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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2001年 7月

生き物たち 生き物たち

 先日、大型スーパーに買い物に行った。外は異常な暑さだったので少しでも涼をとろうと、当てもなく店内をブラブラしていたところ、カブト虫やゼニガメなどが売られていた。クワガタやカブト虫は子供の頃から好きだったので、ひきつけられるようにフラフラと売場に向った。

 カブト虫を見てみると、かなり小さい。カブト虫は無理だったが、子供の頃は毎日のようにクワガタを捕まえに行き、あたりが暗くなるまで夢中になっていた。一夏でかなりの数のクワガタを捕まえたが、それは大きなものばかりだった。

 子供心に「小さいのを捕まえるのはかわいそうだ」と思い、自分の中にある基準より小さいものは逃がしていたのである。誰に教えられたわけでも、しつけられたわけでもないのだが、友達も同じようにしていた。

 ところが売られているカブト虫は小さいなものばかりである。たしかに、大きなものは”高額商品”であり、スーパーでの販売は不向きなのかもしれない。ペットショップなどでは数千円で販売されているし、中には数万円、バブル期には数百万円などという、とんでもない価格のカブト虫も売られていた。

 しかし、低価格販売を前提とするからといって、あんなに小さなカブト虫まで捕獲して良いものだろうか?と思っていたのだが、よくよく考えると「小さい」のはカブト虫の子供というわけではない。カブト虫の子供はイモムシのようなウネウネした幼虫なのである。

 自分が子供の頃は、小さい=子供、大きい=大人と思っていたので、小さな(子供の)クワガタは捕まえてはかわいそうだと判断し、自主的に逃がしていたわけである。

 それにしても、商売だからといって大きなものから小さなものまで乱獲を続けていると、カブト虫が日本から絶滅してしまうのではないかと心配になってしまう。最近ではそれらの虫を養殖(繁殖)させて販売する業者もいるようなので、余計な心配なのかもしれないが・・・。

 同じく売られていたゼニガメはもっとかわいそうだった。ケースを手に取り、ホレホレと指でケースをトントンすると、エサをもらえるのかと勘違いして口を”あ〜”と開いたり、指をエサと思ったのか、かじりつこうとパクパク口を動かしている。

 最初はその動作を見て喜んでいたのだが、だんだん辛く、悲しくなってきてしまった。売り物として店頭に並べられている間、エサを与えてもらっているのだろうか?ペットショップに売られている犬や猫は、当然エサを与えられている。同じ売場のカブト虫もゼリーのようなエサが与えられていた。ところがゼニガメのケースにはエサがないのである。

 いつ仕入れられて、何日間が経過しているのかは解らないが、人間の指に食いつこうとするくらいなので、相当お腹が減っていたものと思われる。そう考えると、どんどん悲しくなってきてしまい、逃げるように売場を後にした。

 それから数日後、目にしたチラシではカブト虫が”特売品”となっており価格もダンピングされていた。なんて可愛そうなヤツなのであろうか。売れ残った場合の運命は?などと考えると、やりきれない気分になってしまう。

 同じく可愛そうな運命を背負った生き物といえば「セミ」である。成虫として一週間程度しか生きることができない。「あわれなヤツ」とも思うのだが、ここのところは「うるさ〜い!」という感情が勝ってしまう。

 大阪のセミはなぜ”うるさい”のであろう。文書やマンガでは「ミーーン、ミン、ミン」と鳴き声を表現することが多いが、大阪のセミは「ジャカジャカ、ジャカジャカ」鳴いている。風情も何もあったものではない。

 緑が少ないせいか、一本の木に大量のセミがいて、一斉に「ジャカジャカ」するものだから、やかましくてたまらない。少ない領土(木)で子孫繁栄のため必死になってパートナーを引きつけなければならないためか、鳴き声に悲壮感が漂っている。

 ただでさえ猛暑で暑くてたまらないのにセミの声を聞くと、鬱陶しいことこのうえない。夏こそスズムシやコオロギなど涼しげな声を聞きたいものである。秋とか初冬にかけてセミが「ジャカジャカ」鳴いてくれたら、少しは気分も違うと思うのだが・・・。

 人間にとっても、昆虫や動物達にとっても”うまくいかない”のが世の中なのかもしれない。などと考えながら暑さに耐えている毎日である。

2001 / 07 / 29 (日) ¦ 固定リンク

流行 流行

 何度となく、この雑感で日本特有の国民性に触れたが、「熱しやすく冷めやすい」「爆発的なブームを作り出してしまう」など、日本には独特の文化がある。

 なにが”キッカケ”だったかは忘れてしまったが、会社の仲間と「ハヤリモノ」について激論を戦わせた。最初の議題は「今でもファービーを飼っている人はいるか?」というものだった。

 ファービー人形を入手すべく、徹夜で行列に加わった人、プレミアのついたファービーを高額で入手した人など、当時のマスコミを賑わせたものだったが、今日現在もファービーに入れ込んでいる人は何人くらいいるのだろうか?

