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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2002年 9月

初秋 初秋

  今回こそ、今度こそ秋になったと宣言しても良いのだろうか。今年は酷暑で連日のように真夏日、熱帯夜が続いていた。8月の終わり頃にはその暑さもやっと和らいだと思っていたのに、その後の残暑もとっても厳しいものだった。寒さであれば重ね着をするなど対抗手段があるが、暑さには抵抗のしようがないのでとにかく耐えるしかない。

  それでも今年の夏は暑さへの対策法をいくつかあみ出すことができた。昨年までとっていた対策は、西日の入る窓に遮光カーテンをして太陽からの熱を防御すること。TVを観ながら横になっている場所には竹なのか何なのか分からないが、とにかく木でできた敷物、同じく何だか分からない木で編んだまくらを使った。これだと自分のいる場所と頭が乗っている部分は熱くなるが、少し体を移動するとそこは冷たい。

  夜寝ていても布団が熱くなるので通気性を良くするために ”すのこ” を並べた上に布団を敷くようにし、さらに畳のように井草で編んだものを敷いて寝ていたのだが、それでも夜中に暴れて布団から落ちてしまっていることが多かった。今は和室で寝ているので畳の上が冷たくて気持ちが良かったのだろう。畳は布団のように柔らかくはないので朝起きると体がバキバキになっていた。

  そして更に寝る時には冷凍庫でキンキンに冷した 『アイスノン』 を使うなど、必死になって涼を求めていたのである。それでも暑くて夜中に何度も目を覚ましてしまう。もちろんエアコンもつけたままなのだが、室外機の音が眠りを妨げるので冷房ではなく、ドライ運転にしかできない。これで万策尽きたと思っていたのだが、もうひとつの手段として ”おでこ” に貼る冷たいヤツ、冷えピタとかデコデコクールを試してみた。

  結果は残念ながら ”効果薄” だった。貼った直後は頭が痛くなるくらい冷たく、逆に冷たくて寝れないのではないか思うほどだったが、なにせ冷えるのがほんの一部分でしかない。結果的に汗は止まらず、その汗でシールが剥がれておでこからポトリと落ちてしまうのであった。

  それでも室内であれば極限の薄着でいられるし、いろいろと暑さ対策を練ったり施したりすることができる。しかし外出する時は困ったものだ。極限の薄着は人様にお見せできるような格好ではないし、おでこに冷たいのを貼ったまま歩くのもマヌケである。

  おでこに貼るヤツを首筋に貼ると、そこにはツボもあってとても涼しく感じ、襟のある服の場合は丁度良く隠れるので人に見つかる事もないと聞いたので試してみたのだが、結局は寝ている時と同様に汗で剥がれ落ちてしまうので効果は長続きしなかった。

  そんなこんなで暑さには苦労させられたが、いろいろと試したなかで最も効果的だったのは、やはり水分補給だった。水筒に水を蓄えておくのは以前の雑感に書いた通りだが、水筒を首から下げて外をウロウロしていると怪しい遠足みたいになってしまうし、出勤の際にカバンに入れて運ぶには少し重い。そこでこの夏に大活躍したのがペットボトルだった。

  前の日に作り置きしてあるアイスコーヒーをボトルの 1/3位まで入れて冷凍庫で凍らせる。翌朝は残りの 2/3をコーヒーで満たし、何という名前かわからないが、ペットボトルを入れてある程度冷たさを保つことのできる ”袋” に入れて家を出るのだ。そうすると午後 2時くらいまで冷たく飲むことができる。氷もコーヒーでできているため、溶けてコーヒーが薄まることもない。この夏は毎日それを持って仕事にでかけた。

  いろいろと苦しみぬいた夏も終わり、やっと涼しくなったので嬉しくてたまらないのだが、夏という季節が過ぎ去ったことに対しては少しだけ寂しさを感じてしまう。TVでは鍋ものの CMが多くなってきた。窓から差し込む日の光が柔らかくなってきた。部屋を通り抜ける風が乾燥してきた。店先に松茸や柿、新ナスが並び始めた。

