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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2002年 7月

保守的 保守的

  タバコを吸い始めて何年になるだろう。人に公表できる年齢に達する前から吸い続けているので長いことタバコに火をつけては消していることになる。最初のころはどのタバコが美味しいのか、自分に合っているのかを試すために色々な銘柄を購入した。最終的に選んだのはセブンスターなのだが、それ以来ずっと吸い続けていて変わっていない。

  一度だけマイルドセブンにしてみようと試みたことがあるが、4-5本吸ったところでやめてしまった。なんとなく美味しく感じなかったのと、吸った後の満足感が不足しているような気がしたからだ。タバコを切らしてしまい人からもらって吸ったことも何度かあるが、やはり美味しく感じないし銘柄を変えようという気になったことがない。

  外食も同様で新しい店を開拓する精神が欠如しているようだ。若いころは毎日のように喫茶店に通っていたが、ドアを開ける店はいつも同じで近くに新しい喫茶店がオープンしたと聞いても覗いてみる気にさえならなかった。酒を飲みに行くところも決まっていて 「あっち店が美味しい」 だの 「こっちの店が安い」 だの言われても 「ふ〜ん」 と聞いているだけで 「それじゃぁひとつ」 という気にはまったくならない。

  美容室や理容室も同じである。通い続けている店であれば、黙って座っていればいつもと同じようにしてくれるので楽であるというのが一番の理由だが、気心が知れていると話をしたくないときは店主も話しかけてこないので精神的に楽なのである。初めて行く店だと前髪の長さ、モミアゲの切り方など細々聞かれるし、「お近くにお住まいですか?」 から始まって、やれ 「今日はお休みですか?」 だの 「どんな仕事を?」 だのと質問攻めにあってしまうので疲れてしまう。

  以前は服を買う店も決まっていた。店員が自分の好みを分かっていてくれて、店に入って仁王立ちになっていれば色やら形やら勝手に選んでくれるので楽だった。こちらもその店員を信用しているので、たまに変わったデザインのものを着せられようと、今まで着たことのない色を選ばれようと 「他人から見たら似合うのだろう」 と理解して黙ってお金を支払っていた。

  仕事のお客さんとの酒の席でそんな話をしていると 「保守的なんですね」 と言われて驚いてしまった。確かに新しいものに挑戦する意識に欠け、現状を維持しているのだから ”保守的” ということになるのかもしれないが、自分も含めて他人からもそのように言われたことも見られたこともなかったからである。

  以前勤めていた会社では部署内の ”切込み隊長” と呼ばれ、直属の上司だろうが他部署の部長だろうが挙句の果てには社長だろうが、一切おかまいなしに気に入らないことがあれば文句を言っていた。クビを覚悟で社長に直訴して統率力のないセクハラ上司を飛ばしたこともある。今思い出してみると「よくクビにならなかったな〜」 と思えるほど旁若無人な振舞いだったように思うし、後先のことを考えずに現状の自分の立場などどうなってもよいと思っていたので ”保守的” などという言葉とは無縁だったのである。

  今も根本的な性格は変わっていないと思うのだが、「保守的なんですね」 と言われてあらためて冷静に考えてみた。少し前に中国の日本大使館に北朝鮮の亡命希望者が駆け込むという事件があった。駆け込み自体は事件ではないが、その時の大使館職員の対応のしかたが問題となり、今現在も外務省がバタバタと弁明したりお詫びしたりしている。

  あの報道を見たときは 「世界中に恥をさらしおって」 とか 「情けない奴め」 とか思っていたが、あれが自分だったらどうするだろうと考えたときに、もしかしたら波風たつのが嫌であの大使館職員と同じような行動をしてしまうかもしれないと思ってしまった。保守的とは少し違うが ”ことなかれ主義” の部分が今の自分にはあるのかもしれない。

