外人さん達は手をニギニギして 「バ〜イ」 と言っていたが、自分たちも降りる駅だと気が着いてあわてて降りていった。女性は店に勤めている人だったのかもしれないし、外人さんは宴会(パーティ(?))に向かうところだったのかもしれない。

  通勤の際には、いろいろな人を目撃できるが、これから重なる様々なイベント帰りの人たちが楽しい光景を繰り広げてくれることを期待しつつ今年も残り少なくなった通勤に励もうと思ったりしているのである。

2002 / 12 / 22 (日) ¦ 固定リンク

権利と立場 part2 権利と立場 part2

  11/24 の雑感に書いた JRの女性専用車両が開始されて約二週間が経過した。前後の車両に男ばかりが詰め込まれるのではないかと心配したりもしたが特に以前と変わりなく、それなりに女性も乗り込んでいるので安心した。女性一人であれば専用車両に乗るのかもしれないが、カップルの場合はそういう訳にもいかないらしい。

  駅構内のあちらこちらに女性専用車両の掲示があり、ホームの床にも力一杯ペイントし、対象の時間にはプラカードを持った駅員さんまで配置されているのに女性の列に並んでしまう男性をよく見かける。周りの状況にまったく気を配らないのか、堂々と新聞など読んじゃったりしているのである。駅員さんがツツっと近づき 「ここは女性専用です」 と言われ、慌てて移動している。

  その時のリアクションも人それぞれで、照れ隠しのためか無表情で移動する人、「わぁ!」 と慌てながら移動する人、並んでいる女性に 「すんません。すんません」 と誤りながら移動する人、ブツブツ文句を言いながら移動する人など様々である。男一人であればその程度で済むのだが、何人か一緒の場合は列を移動した後もゴチャゴチャと話をしている。

  若い男性のグループは 「なんでや」 とか 「マジでぇ?」 とか 「いつ決まったんや」 などと話し合っている。女性ばかりが並んでいる列を横目で見ながら 「いつもあの車両に乗ってたのに・・・」 と呟いたりして悲しそうな顔をしてい人もいる。中年男性のグループは 「なんで女だけなんだ」 と文句を言い 「男専用も作れば良いのに」 など、とんでもないことを口走っている。

  「そんな車両になんか乗りたくないやい!」 と心の中で毒づいたりしてみたが、その中年男性は女性ばかり贔屓(ひいき)されていると感じたのかもしれない。文句を言いながらも駅員の言うことに従うのは、まだマシな人たちである。先日、忘年会の帰りらしいサラリーマンのグループと同じ車両に乗り合わせた。

  そのグループは発車間際になって慌てて乗り込んできたのだが、どうやら隣りの女性専用車両に乗ろうとして注意されたらしい。若い社員は 「車両の中を移動させてくれても・・・」 と文句を言っている程度だったが、すっかりできあがっている上司らしき ”おっさん” は 「あっちに乗りたい」 とワガママを言い出した。

  「ダメですよ」 と若い社員に止められながらも 「ワシはあっちに乗りたいんじゃ〜!」 と叫びながら足をバタバタさせて駄々をこねているのである。若い社員が三人がかりで上司らしき人を取り押さえて 「もうすぐですからね。次の駅で降りますからね」 と必死に説得してる姿を見せられて、自分も周りの乗客も笑いをこらえるのに必死だった。

  たしかに、女性が優遇されている場所は多いと思う。居酒屋などでも男性より女性のほうが料金が安い店が数多くあるし、パチンコ屋にもレディース台を設けている店がある。電車とは違って隣りにおっさんが座るのが嫌だとか、そういうことではなく、普通のパチンコ台よりも玉が出やすくなっていたりする。

  たしか二十歳くらいの頃だったと思うが、女性専用台とは知らずに座ってしまい、目が飛び出るくらいジャラジャラと玉を出したことがある。優越感にひたりながらタバコを吸っていると台の上には 『女性専用』 の文字が・・・。「これはマズイ」 と思い、席を移動しようかと考えていたら店員さんがニコニコしながら近づいてきた。その頃は髪も長く、よく女の人と間違われていたので店員さんも勘違いしているらしい。

  それでも話し掛けられたらどうしようと内心はドキドキだった。いよいよ店員さんが隣りに立って 「出てますね〜」 と声をかけられた。まさしく絶体絶命である。男とばれてしまったら何をされるのか分かったものではない。玉は没収され、店の裏かなんかに連れていかれてしまうかもしれない。

