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2002年 3月

電車内人間模様 電車内人間模様

  通勤の電車内は読書の時間に充てているため、車窓から見える景色の変化に気付かないことも多い。この時期は桜も咲いているのだろうから見てみようと思っているのだが、本を読んでいて 「あっ!」 と思った時には桜の木があるポイントをすでに通過している。ひどい時は大阪駅に着いてから見るのを忘れていたことに気が付くようなありさまである。そんなこんなで目的の桜の開花はまだ確認できていない。

  電車内でずっと本を読んでいるわけだが、活字を目で追うのに疲れたり文書の区切りで顔を上げると車内の乗客が目に入る。そこには様々な人がいて、それぞれの時間の過ごし方をしている。楽しげに会話をする人、ぼ〜っと外の景色を眺めている人、ただひたすら惰眠を貪っている人、もの思いにふけっている人など本当に様々なのである。

  最近は携帯電話を手にしている人が多い。車内アナウンスで電源を切るように呼びかけても効果はないようだ。以前にも書いたが会話をされると気になるが、メールのやり取りであればうるさくないので個人的には気にならない。一心不乱に親指を動かすその姿も人それぞれで、多くの場合は無表情で機械的に操作をしているのだが、たまに作成している文書の内容が顔に表れている人もいる。

  よほど楽しいメールのやり取りをしているのか、ニコニコしながら操作している人もいれば、やけに難しい顔をしている人もおり、「仕事関係のメールだろうか?」「彼女と喧嘩でもしたのだろうか?」 などと余計な心配をしてしまう。ある日見かけた若い女性は、左手に荷物を持ち、右手に携帯電話を持って親指を動かしていた。わりと綺麗な女性で、ドアに寄りかかりながら携帯電話を見つめる姿も様になっていたのだが、何かを思い出したように顔を上げたと思ったら携帯電話のアンテナでコリコリと頭を掻いた。両手がふさがっているのは分かるが、その姿があまりにも可笑しくて 「ぷっ」 と吹き出してしまった。

  その他にはウォークマンを代表とする携帯型の音声再生機で何かを聴いている人も多い。以前のものとは違い、音漏れ防止の技術が進んでいるのでチャカチャカ聞こえてこない。いったい何を聴いているのか、目を閉じておだやかな表情の人もいれば、目を開けて一点を見つめている人もいる。中年の男性で英語のテキスト片手に必死に聴き入っている人もいた。どうやら英会話の勉強をしているらしい。

  何を聴くのかも人それぞれだが、ある日見た若い男の子はハードな音楽を聴いているらしく、目を閉じて足でリズムをとっている。電車内だということを忘れているのか、頭も上下に揺れてきてノリノリ状態になってきた。その動きに目を奪われ、何人かがその男の子を見ていたのだが、その ”ノリ” はだんだん激しくなってくる。曲が盛り上がってきたと思われるその時、ついにその男の子が歌いだした。しかし、すぐに電車内ということを思い出したらしく、目を開けて周りを見ている。何人もに見られている状況に気付いた彼は一瞬戸惑ったようだったが、再び目を閉じてそれからは動かなくなってしまった。

  出勤時の電車では寝ている人もかなり多い。下を向いたまま動かずに寝ている人、上を向いてポカ〜ンと口をあけて寝ている人、体がガックンガックン揺れているひとなど、寝かたも人それぞれである。ある日見た光景はとても面白かった。座席の端に若い女性が座り、その隣りに中年の男性、その次に若い男性が座っていた。中年の男性は新聞を読んでいたのだが、両隣の若者が寝ていて体が揺れるものだから、とても読みにくそうにしている。

  その内の一方が若い女性だと気付くと、寄りかかってきても少し嬉しそうにしていたのだが、寝ている二人は人に寄りかかっては態勢を直し、また人に寄りかかるということを何度も繰返していた。しかし、そのうちに熟睡モードに入ってしまったようで、二人とも中年の男性の肩に頭を乗せたまま動かなくなってしまった。あきらめた男性はパサッと新聞を閉じ、上を向いて目を閉じてしまい、そして三人とも動かなくなった。

  車内の過ごし方は色々あるが、やはり一番多いのは新聞、雑誌などを読んでいる人である。これも以前の雑感に書いたが、白髪頭の恰幅の良い ”おじさま” が少年マガジンなどを読んでいたりしている。それはどうか思うこともあるが、何を読もうと個人の自由であるわけである。それでも若い女性が経済新聞を読んでいる横で中年というか初老の男性がマンガを読んでいる姿を見るとやはり違和感がある。