  そのことを正直に仕事仲間に話してみると 「うそだ」 と言い、「もし、あの状況に直面したら大使館内に入って来た中国警察をボコボコにして逮捕されるに違いない」 と言うのである。そこで再び考え込んでしまった。確かに言われるように後先のことを考えずに 「許可もしていないのに勝手に入ってくるな!」 と殴りかかっていく自分の姿も容易に想像することができる。

  結果的に自分のことでさえ自分にはよく分かっていないし、その時にならなければ自分がどうするかも分からないのであるが、上に対して意見も言えないような情けない奴と他人から見られていなくて良かったと思う反面、いいかげん ”おっさん” になったのに性格が変わらず尖った生き方をしていて良いのだろうかと少し反省してみたりしている今日このごろなのである。

2002 / 07 / 28 (日) ¦ 固定リンク

駅構内人間模様 II 駅構内人間模様 II

  それにしても暑い日が続いている。梅雨冷で少しは涼しくなることを期待していたのに季節はずれの台風が南から暖かい空気と湿気を運んできてしまったようだ。水害を引き起こすわ竜巻を引き起こすわと、暴れ放題の台風で本当に迷惑な奴である。

  この台風の影響で各交通機関も大幅に乱れていた。ご多分に漏れずJRのダイヤも乱れていたわけだが、どうして”おっさん達”はワガママなのだろう。電車の到着が遅れたためにホームに人が溢れかえり、これ以上は危険だと駅員さんが判断したため階段のところにロープを張ってホームへの入場を制限していた。電車の一本や二本見送ったところで死ぬわけでもないのに一部のおっさん達が駅員さんに文句を言っている。

  やれ 「電車が発車してしまったらどうする」 だの「何の権利があって制限するんだ」だのとえらい剣幕である。なかには駅員さんにつかみかかる勢いで激怒しているおっさんもいる。駅員さん達はホームにいる人の安全を考えて制限しているのに、それこそ『何の権利があって』偉そうな口をきいているのだろう。何の制限もなくホームに人を入れて線路に落ちてしまうような事故が発生したら誰が責任を負うことになるのかを考えたら誘導に素直に従うべきである。

  そんなおっさんに限って後先を考えずに行動して事故が発生したら駅側の対応に文句を言うに違いない。自分で責任を負えないのであれば責任を持って行動している人に従えば良い。その人に対して文句を言うなどもってのほかである。驚いたことに聞き分けのないおっさんにスーツ姿のサラリーマンが多い。会社で責任ある仕事をしたことはないのかと疑問を感じてしまった。

  そろそろ梅雨も明けたのか日に日に気温が上昇している。これだけ暑いと電車の中で人が近くにいるだけでも鬱陶しいのに若いカップルは電車の中、駅構内でベタベタとくっついている。日本人が人前でも平気でベタベタできるようになったのは何時からだろう。とにかく周りのことは目に入らないようで、どっぷりと二人の世界に入り込んでいるようである。

  これからどれだけ長い別れが待っているのか知らないが、この暑い最中に改札の前で”ひし”と抱き合って離れようとしないカップルも多い。戦争に行って生きて帰ってこれるのか分からないというような大袈裟さである。新幹線のホームや改札であれば遠距離恋愛かもしれない。次に会えるのは数週間先のことになるのかもしれないと想像できるが、ど〜ってことない一般の改札でそれほど長い別れが待っているとも思えないのであるが、本人達にとっては少しの時間でも離れ離れになっているのが辛いのであろう。

  そんな仲の良いカップルとは対照的になにやら”もめ事”があるらしいカップルもよく見かける。少し前に目撃したのはカップルと言うより中年の夫婦のケンカだった。後ろから女の人の怒鳴り声が近づいてきたので何事かと振り返ってみると、鬼のような顔をして大声で怒鳴りながら歩いてくる奥さんと、その後ろをうつむきながらトボトボ歩いているヤギのような顔をした旦那さんだった。何をやらかして怒鳴られているのか分からないが、情けない顔をして両手でカバンを持ちながら小さくなって奥さんの後を歩いている。