  しかたないので少し間をおき、もてる限りの ”裏声” で 「ええ」 と答えると 「がんばってね〜」 と手を振りながら去っていった。ものすごい安堵感と体の力が抜けた脱力感で少しの間ボ〜っとしていたが、ふと我に返り 「もしバレたら袋叩きにあうかもしれない」 と慌てて精算して店を飛び出したのであった。

  女性とか男性とかの立場や権利だけではなく、世の中には様々な立場の人や権利の所有者もいる。au(KDDIグループ)が携帯電話で着メロならぬ 『着うた』 のサービスを開始した。「電話機から歌声が聞えてきてもな〜」 と、あまり関心はなかったのだが、このサービスには大きな意味があるらしい。着メロを購入する際の料金には著作権料も含まれているのだが、メロだと作曲者にしか印税が支払われない。

  ところが 『着うた』 であれば作詞者にも、歌手には歌唱印税も支払われることになるので皆が同じように権利が与えられるというわけだ。それを知って 「なるほどね〜」 とあらためて権利や立場を思ったりしたのであった。

2002 / 12 / 15 (日) ¦ 固定リンク

生活習慣病 生活習慣病

  運動不足である。いささか唐突ではあるが、とにもかくにも運動不足なのである。以前の雑感に書いた肩こり解消のための柔軟体操は続けているが、ゴロゴロしたまま体を曲げたり、座ったまま筋を伸ばしたりしているだけなので、とても運動と呼べるものではない。

  年齢と共に体のあちらこちらに異常をきたすことから、成人病と呼ばれていた病気も低年齢化が進み、生活習慣病と呼び改められている。主には食生活の内容やストレスが原因であるとされているが、現代の子供は塩分の濃いものや油っこいものを大量に摂取し、受験や塾通いなどでストレスを溜め込んでいるので昔は中年からの病気であった糖尿病、高血圧、高脂血症などを小さな体に抱え込むことになってしまう。

  さらには 『コ』 食も問題になっているらしい。『コ』 には粉、孤、個が入るらしいのだが、粉食とは 「たこ焼き」 や 「お好み焼き」 の粉 (こな) が問題なのではなく、硬い食べ物を嫌い、やわらかいものしか食べないことを指すらしい。子供のうちは、やわらかく上等な肉など食べさせずに 『スルメ』 や 『岩おこし』 でも食べさせておいた方が健康には良さそうである。

  『孤食』 とは家族がいても、独りで食事をすること。『個食』 とは個人がそれぞれ好きなものだけを食べることなのだそうで、これは現在若者に急増中の会食不能症候群と言う、会食ができない症状を引き起こしてしまうらしい。一人で食事をすると家族との会話もないわけだから、他人と談笑しながら会食することができない。好きなものしか食べないから決められた料理が出てくる会食ができないというわけだ。

  現代は父親も母親も、さらには子供も忙しく、一家団欒の食事など困難になってしまったのかもしれないが、毎日のつみ重ねである食事は子供の成長過程において重要な役割があるらしい。厚生省(現:厚生労働省)が 1986年に策定した 「健康づくりのための食生活指針」 では 「12歳までにおぼえた味が、一生の食の好みを支配する」 とされている。

  今のように既製品や冷凍食品が全盛の世の中では、将来どのような食文化になってしまうのだろう。「おふくろの味」 が冷凍食品ではあまりにも悲しくはないだろうか。親はどんなに忙しくても料理をし、一家で食卓を囲むように心がけなければ、将来の日本はわけの分からない人種で溢れかえってしまうのではないかと少し心配になってしまう。

  生活習慣病の話に戻っても、食行動そして生活行動と子供の疲労度には密接な関係があるらしい。”規則正しい生活(食生活も含めて)や手伝いをせずに一人でご飯を食べる子供は疲労度が高い” とか ”早寝早起きなどに象徴される「生活自立度」の高い子供は、生活時間の規律性があることが多いので、子供の疲労度は低く、健康的である。” という報告がなされてる。

  生活習慣病を予防するには栄養のバランスとかだけではなく、様々な注意が必要なのだとあらためて考えさせられてしまった。自分はというと好き嫌いもないし、我家の味付けは濃い方ではない。硬いものもバリバリ食べるし、一人でモソモソ食べることもない。したがって 『コ』 食とは無縁なのだが、”おっさん” になってしまった体には生活習慣病の影が忍び寄ってくる。