 結論はさておき、すぐに次の議題に移った。それは、今でも「たまごっち」を育てている人は何人いるか?というものだった。日本国内で 100人程度はいるのではないかと思うのだが、会社の仲間は「そんなにいるはずがない!」と断言するのだ。

 数百万という販売実績があるわけだから、0.01%の人が今でも育てていれば数百という人数が割り出される。決して無謀な予想でもないと思うのだが「0.01%もいるはずがなかろう!」と言って、いじめるのである。

 いくら日本人が”熱しやすく冷めやすい”とはいえ、せめて 0.01%程度の人は現在でも育てていると思いたいのだが、ガンとして「いない!」と言い張る。「それならば」と、話題を変えて現在でも”ルービック・キューブ”で遊んでいる人はいるか?という点について考えた。

 それは 100人以上いるのでは?という予測で意見の合意を見ることができた。そこで、執拗に「だったら”たまごっち”だって 100人以上いる!」と食い下がったのだが、「いない!」と却下されてしまった。

 実際のところ、今でも”たまごっち”を育てている人が何人くらいいるのか、アンケート調査でもしてもらえないものだろうか。100人以上いるのか、1人もいないのかがとても気になる。

 話を元に戻すと、以前の雑感で「流行を作り出したものが勝ち」と書いたが、その前線を走っているのが玩具メーカーの「タカラ」である。

 ”お買物日記”でも取り上げられているが、最近の「タカラ」は斬新な企画や子ども達を引きつける企画が連続している。

 携帯電話の受話部分を受け持つバナナの形をした「そんなバナナ」、湯船のお湯を汲み上げてライオンの口から吐き出す「ゴージャス風呂」、チョロQ世代にターゲットをしぼり、ラジコン操作を可能にした「デジQ」、子ども達に爆発的な人気のある「ベイブレード」、エステの TBCの CMに”リカちゃん”を出演させたり、「ゴジラの肉」などのシリーズ缶詰を企画したりと、話題性に富んだ企画が目白押しである。

 「最近のタカラは元気がいいなー」「新社長がやり手らしい」「株でも買ってみるか?」などと、会社の仲間と話していたのだが、それからは特に話題になっていなかった。

 2-3日前の TV番組で「タカラ」の業績にふれていた。それを見ていたところ、タカラの株価が 3倍になっているらしい。「無理をしてでも株を買っておけば良かった〜」とジタジタしてしまったのであるが、冷静に考えてみると「それが、いつまで続くのか?」と疑ってしまう。

 現在「タカラ」の株価を支えているのは「ベイブレード」の功績が大きいと思われる。冒頭で触れたように”熱しやすく冷めやすい”国民性であるがゆえ、このブームがいつまで続くかわからない。

 タカラには現在、勢いがあるが、小泉政権に対する人気と同様にヒステリックに反応してしまう日本人が基盤となっているため、その実力がどの程度なのかは分析が難しい。国民の多くが津波のように一気に押し寄せ、何かのキッカケで一気に引いていく。

 ややこしい話はさておき、一向に景気が回復しない現状であるわけだから、せめてゲームや玩具では元気の出る企画を出し続けてほしい。その意味からもタカラには失敗を恐れずに景気の牽引役としても頑張ってほしいと切に願っているのである。

2001 / 07 / 22 (日) ¦ 固定リンク

地球脱出 地球脱出

 かなり以前の雑感で 1000年以内に人類が滅亡すると書いたが、そんな悠長なことは言っていられなくなってきたようだ。

 なぜ滅亡してしまうのかというと、地球温暖化によって最終的には”金星”のような環境になってしまうのが”結論”なのであるが、その”結論”に行き着くまでは様々なプロセスがある。

 当然のことながらフロンガスに代表されるような化学物質の影響も大きい。「京都議定書」では 2008年から 2012年の温室効果ガスの排出量を日本は 6%、アメリカ 7%、EU(欧州連合) 8%、先進国全体では 5%削減するという内容になっているが、アメリカが国益を優先しての離脱問題でゆれている。