  人の目もあるのだから少しは加減してあげたら良いのに奥さんの怒りは延々と続き、人ごみを掻き分けながらズンズンと歩いていく。「アホ」だの 「どうしようもない」 だの 「ついて来んな!」だの罵詈雑言を浴びせられながらも下を向きながら後ろにしたがっている旦那さんの姿が印象的だった。

  えらいものを見てしまったと思ったが、派手な喧嘩の方がマシなのかもしれない。中には険悪なムードを漂わせながらお互いに言葉を発せずにジーっと睨み合っているカップルもいる。二人の冷めきった目からは”絶対に許してあげない光線”が出ている。睨み合っていても解決しないのだから、何がいけないのか、なぜ怒っているのか話し合えば良いのに何も話そうとしない。許せないのであれば別れてしまえば良いのに、お互いにその場を動こうともしない。いつまでも見学しているヒマはないので、そのまま通り過ぎてしまったが。あのような陰険な喧嘩の場合、どうやって関係の修復を図るのか不思議に思ってしまった。

  暑くなると人はイライラするようで、怒りっぽくなってしまうのかもしれない。この前も地下鉄駅の階段を上っていたら後ろからおっさんの怒鳴り声が聞える。振り向くと一番後ろに怒鳴っているおっさん、その前にスーツを着たサラリーマン、その次に階段を駆け上る若者、そして自分という四人だけしかいない。よく聞き取れなかったのだがおっさんは「なんじゃかんじゃ」 と怒鳴っている。

  階段を駆け上がっていた若者が急に Uターンして「俺に言ってるのか!?」と言いながら階段を駆け下りだした。するとそのおっさんは甲高い声で「いやぁ〜違う違う」と言いながら笑顔まで作っている。すると今度はスーツ姿のひとが「なら俺か!?」と言っておっさんの方を見た。おっさんは「いやぁ〜あ〜」とシドロモドロになって目も泳いでいる。

  階段には四人しかいないわけだから残るのは自分だけである。そのおっさんに何かした覚はなかったが「じゃぁ俺か!?」 と言ってやった。するとおっさんは「いやぁ〜ははは」と情けない笑いを浮かべながら後ずさりで階段を降りていってしまった。なんだかよく分からなかったが、残された我々三人はお互いに顔を見合わせて勝ち誇ったように微笑みあったのであった。

  暑い季節にはちょっと変な奴も出没するが、多くは普通の人々である。暑いのを我慢しながら電車に揺られて会社に行き、暑い中で働き、暑いのを我慢しながら家路につくというのを毎日繰り返して疲れている人々である。いつのことだっだか、そんな疲れを忘れさせてくれるような光景に出会った。窮屈な電車の中から吐き出されたOLやサラリーマンが改札に向かって歩いている。

  その時、改札の向こうで「おとうさん、おかえりなさ〜い。おとうさん、おかえりなさ〜い。」と連呼する子供の声が聞えてきた。見ると父親を迎えに来たらしい3-4歳の女の子が直立の姿勢で「おとうさん、おかえりなさ〜い」と繰り返している。まるで電池式のおもちゃのようにピョコピョコはずみながら叫んでいる姿はとても可愛らしく、改札を通り抜けるサラリーマン達もみんなニコニコしていた。

  気温は涼しいほうが良いに決まっているが、心だけは暖まるのも悪くはないものだと自分もニコニコしながらその子を見ていて、体から疲れがとれていくような感覚を味わっていたのであった。

2002 / 07 / 21 (日) ¦ 固定リンク

日本的情緒 日本的情緒

  いまだに梅雨(つゆ)が明けないのか、ここ数日は天気の良くない日が続いている。梅の実が熟する季節に特有の気候だから ”梅雨” と書くなんぞ、まことに日本的な情緒あふれる言葉だが、こんな気候は単なる ”雨期(うき)” である。湿度が高くジメジメしていて鬱陶しいことこのうえない。