  えらく体調がすぐれなかったので医者に相談し、血液検査、尿検査を受けたところ、コレステロールの値が高く、善玉よりも悪玉が大勢を占めている。血液のコレステロールを吸収する酵素が通常の人より多いため、生まれつきの体質らしいのだが、このままだと高脂血症や狭心症になる恐れがあると言われたので喫煙、食生活、ストレス、運動などについて考えざるを得なくなってしまった。

  タバコをやめる気はないが、一日 30本ほど吸っていたタバコは 20本以下にしている。食事も動物性脂質は避けるように言われたので肉類は少量しか口にしていない。この年齢になれば 「肉が喰いたい〜!肉をくれ〜!」 というほど体は要求しないので、それほど辛くはない。ストレスは仕事の現状と性格的な問題から取り除くことは不可能である。

  そのストレスを発散させるのと、善玉コレステロールを増やすために必要なのが運動である。ここでやっと冒頭の話に戻るが、これがまた運動不足なのである。歩くのは健康に良いと言われているが、会社までの行き帰りで歩くのは約 30分間、仕事は朝から夜まで座りっぱなしなので一日に歩くのは、それだけなのである。これではあまりにも運動量が少なすぎる。

  そこで先週の月曜日から NHKで放送されている 『ラジオ体操』 を録画し、それに合わせて体操することにした。やってみると子供の頃は楽にできていた体操がとても辛い。あんなものは本格的な運動の前の準備運動に過ぎなかったはずなのにである。体を動かすたびに足首やヒザの骨がパキパキ音をたてるわ、肩はゴリゴリと軋むわの大騒ぎである。

  しかし、一通りの体操が終わると気分が良かったので 『ラジオ体操 第二』 まで続けてやってしまった。終わった後は 「あ〜運動すると気分が良いな〜」 と喜んでいたのだが、翌日から 『ふくらはぎ』 と 『太ももの後ろ』 が筋肉痛になってしまった。ラジオ体操ごときで筋肉痛になるとは・・・なんだかトホホな気分である。それでも毎日やり続けていると 5日目から痛くなくなった。

  よる年波には勝てず、情けない体になってしまったが、当分の間はラジオ体操の第一と第二は続けようと思っている今日このごろなのである。

2002 / 12 / 08 (日) ¦ 固定リンク

試事(こころみごと) 試事(こころみごと)

  人に試されたり人を試すことが大嫌いだ。テレビや本などで心理テストを放送していたり掲載していたりするが、その時は自分が何者か、どういう性格なのかを知りたくて試してみたりはする。しかし、そのネタを他人に試すことはない。それは人から試されるのが大嫌いなので 『自分が嫌だと思うことは他人にしない』 という単純な理由からだ。

  もちろん入学試験、入社試験など、能力を試すものや運動能力を試すもの。試験と言うよりは試練に近い仕事上で必要なことまで含めて嫌いなわけではない。上司が部下により高度な仕事を与えてみて達成できるか試したり、グループの長にして管理能力があるのかを試したりするのは当然のことだと思う。その他にも肝(きも)試し、運試しなども決して嫌いなことではない。

  何が嫌いだと言って、人の心や気持ちを試そうとする行為ほど嫌いなものはない。恋愛関係においてそういう試みをする人の話を聞くことがある。大した病気でもないのに大袈裟に苦しんで相手がどの程度心配してくれるかを試したり、わざと別れ話を持ち出して相手の反応を見たりして愛情の深さを測ろうとする。人にもよるだろうが自分はそうされるのが大嫌いなのである。

  したがって、相手に試されていると感じた場合、自分は何も反応しないことにしていたし、そんなことが度重なる場合は、人を試すような人間とはお付き合いしたくもないので 「さよなら」 することにしていた。しかし、その程度のことはマシな部類なのかもしれない。中には相手の反応を探るために狂言自殺をしてみたり、自殺未遂までやらかしてしまう人もいる。

  幸いにもそのような相手とお付き合いしたことはないが、万が一でもそのような事態に至った場合は、やはり 「さよなら」 することになると思う。相手の反応を見るための狂言自殺などというは 『もってのほか』 だし、自殺未遂するような相手とは恐くてお付き合いできたものではない。いくら相手を想ってのことであっても、そのような人には近づかぬが吉である。