  通勤時の風景では、街行く人が秋もののファッションに身を包みはじめた。空が一段と高くなった。入道雲から秋の雲に変わった。柿の木の実が色づき始めた。草花が茶色に変わり始めた。虫取り用の網が立てかけられたまま秋風に揺れていた。子供用のビニール製プールが洗われて来年までの眠りにつこうとしていた。あ〜秋になったんだなぁ〜としみじみ感じる。

2002 / 09 / 29 (日) ¦ 固定リンク

時代の変化 時代の変化

  1990年ごろにバブルが崩壊し、平成大不況の失われた 10年を経て世の中は大きな変化を遂げた。普段の生活でその変化を実感することは少ないが、ゆっくりとではあるが確実に変化の波は訪れている。そして、その波は現在小学生くらいの子供たちが成人する頃には世の中の常識になっていることだろう。

  身近に感じられる変化は物価が下がったことである。経済的に言えばデフレ・スパイラルであり、それは ”悪” なのだが、生活する分には衣・食・住の支出が低く抑えられるに越したことはない。ただし、それは 『以前と同じ所得があれば』 という前提があっての話である。人件費削減だのリストラだので所得が減ってしまっては物価が下がっても生活水準は同じになってしまう。

  そこで声高に叫ばれるのがデフレ対策への要求なのだが、インフレ誘導すれば本当に経済は活性化するのだろうか。物価が上昇すればそれを製造や販売する会社の収益性が向上し、従業員の雇用も安定する。雇用と賃金が安定すれば消費も活性化するというのが大雑把な ”あらすじ” なのだが、そのような都合の良いシナリオ通りに事は進まないような気がする。

  この十数年で雇用体系はすっかり様変わりしてしまった。戦後ずっと守られてきた終身雇用、年功序列は姿を消しつつある。それも皆が安定を望んで就職する大企業から変化が始まったため、今や 『大企業への就職』 → 『一生安泰』 という図式は完全に崩れ去ってしまった。

  どのような変化があったのかというと、それは実力主義への移行だろう。就職した日から年を重ねるごとに自動的に基本給が高くなり、年換算で何カ月分というボーナスが支給される。会社に多大な損失を与えるか犯罪でも犯さない限りは職を追われることもない。そんな社員に甘い会社はどんどん少なくなっている。そんなことをしていては会社そのもが生き残れないからだ。

  現在主流となりつつあるのは給料が実力に応じた年俸制、ボーナスが業績連動型である。給料は自分自身に高い目標を課すことが義務付けられ、その目標を達成できたか、それ以外にも会社にどのように貢献したのかが厳しく問われる。結果は同期入社でも年収に数百万円の差が出る。ボーナスも業績連動型であるから会社の業績が良く、業績向上に貢献した社員ほど多くの金額を手にすることができる。

  すべては実力・成果主義であるため、どの学校を卒業したのかは関係がない。もちろん大前提として優良企業に入社しようと思えば良い学校を卒業するのに越したことはないだろうが、学校のブランドが今後 10年も続くのか疑問である。1929年の映画に 『大学は出たけれど』 というのがあったが、今まさにそういう時代にある。

  大学に入って目標もなく遊んでいる奴に未来はない。自分は何がしたいのか、自分の進むべき方向はどちらなのかを真剣に考えなければ社会に出ても捨てられるのがオチである。大学に入ってからでは遅く、高校生、中学生くらいの頃から自分に適した方向を見つける必要がある。

  そういう意味では社会の変化に教育システムが追いついていない。今は偏差値によって進むべき大学を振り分け、とにかく進学する、させることにしか主眼が置かれていないが、そういうレールに乗った人材を社会はすでに求めてはいない。不況が続いているから就職難であったりリストラが横行しているのとは少し違う。この 10年の間に雇用のシステム、会社のシステム、社会のシステムが変わってしまったのだ。

  これが資本主義の弊害であり、高所得者層と低所得者層の階級が生まれることによってテロが誘発されると指摘する学者もいるが、変わってしまったシステムは後戻りできない。これからの時代を生きていく子供たちにとって厳しい現実かもしれないが、激変の中に身を置く現在の大人も大変なのである。

  子を持つ世の親も大変だろうが、社会に順応していくしか方法がないので従来の教育システムに頼るよりも子供の可能性を導き出し、それを伸ばす方法を模索することが今は重要なのかもしれない。