  その他にも英字新聞を読んでいる人、小説を読んでいる人など、これも様々であるが、帰りの電車ではスポーツ新聞を読んでいる人が圧倒的に多い。スポーツ紙に書いてある記事など本当かどうか疑わしいものが多いと思うのだが、おじさん達は真剣に読んでいる。中には真剣な顔をして風俗関係の記事を読んでいる奴もいたりする。途中の駅で女性が乗車して近くに来たりするとあわてて他のページを開いて、同じように真剣な顔をしている。

  たまに英語の小説(ペーパーバック)を読んでいる人も見かけるが、ファッションで持っているだけと思われる人もいる。なぜならば何分たっても同じページを開いていて一向に読んでいる風ではない。それでも、人それぞれ興味のある小説や記事に目を通しているわけだし、人に迷惑をかけているわけでもない。同じく読書をしているこちらにとっては車内が静かなのはありがたいことだ。

  そんな静寂を破るのは平気で携帯電話で話す奴、酔っ払いのオッサン、数人で乗り込んでくるオバハンである。電話での会話は声の大小に関わらずとても気になり、読書の妨げになる。酔っ払いオヤジは声がでかいので、やはり集中できない。しかし最悪なのはオバハン同士の会話である。それもオバハンが 3人、4人になると、とても側に立っていることができない。耳の奥がぼわ〜んとしてくる。

  もう何年も前の話になるが、出勤時の電車の同じ車両にオバハンの団体が乗っていた。同じ車両でも違う入口だったので、こちらとしてはまだ ”マシ” だったのだが、それでもかなりのボリュームで声が聞こえてくる。これから旅行にでも行くのかオバハン達のテンションは朝から最高潮に達しているらしい。「まぁこんな日もあるわい」 と読書を諦めてぼんやりと窓の外を眺めていると、とてつもなく大きな声で 「あんたらうるさい!!」 という別のオバハンの声が響き渡った。

  救世主現る・・・と思ったのだが、そのオバハンの怒りはなかなか収まらない。「新聞読んだり、みんな勉強しているのに!」 と怒っているその声を聞いて、マンガを読んでいたオッサンがあわてて本をカバンにしまったり、何事かと遠くの出来事を見るために車内を移動する奴がいるわで車内は騒然としている。

  結局は大阪駅までオバハンの怒りは収まらず、4駅ほど怒鳴り散らしていたので読書を続けることは不可能に終わってしまったのだった。

2002 / 03 / 31 (日) ¦ 固定リンク

杞憂 杞憂

  自分のことで精一杯なはずなのに世の中のいろいろな事が気になってしかたない。10年以上も言われ続けているので不況という言葉も聞き飽きた。なんでもかんでも不安視したり必要以上に気を揉んだりすることはないと最近になって思うようになった。

  これも日本人的なことだが景気が良いバブル期には日本全体が浮かれて歯止めがかからないし、不景気になると日本全体が ”どよ〜ん”としている。ペイオフに関しても解禁が目前になると、慌てて口座を移し替えたり金(きん)を購入したりしている。この件に関しては以前の雑感で不安になるような書き方をしてしまったので偉そうには言えないのだが・・・。

  以前の雑感の訂正も含めて必要以上に不安視しなくても良い理由を並べてみる。まずは訂正からだが以前の雑感で 「保証されるのは 1,000万円まで」と書いているが、「1,000万円とその利息まで」というのが正確な表現となる。さらに厳密に言えば ”あくまでも保証されるのは”ということであり、保証はないがそれ以上の預金も一定の割合で戻ってくる。

  今まで破綻した金融機関の平均の資産残高は 7割程度と言われているので、仮に 3,000万円預けている人はとりあえず 1,000万円と利息は保護され、残り 2,000万円についてはその 70%が戻ることになる。つまりペイオフが発動されたとしても約 2,400万円は戻ってくると思われるのである。

  それもペイオフが ”発動”された場合の話であり、ペイオフが ”解禁”になったからと言って、金融機関が破綻したらすべて ”発動” されるわけではない。アメリカでは 1989年 8月〜95年12月の間に約 540の金融機関が破綻しているが、その中でペイオフが発動されたのは 30件。つまり 6%程度のものである。発動されるのは破綻した金融機関の営業を引き継ぐ金融機関が見つからない場合なので、日本においてはもっと発動の可能性は低くなると思われる。