  数年前から気象庁が ”梅雨入り” や ”梅雨明け” の宣言をするのをやめてしまった。今は 「梅雨に入ったらしい」 とか 「梅雨が明けたとみられる」 などと曖昧な表現をしている。梅雨入り宣言をしても雨が降らなかったり、梅雨明け宣言をした後にも雨が降り続くと文句を言われるからもしれないが、宣言してもらわないと少し寂しい気もしている。

  もっとも天気予報がはずれただけで恐い ”そのスジ” の人が殴り込んでくるという話も聞くので恐くて宣言などできないのかもしれない。そのスジの人は天気予報がはずれると競馬の予想に影響がでるため文句を言うのだそうだ。馬によって雨が降ってぬかるんだ地面を走るのが得意だったり苦手だったりするので天候は予想に大きく関わるらしい。

  梅雨入りや梅雨明けの宣言がはずれた場合、他に影響があるのかと思ってしまうが、現代は様々なところに影響があるらしい。スーパーやコンビニなどでは天候によって店頭に並べる商品を変えているところが多いので仕入れに影響が出る。梅雨入り宣言したのに雨が降らないと、雨を見込んで仕入れた商品が売れずに在庫になってしまったりするそうだ。各方面から文句を言われるのは困るだろうが、宣言してもらった方が 「あ〜梅雨なんだな〜」 という気分になるので是非とも復活してもらいたいものである。

  梅雨の時期に困るのは ”菌” が繁殖しやすいことである。実は先週 ”食あたり” してしまった。7/5(金)に食べた ”レバ刺し” が悪かったようだ。7/7(日)の夜からお腹の調子が悪くなり、翌日の朝には過度の下痢と腹痛に見舞われてしまった。午後からは熱もでてきたため病院に行くはめになってしまったのである。診断の結果は ”食あたり” で、原因はやはり ”レバ刺し” だった。

  ただし、食事をした店が ”食中毒” を出したのではなく、レバ刺しを食べたことによる ”食あたり” なのだそうである。医師の説明によると、どんなものでも生の食材には少なからず病原菌はあるそうで、普段だったら抵抗力があって問題はないのだが、体力が低下している時に食べると ”食あたり” してしまうらしい。さらにアルコールを摂取すると ”菌” が培養されるというではないか。

  そう言われると私用ではあるものの過密スケジュールで疲れていたところで ”レバ刺し” を食べてビールもガブガブ飲んでいた。逆に疲れていたからこそ ”レバ刺し” を食べたのである。そのことを医師に伝えると、それは日本人の間違った感覚で、疲れた時にレバ刺し、ユッケ刺し、馬刺し、生牡蠣などを食べるのはバクチ行為なのだそうだ。それを教えてもらい、身を犠牲にしてやっと少しだけ賢くなる自分を知ったのであった。

  子供のころは、それほど雨が嫌でもなかったように思う。道路わきの排水路を流れる雨水に草を浮かべて流れていくのを 「じー」 っと見ていたり、長靴を履いて水溜りの中をわざと歩いてみたりして遊んでいた。雨が上がると草むらで 「ゲコゲコ」 鳴いているカエルを捕まえたりもしていた。台風にしても今は嫌だが子供のころは近づいて来ると、むしろワクワクさえしていたように思う。

  何歳の頃のことか忘れてしまったが、激しく降った雨が上がると空には大きな虹が架かっていた。その一方を見るとすぐ近所から虹が始まっているように見えたので自転車に飛び乗り、その虹がどこから出ているのか見に行ってみた。少し走ると近くを流れる川から始まっているように見える。ところが近づこうとすると虹はどんどん遠ざかっていってしまうのである。一生懸命に自転車のペダルを踏んで逃げる虹を追いかけた。

  川に架かる橋を渡り、山道に入った。どの程度登ったのであろう?4-5メートル先の道の横を流れる小川に虹の始まりがあった。ところがそれ以上近づこうとすると、ふっと虹が消えてしまう。光の屈折の関係でそれ以上は近づけないのであろうが、当時はそんなことを知る由もない。「速く近づくからいけないのだ」 と考え、自転車を降りてそーっと近づいてみても虹は消えてしまう。そんなことを何度か繰返しているうちに、とうとう空に架かる虹自体が消えてしまった。