2002 / 09 / 22 (日) ¦ 固定リンク

善人 善人

  大阪で暮らし始めて 10年くらいになるが基本的に大阪(関西)には善人が多いように思う。電車の中で席を譲る人、道を尋ねた時に教えてくれる人などなど他の町よりも沢山いるような気がする。以前暮らしていた町にも電車で席を譲る人は当然いるのだが、積極性においては大阪にかなわない。

  会社の行き帰りに必ず利用する大阪(梅田)駅では目の不自由な人を何人も見かける。歩きなれているのか、とくに困った様子もなく健常者と変わらぬ速度で歩いているものだから、ついつい手助けする必要がないと思ってしまいがちだが、そういう人に声をかけ、手を引いて誘導する人を何人も見ることができる。

  ある朝、いつもの階段を降りて地下鉄の改札に向かって歩いていると遠くで 『バーン!』 という音が聞えた。何事かとそちらを見ると、白い杖を持った年配の女性が倒れている。驚いて立ち止まった次の瞬間、近くを歩いていた人が何人も駆け寄って声をかけたり転がった杖を拾ったりしている。

  転んだ本人は 「あははは〜」 と笑いながら自分で自分のことを 「アホやね〜」 と言ったりして妙に明るい。心配して近づいた人たちも怪我がないのが分かったのか、それぞれの人が、それぞれの目的地に向かって足早にその場を去って行った。転んだ人は親切にしてくれた人に 「ありがとうございました」 と大きな声でお礼を言って再び歩き始めたのだった。

  いくら大阪人が善人であっても、やはり親切にしてあげたくなる相手とそうではない相手がいるようだ。帰宅する時 JR大阪駅のある時間帯にいつも同じ目の不自由な人を数人見かける。そのなかの女性は駅のホームに溢れかえっている人ごみの中を慎重に進み、点字タイルの上に立ち止まっているふとどきな奴に対しても 「すみません、ごめんなさい」 と言って歩いている。そういう人には親切に接する人も多く、手を引いて誘導してもらっている姿をよく見かける。

  そして、そのなかの男性は人と当っても無言で行ってしまう。むしろ相手が避けるのは当然だと言わんばかりにズンズンと進んでガンガン人に当る。目が不自由なのだから仕方がないとも思うし、点字タイルの上に立っている人が悪いのも当然なのだが、見ていて決して気分の良いものではない。そういう彼の行動が人から良く思われないのだろうが、人に助けてもらっているところを見たことがない。

  あれではお互いに感情を害するだけなのだから相手が悪いと思っても、そこはぐっとこらえて 「すみません」 の一言くらいは言うべきだと思う。友人のお兄さんが体の不自由な子供が通う学校で教師をしており、そこで 「体の一部が不自由でもそれ以外は健康なんだから人の善意に甘えるな」 と生徒に教えていたことを思い出してしまった。

  それでも冒頭に書いた通り、大阪には善人が多い。以前住んでいた町では親切にする人が少ないので、親切にすること自体に照れが出てしまう。ところが大阪では皆がやっていることであるため照れることなく行動できる。良い意味での連鎖が生まれるので余計に親切な人が多くなるのかもしれない。

  数日前、会社帰りに地下鉄で座っているといると女性二人が目の前に立った。いつもの通りに本を読んでいたのだが、視野に入って来たその女性のお腹が大きいように思った。席を譲るべきかと顔を上げてその女性を見ると、その、なんというか、とても ”ふくよか” でいらっしゃる。そこですぐに声をかけるのをやめて本を見ながら必至に考えた。

  親切に席を譲ろうとしたところが相手にとってはとっても失礼に当る事かもしれない。ニコニコしながら席を立って相手に殴られて鼻血でも出そうものなら恥ずかしい事このうえない。悪い頭を必死に回転させて悩んでいると一緒に乗ってきたもう一人の女性と目が合った。手の親指と人差し指をクルクルして 「席を譲りましょうか?」 という意志を無言で表現したところ、「おねがいします」 とい答えが返ってきたので安心して席を立つことができた。

  お腹の大きな女性も 「ありがとうございます」 と言ってくれたし、梅田の駅に着いた時も二人そろってお礼を言ってくれたので、親切にすると気持ちも良くなるものだと思ったのだが、それと同時にいろ〜んな意味において人に親切にするのは勇気が必要だったり難しかったりするものだと考えてしまったのであった。