  今まで破綻した銀行を見ても、金融当局がブリッジバンクを設立して営業を継続し、最終的には譲渡先が見つかっている。そうなれば資金援助がおこなわれるので破綻した銀行が清算に追い込まれるまでに至らない。つまりはペイオフは発動されないため、預金は全額保証されるのである。

  今までにないシステムの導入にあたって不安に思うことも多いが、ガタガタ騒いだり慌てたりすることはない。ただし、すべての金融機関が上述したような手続きで営業譲渡できるわけでもないので、ある程度は預金を分散しておいた方が賢明かもしれない。一箇所にまとめておくと破綻時に銀行がいったん閉鎖されるため、預金を引き出すことができなくなってしまうので、それを回避するためにも 「預金が 1,000万円もないやい!」という我家も含めて預金は分散すべきであろう。

  デフレスパイラルに関しても以前の雑感で 「大変だ」 と書いたが、これも自然な流れのように思う。ましてや何もかもが値下がりしているわけではない。従来どおりに価格が上昇しているものだってあるのだからマスコミやエコノミストが大騒ぎするようなデフレ対策が本当に必要なのだろうか?世界的に見て日本の物価は高かったのだから、明らかに割高なものは世界的水準にまで物価が下落するのは当然だと思う。

  グローバル経済などと言われてもピンとこない面もあるが、部材や食材が世界中で流通するようになれば税率などを抜きに考えると各国の物価が同じようになるのは当り前といえば当り前の話である。日本の一次、二次産業は大変だと思うが、衣料品や食料品はこれからも低価格化が進むと思われる。

  車や電化製品にしても韓国や中国から入って来る低価格品に対して戦々恐々としているが、それは 40年前、30年前に日本がアメリカに進出したときも同じだったはずだ。日本の低価格攻勢にアメリカの自動車産業や電機産業はボロボロにされた。それと同じことが今日本で起こっている。どんなに抵抗してもセーフガードを発動しようとも結果的に韓国や中国の製品価格が近い将来には標準価格となるのだろう。

  もうひとつ世界的に見て非常識な価格だったのが土地だ。バブル期には価格が倍になることなど日常茶飯事で ”土地ころがし”などという言葉さえ生まれた。バブル崩壊とともに土地神話も崩壊し、なかなか回復しないのであるが、そもそもの価格が高すぎたのでこれまた当然だと思う。土地と株の値下がりが銀行の不良債権が膨れ上がらせる原因でもあるが、そんなものにしか担保価値を見いだせなかった銀行側に責任がある。

  だれもが知っているように価格は需要と供給のバランスによって決まる。日本は土地(領土)が少なく人口が増え続けたために土地の価格も上昇を続けたわけだが、少子化によって今後の人口は減っていく。人口を維持するのに必要な出生率 2.1人は 1974年からすでに下回っており、日本の生産年齢(15歳〜64歳)人口は 1995年にピークを迎えてしまっているらしいのだ。つまり、土地の需要が減ることなど 2-30年前から予測できたはずだ。

  ものすごく単純に計算すると男女 1組(2人)が結ばれるわけだから、そこに 2人の子供ができなければ人口は減少する。現在のように 1人程度の出生率だと単純には人口は半分ずつになっていく計算になるのだ。そうなると土地だけでなく車にしても衣料品や食料品にしても今ほどの需要はなくなってしまうので、価格が下落するのはやっぱり当然な訳である。

  こうして色々と考えてみると不景気だからモノが売れなくなり価格が下落するのではなく、需要が減ってきたから、そして今までが高すぎたから適正価格に近づいているだけなので、そんなに心配することはない。・・・という結論でまとめよう思っていたのだが、日本の将来を考えるとなんだか逆に不安になってしまった。

  こういう不安感を皆が持っているから本能的に子供をつくらなくなってしまい、人口が減少し、不安になり、子供をつくらず、人口が・・・というスパイラルに陥ってしまったのだろうか?