  がっかりしながら周りを見ると全然知らない場所だったので慌てて自転車に飛び乗り、泣きながら家に帰った。かなり幼い頃のことだったと思うが、強烈な印象があったので忘れずに覚えていて、今でも虹をみるとその時のことを思い出してしまう。今はひねくれた性格の ”おっさん” になってしまったが、子供のころはそれなりにメルヘンしていたのである。

  梅雨は嫌な季節ではあるが、たまに降る雨は風情があって良いものである。日本語は表現豊かなもので、同じ雨でも春雨(はるさめ)、紅雨(こうう)、花雨(かう)、新雨(しんう)、五月雨(さみだれ)、氷雨(ひさめ)などなど、季節によって呼び名も異なる。さらには降り方にも霧雨(きりさめ)、小雨(こさめ)、涙雨(なみだあめ)、小糠雨(こぬかあめ)、村雨(むらさめ)、豪雨(ごうう)、暴雨(ぼうう)などと様々な表現方法がある。

  「小雨だったよ」 とか 「霧雨だったよ」 と聞けばどの程度の雨なのか容易に想像ができるのが日本語の良いところである。外国語でも雨の量を想像できる言葉はあるのだろうが、涙とか小糠などと表現するのが日本的で良いではないか。花の咲く頃に降る雨に ”紅雨” や ”花雨” と名付けたり、新緑の頃の雨に ”新雨” と名付けるのもシャレている。

  食あたりで仕事を休むことになってしまい外出もできずにいたが、雨が降るのを窓から眺めて情緒にひたってしまった三日間だったのであった。

2002 / 07 / 14 (日) ¦ 固定リンク

文明の利器 文明の利器

  最近の技術の進歩は目覚しいものがある。数年先だと思われていた燃料電池車が今年の年末にトヨタから発売される。トヨタとしては 2003年末の発売を予定していたのだそうだが 1年前倒しになったそうだ。

  将来的にはガソリンやディーゼル車がなくなり燃料電池車が主流になると言われているが、燃料電池の ”燃料” を何にするかで複数の方式がある。トヨタとしては他の自動車メーカより先行して発売することによって自社の方式をデファクト・スタンダード(事実上の標準)にしたいという思惑もあるだろうが、環境に優しく有害な物質を排出しない車というのは人間にとっても有益なことなので歓迎すべきことである。

  燃料電池の研究開発を進めていくなかで小型・軽量化も進み、ノートパソコンや携帯電話への応用が実現化されそうだという。わずか 10ccのメタノール溶液で PDA(携帯情報端末)を 40時間駆動させることができるということは、現在主流であるリチウムイオン電池の 5倍も長持ちすることになる。電池(エネルギー)が切れても長い時間かけて充電する必要はなく、タンクにメタノール溶液を 「チュチュッ」 と入れればすぐに使えるのである。

  この燃料電池はすでに試作品ができていて 2003年度中には製品化のメドがつくらしい。ただし、現段階では平均 5ワット、最大でも 8ワットの出力でしかないため、ノートパソコンを駆動させるのは無理だが、それでもすぐにノートパソコンを駆動させることのできる燃料電池は開発されるのだと思う。 携帯電話程度の機器であれば、連続待ち受け時間が 3,000時間(125日)、連続通話時間は 20時間が可能だそうなので、さらなる小型化と性能向上が必要になるが、それでさえも 2005年の実用化が視野に入っているらしい。

  昔の映画に 「ミクロの決死圏」 というのがあった。ミクロサイズに縮小された医療チームが潜水艇に乗って人間の体の中に入り、レーザー光線で手術するというのがストーリーだ。人間をミクロサイズに縮小することは不可能だが、カプセル型の医療機器を飲み込んで体内を撮影する装置が開発された。