2002 / 09 / 15 (日) ¦ 固定リンク

愚か者 愚か者

  おろか【愚か】 (形動)ものごとの程度の不十分なさま、心、気持のゆるんでいるさまを表わす。

  まったく愚かなことで。少し涼しくなったからといって油断してはいけないと 2週前の雑感に自分で書いておきながら、その後 2週間の異常な暑さですっかり体調をくずしてしまった。9/4(水)に記録した 36℃というのは観測史上の最高気温ということなので体調が悪くなってもおかしくないのではあるが、実際には油断してしまい気持ちがゆるんでいたのだろう。

  暑さでボ〜っとしていたのもあるが、先週は仕事をしていても PCの操作手順を間違えたり訳の分からない文書を作成したりしていた。考えごとをしながら歩くのはいつものとおりだが、それに輪をかけてボ〜っとしているものだから、人とぶつかりそうになったり階段を踏み外しそうになったり自転車に轢かれそうになったりで散々な一週間だった。

  いつも電車の中では読書にいそしむのだが、活字を目で追っていても同じ行を何度も読んでしまったりして内容が頭に入ってこない。読み進むのを諦めて車内を見渡してもすぐ隣りに汗まみれのおっさんが、うつろな目をして立っていたりして鬱陶しいことこのうえないのである。おまけに下車するべき駅に着いたのに気付かずに、ドアが閉まる直前になってあわてて飛び出すというような有様だった。

  それもこれも 「この暑さが悪いんだ!」 と開き直っていたが、よく考えると普段からボ〜っとしているわけだし以前から数々の失敗も繰り返している。

  かなり以前の雑感にも書いたが、洗顔用石鹸と歯磨用を間違えるなどというのは何度も経験している。歯磨用で顔を洗ったときは 「なんだか顔がス〜ス〜するな〜」 くらいで済むのだが、洗顔用で歯を磨いたときは最悪である。なんとも表現しがたい泡立ち感が口の中にひろがるのと、とにかく 「美味しくない!」 の一言なのだ。

  歯磨用も美味しいわけではないが、味を感じる口の中に入れるものであるからメーカもそれなりの味付け(?)をしている。味などおかまいなしの洗顔用を口に入れた場合、それはそれは得も言われぬ味が口の中全体に広がる。普段でさえ歯磨のときに嘔吐感に苦しめられているのに洗顔用で歯を磨いてしまったら最悪なのである。

  洗顔と言えば、女性のように泡でやさしく顔を洗うなどということはせずに、手のひらで思いっきりガシガシと顔を洗っているのだが、考えごとをしてボ〜っとしていたりすると手の小指が鼻の穴に入ってしまうことがある。以前には勢いが余ってしまい、両手の小指が左右の鼻の穴にズボッと力いっぱい入ったことがある。「んあ゛〜」と痛みに耐えながら指を抜いたら両方から鼻血がボタボタとしたたり落ちて、洗面所は一人修羅場と化してしまった。

  洗面所関係ではヒゲ剃りでも失敗している。前日に電気カミソリの掃除をして刃のところに付いているネットを外したままにしておいたのを忘れており、そのままバリバリと顔に当ててしまった。当然のことながら口の周りは血だらけである。そのときも修羅場と化した洗面所から飛び出し、あわててキズ薬を塗りたくった。少しして血は止まったものの、口の周りにたくさんのテ浴iペケ)ができてしまった。

  そんなこんなで失敗ばかりしているのだが、これでは ”あわて者” なのではなく単なる ”愚か者” である。いいかげん大人どころか十分なおっさんなのだから 「心、気持ちを引きしめなければ」 と今さらながらに反省したりしているのである。

2002 / 09 / 08 (日) ¦ 固定リンク

犬や猫のいる風景 2002残暑 犬や猫のいる風景 2002残暑

  先々週は涼しい日が多く、夏も終わって秋の足音が聞えてきたのだとばかり思っていたら先週はひどい暑さと湿気だった。油断してはいけないと分かっていても、ついつい気が緩んでしまった体にこの残暑は相当なダメージを与えてくれたようだ。寝つきも悪く食事も思ったように喉を通らなくなってしまい、寝不足が原因だと思うがとっても 「だる〜い」 一週間を過ごすことになってしまった。