2002 / 03 / 24 (日) ¦ 固定リンク

'02春のファッション事情 '02春のファッション事情

  すっかり春めいてきた。ここ 2-3日は 4月並の気温とのことなので少し暖かすぎるのかもしれないが、九州から順に桜の便りも聞こえてきている。この時期に一番困るのが何を着たら良いのか分からないことだ。街を行き交う人を見ても、この季節は皆バラバラのファッションに身を包んでいる。

  知り合いに毎年ゴールデンウィーク近くまでダウンジャケットを着ている人がおり、「暑くないの?」 と聞くと朝(出勤のため)自宅から駅までが寒いのだと言う。しかし、電車に乗ってから会社に着くまでの間に汗だくになっている。通勤時間の中で寒く感じる時間よりも暑く感じる時間のほうが長いのであればジャケットを着なければ良いのに暑くてしょうがなくなるまで着続けているのである。最近は会っていないが今年も未だにダウンジャケットを着込んでいるに違いない。

  もっと以前の知り合いにも変わった人がいた。某有名国立大学の大学院生だった彼は、もう夏の足音が聞こえ始める 6月になってもトレンチコートを着ていた。年齢が上だった彼に 「暑くないんですか?」 と聞くと 「心は寒い」という答えが返ってきた。「そ、そうなんですか?」と聞くと 「うむ」とうなずきながら去っていってしまった。どんなに有名な大学の学生であろうと変な奴は変な奴なのである。

  極端に人目を気にするほど自意識過剰なわけではないが、周りから見てあきらかに浮いた存在になるのは避けたいものである。したがって、今の時期は何を着たらよいものかと観察してみると、今でもダウンジャケットを着ている人、オーバーコートを着ている人、薄手のコートを着たり、コート類を着ずにジャケットだけの人など様々である。

  色んな職業の人が行き交う大阪(梅田)では毛皮のコートを着た ”その筋”の女性、ダウンジャケットを着込んだサラリーマン、脱いだ皮ジャンを手に持った Tシャツ姿の大学生など皆バラバラで 「いったい今は何月なんだ!?」と道行く人に大声で問いかけたくなってしまう。

  もうフリースの季節も終わりかけであるが、一世を風靡したユニクロの業績が振るわない。既存店の売上が前年の実績を割っているとのことだ。日本人の習性に振り回された典型的な例であろうと思う。ちょっと評判になると蜜に群がるアリのように大勢の人が押し寄せ、熱が冷めると潮が引くように去って行く。

  高品質のものを低価格で提供するユニクロは、物を見極める賢い消費者が選ぶ店として存在しているはずだったのに、単なる ”流行”に終わってしまった。ユニクロ側も流行に乗ってしまい短期間に店舗数を拡大しすぎたようだ。下着やソックス、Tシャツであれば、同じ物しか売っていなくても継続的に買い換えるが、セーターやシャツなどは毎年のように流行が変わるため同じ物を買い換えることは少ない。

  フリースも ”今年の新色”と言われても何着も必要ないし、いくら流行だと言っても人民服ではないのだから、日本人全員が同じ格好をするはずもない。ユニクロのフリースはあまりにも流行りすぎてしまったようだ。以前は電車の中などでユニクロの紙袋を見かけると 「おっ!ユニクロだ」 という反応だったが、最近では 「うわっ!ユニクロだ」という目で見る人と無反応な人が多くなってしまった。

  企画から生産、流通、販売までを自社で行う ”ユニクロモデル”は経済・経営評論家も絶賛していたが、熱しやすく冷めやすい日本人の流行になってしまったのが落とし穴だったようだ。ユニクロブームは終焉を迎えつつあるが、高品質で低価格なものを望む声はなくならないので、これからは安定した需要に対して商品が供給されていくのだろうと思う。

  しかし、なぜ日本人は流行に流されやすいのだろう。何年か前に流行した厚底サンダルやブーツも去年あたりから圧倒的少数派になってしまった。以前 TVで厚底のブーツは自宅での保管が大変なので専用の棚を作り有料で預かる商売を始めた人を見たが、あの商売はどうなってしまったのだろう。

  歴史は繰り返すと言うがそれはファッションも同様で、上述の厚底などは若かりし頃の母親が嬉々として履いていたと記憶している。流行があるのはサラリーマンのスーツ姿も同じで、ネクタイが太くなったり細くなったり、襟が太くなったり細くなったりボタンが 3つになったり 2つになったりしている。正確な周期はないようだが父親の時代に流行したものが現代に蘇えったり、自分が若い頃に着ていたものが最近になって流行ったりしている。