  長さ 23mm、直径 9mmなので大きなカプセル入りの薬を飲むようなものだ。検査を受けるのが苦しいという ”胃カメラ” の代わりになる医療機器だが、小さなカプセルの中にはすごい技術が詰め込まれている。そのカプセルの中には撮影用の超小型カメラ、患部を照らすためのライトが搭載されている。ただし、それらを動作させるためのバッテリーなどは搭載していない。患部に到達する前にバッテリーが切れてしまったら診断には使えないからだ。

  どうやって動作のためのエネルギーを確保するのかというと、体外からマイクロ波(電子レンジなどに使われている高周波の電磁波)を照射して、そのマイクロ波をカプセル内で電気エネルギーに変換するというのだ。小さなカプセルによくそれだけの装置を詰め込んだものだと感心してしまったが、実は患部に直接投与するための薬を入れておくタンク、患部を切り取る道具、切り取った患部を格納するタンクまで搭載しているとのことだった。

  日本は小型化が得意なのは分かっていたが、これほどまで技術が進歩しているとは思わなかった。投薬や患部の切除は将来の計画で、当初は胃カメラとの代替を目的としているらしいが、胃カメラで苦しい思いをするのがイヤな場合はこのカプセルを飲めば良いのだから人間にとって嬉しい技術である。量産段階では一個 5,000円程度で作れるらしいので検査費がとんでもなく高額にならずに済むと思う。本当に人間のためになる小さくても偉い奴なのである。

  2000年末の雑感で願ったように二足歩行のロボットでは日本が一歩も二歩も世界をリードしている。ロボットを二本足で歩かせて何になるんだ!とも思わなくもないが、アニメなどで鉄腕アトム以降、脈々と受け継がれている二足歩行ロボットの夢を是非とも実現していただきたいものだ。

  足で歩くロボットの場合、常に三本の足が地面に接している六足歩行が一番安定するのだそうだ。六本足だと昆虫のようになってしまうが、それはそれで 「カッコイイ!」 のではないかとも思う。しかし、二足歩行にこだわるのには、それなりの理由があるのだろう。六本足だと安定して転ぶこともないのでセンサーなど余計な部品と困難な技術も必要ないのだが、あえて不安定な二足歩行に挑戦することで新しい技術が生まれたりするのだと思う。

  何本であろうと足を使って移動するロボットが必要とされるのは、タイヤとかキャタピラでは走行不可能な悪路も進んでいけるからだ。移動手段が足であれば大きな段差があっても上り下りできる。技術が進めばジャンプだってできるかもしれない。そうなるとキャタピラでさえ乗り越えることができないような段差でもひとっ飛びである。急な斜面でも足の間接を上手に使えば本体は限りなく水平を保つことだってできる。

  どんな山奥でも、瓦礫のなかでも入って行けるのであれば災害時に人命救助に役立つことができる。人類が到達する前の惑星探査をすることもできる。有毒ガスが充満する洞窟の調査だってできる。人間に役立つロボットに足は不可欠なのである。しかし、悲しいことではあるが、そのようなロボットが実用化された場合、真っ先に利用されるのは軍事目的なのであろう。

  人間が進むのが困難な場所に分け入って敵を監視したり、武器を搭載して殺戮兵器として利用されるのが目に見えるようだ。現実としてアメリカがアフガニスタンを攻撃した時には無人の偵察機や爆撃機が投入されている。あれだって立派な ”鳥型” ロボットである。科学や技術の発展が人類の発展や平和にだけ利用できるのかは、それこそ鉄腕アトム以来ずっと考えなければいけないテーマになっているように思う。

  文明の利器の ”利器” には 「便利な器具・機械。利用すべきもの。役に立つすぐれたもの。」 という意味のほかに 「鋭利な兵器・武器。よく切れる刃物。」 という意味もある。将来もそれが変わらないのか 「便利な器具・・・」 という意味だけが残るのか 「鋭利な兵器・武器・・・」 という意味だけが残るのか、それは利用する側である我々人類しだいなのである。

2002 / 07 / 07 (日) ¦ 固定リンク

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