  先々週はセミの声に代わってコオロギの涼しげな鳴き声が聞えていたのだが、暑さが戻った先週はセミの声まで戻っていた。いくらなんでも今の時期になってノコノコと地面から出て来ても他の仲間はとっくに死に絶えているので、いくら 「ジャカジャカ」 鳴いても誰も寄っては来ない。7年間も土の中で暮らして、やっと地上に出てきたら季節はずれという本当にタイミングの悪い奴なのである。

  そう考えるとコオロギも出てくるのが早すぎたわけだから仲間と出会うこともなく息絶えたことだろう。自然の摂理に従って生きている野生の動植物や虫などは、気温の変化が不安定だと一生を棒に振ってしまう事態になるので大変だ。その点、人間や人間に飼われているペットは若干でも自然に抵抗できるので幸せなのかもしれない。

  自転車に乗って近所を走り回っていると扇風機を横に置いてもらっている犬を目撃した。「犬のくせに生意気な」 とも思ったが、全身が毛皮に覆われているのだからさぞかし暑いことだろう。扇風機から送られる風に目を細めて気持ち良さそうにしている姿を見て思わず笑ってしまった。鎖につながれていなければ涼しい場所を探すこともできるのだから犬にとっては当然の権利なのかもしれない。

  よく 『猫がいる場所は涼しい』 と聞くが、見ていると確かに涼しいそうな場所で寝ていたりする。かなり以前の雑感にも書いたがエアコンの室外機から出てくる風を扇風機代わりにして涼んでいる奴や、西日の当らない所にある大きな石の上で寝ている奴もいる。きっと石が冷たくて気持ちが良いのだろう。他にも風通しの良さそうな屋根の上で寝ている奴もいれば、植え込の中から首だけだして寝ている奴もいる。

  見ていて 「気持ち良さそうだな〜」 と思うことが多いのだが、実際に猫の横で寝てみるわけにもいかないので横目で見ながら通り過ぎている。日差しの強い日は道路のアスファルトが焼けて、そこから出る熱は相当なものだと思う。犬や猫は靴を履いていないので歩くと足の裏が焼けそうになるだろうし、体が路面から近いのでかなり暑いことだろう。

  ある日、近所を歩いていると道路の横にある排水用の溝で変なものが動いている。棒のような物がツツーっと立ったまま前を横切ろうとしているので近くに寄ってみると、それは猫の尻尾だった。溝の中を見ると下を向いたままトボトボと猫が歩いる。路面があまりにも熱いため、日が当らない溝の中を選んで歩いているのだろうが、あまりにもダルそうに歩いているので 「暑いね〜」 と声をかけるとピュ〜と走っていってしまった。

  毎度おなじみの黒い犬はかなりの ”箱入り娘” らしく飼い主がいろいろと気を配っている。会社帰りにその家に近づくと犬の横に不思議な発光体が見える。「なんだろう?」 と思いながら前を通ると電気式蚊取りが置いてある。犬が蚊に刺されないようにという飼い主の心遣いなのだろうが、肝心の犬は怪訝そうな顔をして蚊取りから離れて座っていた。

  第一、ああいう物は室内で使用して空気中に成分が充満するから蚊が死ぬのであって、屋外で使用しても何の効果もないものと思われる。飼い主もそれに気がついたらしく、何日かするとペット用の蚊取線香が置かれていた。蚊を殺すことはできないだろうが虫除け程度の効果は期待できるらしく、犬もその横で安心した顔をして寝ていた。

  その犬は自分で玄関の引き戸を開けることができる。鼻先を戸の格子の間に入れ、首を横に動かして 「カラカラ」 と開ける姿を始めて見た時は指を刺して 「わははは」 と笑ってしまった。この間、会社帰りに家の前を通ると犬の姿はなく、蚊取線香の筒から煙だけがユラユラと立ち昇っていた。お腹がすいたのか、暑くてたまらなかったのかは分からないが、例によって勝手に家の中に入っていったに違いない。

  犬も猫も、そのほかの生き物たちにとっても厳しい暑さは続いているが、あと少し、あと少し我慢すれば 「涼しい秋がやってくるからね」 と、半分以上は自分に向かって慰めている今日このごろなのである。

2002 / 09 / 01 (日) ¦ 固定リンク

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