  いいかげん ”おっさん”になってしまったので、若い人が着るような流行を追いかけるつもりはないが、あまりにも古臭い格好のまま堂々としている根性も持ち合わせていないので、あまり流行を追わず定番と呼ばれるメーカやブランドのスーツを選ぶようにしている。それだと何年着続けようが流行に左右される事が少ないからである。

  で、今の季節は何を着るべきなのか・・・。普段着は寒くなっていくと、どんどん重ね着をしていく十二単方式なので、暖かくなるにしたがって少しずつ脱いでいけば良いのであるが、外出着や通勤の時が問題なのだ。色々と考えはしたが、結果的には自分にとって快適な格好をするしかないようである。

  そうとは思いつつも、コート類を着ている人と着ていない人のどちらが多数派なのか、周りの様子を横目でうかがいつつ通勤している今日このごろなのである。

2002 / 03 / 17 (日) ¦ 固定リンク

もっと壁を越えて もっと壁を越えて

  前回の雑感を書いていて思い出したのだが、言葉が通じなくても人と人のコミュニケーションは可能なものだ。身振り手振りでなんとかなるものなのである。やっぱり最初は何を言っているのかさえも分からないのではあるが・・・。

  アメリカに行った時、ホテルで食事をしながら生演奏を聞いたことがある。食事も終わり、各自部屋に戻ろうとエレベータが来るのを待っていると演奏していた人たちがそばを通った。その時、同行していた英語がペラペラの女子社員が 「◎△♀テ浴宦堰、!」と話しかけ、外人さんもニコニコしている。「何て言ったの?」 と聞くと 「『素敵な演奏をありがとう』って言ったんですよ」などとぬかすではないか。心の中では 「けっ。な〜にが素敵な演奏をだ!」 と思っていたが 「ふ〜ん」と言っておいた。英語の良いところはキザな台詞(セリフ)も似合ってしまうことだと思う。

  日本語では恥ずかしくて口にできない台詞も英語だと違和感がない。映画を字幕で観ていると愛情表現にしても、相手に対する誉め言葉にしても、日本語で言うとジンマシンが出そうな台詞がある。それも英語だと格好良く聞こえてしまうが不思議だ。

  同じ頃、台湾への出張に同じ部署の社員だったアメリカ人の Pが通訳として同行した。日本人にとって台湾の人が話す英語はカタカナの発音に近いため、アメリカで聞く英語よりも理解しやすいのだが、Pにとっては聞き取りにくいようで通訳するのに苦労していた。台湾なまりの英語を聞き取り、日本語に変換しなければいけないのだから大変なわけだ。

  Pと何日間も行動を共にしていると日本人とアメリカ人の差がはっきりと分かる。アメリカ人は開拓精神が旺盛と言うか、当って砕けろと言うか ”ダメ元” でどんどん行動することができる。日本人は外国に行くとなんとか現地の言葉でコミュニケーションを図ろうとするが、アメリカ人は誰が相手でも平気で英語で話しかける。言葉が通じないことが分かると、はじめて身振り手振りを加えるのだ。

  一日の予定も終わり、台湾の歓楽街にくり出したときも屋台で売っている食べ物に興味を持って 「これは何ぞや」と英語で質問している。若い人は英語を話せる人も多いが屋台の ”おっちゃん” や ”おばちゃん”は英語など話せないので目を丸くして固まったりしていた。中には Pが指を差しているのを見て台湾語(台北は北京語)でその食べ物の説明を始めるのだが、今度はこちらが固まる番となってしまう。

  あちらこちらで台湾人を固まらせたり、こちらが固まったりしながら歩いていると、その場に似つかわしくないような洒落た店があった。ウィンドウ越しに店内を覗くとビリヤード台が置かれたりしてアメリカナイズされた店だった。これなら英語も通じるだろうと中に入ると思ったとおり店員さんが英語で話しかけてくる。

  Pの通訳によってオーダーも終わり、二人で話をしていた(もちろん日本語)。店内には大音量で音楽が流れてるので必然的に声も大きくなる。二人とものどが痛くなってきたので店員さんに音を小さくしてほしいと頼んだところ、若くて可愛い女の店員さんがそばに寄ってきて 「この音楽は嫌い?」 と英語で聞いてきた。その時なんと Pは 「君の声がもっとよく聞こえるようにさ」 などと答えやがる。 「んんなーーーにが 『聞こえるようにさ』 だ!!」 と心の中で叫んだが、嬉しそうにしている店員さんの横で、とりあえずはニコニコしている典型的な日本人なのである。