  以前勤めていた会社で、能力が試されるのではなく、会社への忠誠心、不平不満度などを ”こっそり” 試されたことがある。本社勤務の事務職で社長と近しい関係にあった ”その男” は各地の営業所を全国行脚(あんぎゃ)していた。当時自分が勤務していた所にもやってきて昼間は事務的な仕事の話や打ち合わせなどで無事に終了した。

  夜は社員一同で歓楽街にくり出し、宴会気分で食事をしながら酒を飲んだ。酒盛りもお開きとなり、帰り支度をしていると ”その男” に 「もう一軒、飲みに行こう」 と誘われた。別の場所にある営業所に勤務している人と自分、”その男” の三人だけで ”二次会” に向うことになったのだが、やたらと 「ゆっくり ”話せる静かな店”」 を希望するので落ち着いた雰囲気の店に入ることになった。

  最初は 「この街の食べ物はうまい」 だの 「街並みがキレイ」 だの当り障りのない話をしていたのだが、酒も進み口も滑らかになってきたところで 「ところで仕事の方はどう?」 と話が核心に迫ってきた。その時はもちろん試されているなどとは想ってもいなかったのと、もともとシラフでも気に入らない事は平気で文句を言う性格だったので 「あれやこれや」 と社内の問題点を話しまくった。

  ところが ”その男” は 「ちょっとトイレ」 と言って何度も会話は中断するし、こちらの話に優等生的な回答ばかりしてくる。最後には 「会社を良くするために問題点を言っているだけで、あんたの回答を聞きたいわけではない!」 と半ば喧嘩腰になって ”二次会” は終了してしまった。それから数日後、本社に出張したところ、なんと ”二次会” での会話が社長に筒抜けになっている。

  別に知られて困る話ではなかったが、「あんなに会社のことを考えているのなら」 とか 「これからは直接言ってくるように」 とか言われて 「はぁ」 などと適当に返事をしていた。話を聞いていると、とても細かな内容や、その時のニュアンスまで正確に伝わっているので 『おかしい』 と思い、なぜ知っているのかを問い詰めたところ ”あの日の二次会” での会話が ”録音” されているというではないか。

  どうりで ”話せる静かな店” を希望し、会話中に何度も席を立ったはずだ。それを知った途端に頭から 「ぼふっ」 と煙が出るほど腹が立ち、瞬間湯沸機のように一気に血が沸騰した。すぐにでも ”その男” の所に行き、ボコボコにしてやろうかとさえ思った。しかし、それをしてしまったら隠し撮りしたことを白状してしまった社長の立場も辛かろうと思い、やめておくことにした。

  隠し撮りは会社の指示ではなく、 ”その男” が勝手にやったことだったので、その後も勤め続けたが、あれが会社ぐるみの ”犯行” だったらすぐに辞表を提出していたと思う。この場合に限らず、人の気持ちや心を試されるのは本当に大嫌いなのである。


--- おまけの雑感 ---


  あまりにも怒りに満ちた雑感になってしまった・・・。冒頭に書いたように自分で自分の心理テストをするのは嫌いではない。先日、ある本を読んでいたら心理テストに関することが書いてあった。その内容は・・・
  「あなたは桃太郎です。鬼退治に行くのにサル、イヌ、キジを連れていくのですが、もう一匹だけ動物を連れて行くことができます。あなたは何を連れていきますか?」
  という内容だ。ここで自分の連れていきたい動物を答える。すると次に・・・
  「ところがその動物を、ある理由があって連れていけないことになりました。その理由はなんですか?」
  と続く。ここで理由を考えて答える。この心理テストの回答は・・・
  「いま答えた理由、その理由こそが ”あなたが人から嫌われる” 理由です」
  というものだった。このテストへの回答例がいくつか載っていた。
  「ヤギ。自分だけ助かろうとして、すぐ逃げようとする」
  「リス。味方だと思っていたのに、ふと気が付くと敵の方についている」
  「タカ。いばりくさって偉そうにしているけど、実は役にたたない」
  などだが、「こんなのが会社の上司だったら目も当てられないなぁ〜」 と大笑いして読んでいた。そして、この本を読みながら自分で出した答えは・・・
  「トラ。どう猛すぎて扱いきれない」
  ・・・いったい自分って・・・。と結局は悲しくなる結果になってしまったのであった・・・。

2002 / 12 / 01 (日) ¦ 固定リンク

△ページのトップへ

Powerd by Bloq