  アルコールをしこたま飲んでその店を後にし、ホテルへの帰り道では酔った勢いで来る時にも増して屋台の台湾人を固まらせていた。のどが渇いたので何かないか探したところ、ジューサーが設置されている店を発見した。これは絞りたてのジュースを飲ませてくれる店に違いないと、カウンターに座って壁にあるメニューを見るとすべて台湾語(漢字)で書かれているので困ってしまった。

  その中に ”鳳梨” というのがあったので店員さんに聞くと他の屋台と同様に固まってしまっている。仕方ないので漢字から予想がつきやすいものを選んで注文するのだが、言葉が通じないのでカウンターを乗り越えメニューを直接指さして注文してやっとの思いでジュースを飲むことができた。

  帰国する日に空港までタクシーに乗ったところ、Pが 「おーー!」 と叫ぶので何かと思ったら 「昨日の夜見た漢字はパイナップルのことだ」 と言ってバックミラーに吊るされているパイナップルのアクセサリーを指さしている。確かにそこには ”鳳梨” と書いてあった。何にでも興味を持ち、それを吸収する彼を見て 「偉いな〜」 とつくづく感じてしまった。

  車内での会話を聞いていた高齢の運転手さんが 「あなた達は日本人?」と片言の日本語で聞いてきた。「日本語が分かるんですか?」 と聞いたら 「戦争の時、日本軍に制圧されて無理矢理に教えこまれたのです」 との答えが返ってきた。戦争で日本が犯した罪についてまともな教育を受けていなかったが、「その節は我々の先祖が大変申し訳ないことをしまして・・・」 と謝るしかなかった。

  それからすぐに同行していた部長と仕事の話を始めたのであるが、助手席に座っている Pと運転手さんは話を続けている。会話を聞いてみると Pと運転手さんはお互いに片言の日本語で会話を進めているので思わず笑ってしまった。二人に聞いてみると Pは台湾語が話せないし、運転手さんは英語が話せないとのことである。唯一のコミュニケーション手段が ”片言の日本語” なわけだ。

  会話を聞いているとお互いに間違った日本語を使ったりして日本人が聞くとよく内容が理解できないのだが、二人は相通ずるものがあったらしく、「ワッハッハ」 と楽しそうに笑っていた。それを見ると可笑しくて、ついこちらも 「わっはっは」 とつられてしまう。

  とってもとっても小さな壁ではあるが、アメリカ、日本、台湾の人種の壁が崩れた瞬間であった。

2002 / 03 / 10 (日) ¦ 固定リンク

壁を越えて 壁を越えて

  世の中には目に ”見えない壁”が多く存在する。牛と人間には ”種の壁” があり BSE(狂牛病)が人間に感染する確立は 100分の 1以下(10万分の 1以下という研究者もいる)なのだから、必要以上に大騒ぎしたり牛肉を敬遠したりすることはないのである。しかし、万が一と言葉があるように 「もし感染したら・・・」と考えるとちょっと怖いのも事実だ。

  そもそも牛肉が売れなくなったのは狂牛病問題が発端だが、最近では国内産なのか輸入品なのかも疑わしく賞味期限なども含めた安全性に不安があるため一向に消費が回復しない。国の対応が後手後手になってしまうのは ”省庁の壁” が主な原因である。

  原材料の生産から出荷までは農林水産省、安全性に関しては厚生労働省などと縦割り行政になっている。担当が違うとか必要書類を山ほど提出しなければならないとか、縄張り争いにも似た構図になっているのでなかなか対策が決まらない。今のように政治が腐っていると縄張りを主張する裏には利権が絡んでいるのであろうと疑ってしまうのだが、ひとたび問題が発生すると 「それはあっち」 などと責任のなすりあいである。

  雪印問題でも雪印乳業が他社との資本提携を探る方針を発表すると、農林水産省と自民党が 「外資との提携は避けるべき」と主張し出した。外資系企業には同省と農林関係議員の 「影響力」 が及びにくくて 「酪農家を守れない」というのが理由だが、単に 「おいしい」部分が減ってしまうのが嫌なのではないかと疑ってしまう。国会議員と国民の間にも ”見えない壁” があるようだ。

  宗教にも越えられない、理解し合えない ”壁”がある。遠い昔から宗教の違いによる対立があり、対立が激化した場合には戦争にまで発展する。今もヒンズー教とイスラム両教徒間の暴動が拡大している。無宗教な自分は誰が何を信仰していようとカルト宗教やしつこく勧誘する宗教でなければ気にならない。しかし、宗教間の対立やそれによる戦争の報道を見るたびに 「彼らの宗教には人を殺してはいけないという教えはないのだろうか?」と疑問を感じてしまう。

  宗教観に近いものがあるが ”人種の壁”も厳然と存在する。田中真紀子氏や鈴木宗男氏の報道ですっかり忙しくなってしまい、最近ではあまり伝えられなくなったがアフガニスタンの内戦もパシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人など人種による争いも大きな要素となっている。戦争による難民を ”人種の壁” を越えて救おうとするボランティアや NGOは素直に尊敬すべきだと思う。それに横槍を入れた(と言われる)鈴木宗男氏は・・・と続けたくなるが、今回のテーマとは異なるのでやめておくことにする。

  その ”人種の壁” に近いのが ”言葉の壁”である。言葉が通じなければ当然のことながら意思の疎通は困難なのでペラペラと喋れる人が羨ましい。正確に意思の疎通を図ろうとすると中途半端に話せる程度では無理なのであろう。中曽根元首相が 「英語で話す時は英語で考える」と言っていたが、それはそのとおりだと思う。相手が話したことを和訳して考えをまとめ、自分の考えを英訳してから話すのであれば間に通訳がいるのと同じである。

  ・・・などと偉そうに語っているが、自分も日本語以外はさっぱり分からない。その日本語ですら怪しいのであるが・・・。以前勤めていた会社で何度か海外出張を命ぜられた。言葉が分からないので、にこやかにお断りしようとも思ったが会社の命令とあれば行かねばならないのである。

  出張の目的はラスベガスで開かれるコンピュータ関連の展示会を観ることと、最新の技術やトレンド商品を調べることだった。会場に展示されている製品の説明を 「ふんふん」 と聞いていたのだが、使われる単語にコンピュータ用語が多いので細かいことは分からなくても使用法や仕様はなんとなく理解できる。

  ホテルに帰ると、場所が場所だけに当然のごとく”バクチ”を始めるわけだが、そこでの会話にはついていくことができない。外人さん同士が何かを話して 「ワッハッハ〜」と笑っているのだが、何がおかしいのかさっぱり分からないのである。その人たちから見ると典型的な 「無表情」 な日本人だったに違いない。その出張は 5泊だったのだが、最後の最後になって相手が何を言っているのか分かるようになってきた。分かるといっても雰囲気が大きな割合を占めるのだが、きっとこう言っているんだろうな〜とか、彼はこう思っているんだろうな〜と、不思議なことに伝わってくるものなのである。

  最終日に展示会の会場からホテルに戻るとき 「一緒にタクシーに乗せてほしい」というアメリカ人と一緒になった。なんでもコンピュータ周辺機器メーカの社長さんと言うことだ。車中ではコンピュータ関連はサポートが大変だという話になり、その社長さんが 「あなたの会社では何人くらいサポート要員がいるんだ」と聞いてきた。同行していた部長が 「20人くらい」と答えたあとで 「あなたの会社は?」と聞き返すと、その社長さんは 「Call me」 と答えた。

  普段はアメリカのコメディ映画を見ても 「どこが面白いんだ?」と思っていたが、その時は大笑いした。人にさんざんサポートのことを聞き、人数まで尋ねたあとで苦労の多い業務であるサポート要員が何人いるのかという問いに対して 「Call me(私に電話して)」という答えはとてもオシャレで面白かった。もっと英語が分かればホテルでの外人さん同士の会話も面白かったに違いない。

  ”種の壁”を越えて狂牛病に感染するのは困るが、これから先何十年、何百年か経つと宗教や人種、言葉の壁を越えて世界中の人が理解し合える日が来るのだろうか?お互いに理解し合い、争いのない世の中になるだろうか?

  寿命が尽きるまでに、そんな世の中の姿を見てみたいと思ったりしている今日このごろである。

2002 / 03 / 03 (日) ¦ 固定リンク

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