 電気や水素などを利用した環境に優しい次世代エンジンの開発で、アメリカのメーカは 2008年に間に合わないのか、とてつもない広さの国土を抱えるゆえに移動手段、輸送手段として使用する乗り物に新エネルギーが不向きなのかは解らないが、とにかく「このままの内容では参加できないもんね〜」と言っているようだ。

 世界各国の足並みがそろわない状況で地球環境が本当に守られるのかという不安もあるが、その程度では済まされない問題も目の前に立ちはだかっている。

 温暖化に大きな影響を及ぼす二酸化炭素を排出するのは人間も同じで、呼吸するだけで二酸化炭素を吐き出してしまう。その人間が爆発的に繁殖しているため、二酸化炭素の排出量も爆発的に増えるのは当然といえば当然なわけである。

 過去数万年の人口は平行線をたどっていたが、ここ数百年で爆発的に増えている。折れ線グラフにすると、ほとんど直角に近い形で増えているので、まさに爆発的増加という言葉がふさわしい。

 人間が増えて二酸化炭素の排出量が増加し、その人間の移動や輸送手段として利用される乗り物が温室効果ガスを排出し、生活するためのエネルギーを創出するため、さらなる有害物質が排出されるという「悪循環」におちいっている。

 日本では少子化が問題になっており、政治不安、経済不安が原因と指摘されているが、それ以前の”本能”なのではないかと思っている。国土の狭い日本ではこれ以上の人口増加は滅亡を意味することを人間が本能的に察知しているため、子孫を残さなくなったのではないだろうか?

 京都議定書への加入に難色を示しているアメリカであるが、そのアメリカの NASAを中心として、テラフォーミング(火星を地球環境に近づける)計画が現在進行中である。地球上の人口が生存できる限界に達した際に火星に移住しようという壮大な計画だという。

 太古の火星は現在の地球とよく似た環境であったと思われており、火星の地下には大量の水が存在することが確認されている。火星の南極には二酸化炭素が凍ったドライアイスの存在も確認されている。

 現在は地球に有害と言われているフロンガスを火星に散布して、表面温度を上昇させ、南極のドライアイスを溶かして二酸化炭素を発生させる。それによって、さらなる温室効果を得ることによって地下の氷を溶かして”水”を復活させる。さらに植物(バクテリアも含む)を繁殖させて二酸化炭素を酸素に変換して火星を地球環境に近づけようとしているらしい。

 現在、環境破壊の”悪役”であるフロンが、人類存続の”救世主”になるかもしれないというのは、まことに皮肉なことだが、SFのような物語が実行に移されているのにも驚きを感じさせられる。

 このテラフォーミングによって火星が地球のような環境になるには、数百年という歳月が必要らしいので、自分はすでに生きていない。

 SFチックな話しにワクワクしながらも、火星に住むことはできない我が身を哀れんだりしているのである。

2001 / 07 / 15 (日) ¦ 固定リンク

夏バテ 夏バテ

 昨日、今日の二日間はまだマシだったが、ここのところ暑い日が続いている。雨降りは嫌いだが、梅雨はどこに行ってしまったのだろうか?と思うくらいの日々が続いている。この夏は水不足と農作物への影響を本気で心配しておいた方が賢明なのかもしれない。

 数回前の雑感でも触れたが、基本的に暑さは苦手なのである。以前は気温は高くても湿度は低いという、カリフォルニアのような気候で生活していたため、とくに湿度が高いと心身ともに受けるダメージが大きい。

 この雑感もネタさがしに苦労するわけだが、元々頭が良くないのに加え、この暑さで脳の一部が溶け出しているらしく、なかなか「これは!」と思えるようなネタが思いつかない。

 ベタな内容で申し訳ないが、暑い時期には食欲が落ちる。そこで、食について考えてみることにした。

 お買物日記担当者に「何が食べたい?」と訊かれても、頭の中には「そーめん」「そば」「冷麺」「冷し中華」などといった冷たい麺類しか出てこない。これから先、3か月位近くは”暑い日”が続くわけなので、いくら麺好きといっても毎日メンだけを食しているわけにもいかない。分かってはいるのだが、食べたいものが思いつかないのである。

 不思議なことに、味噌汁にさえも拒絶反応を示すようになってしまった。味噌の風味を想像するだけで「まいった」と思ってしまうのだ。単なるワガママではなく、お買物日記担当者も賛同してくれるので、敵対関係に発展せずにすんでいるが、なぜ二人そろって”味噌”を受けつけないのかは謎である。

 大豆が体に良いことは承知しているので、代替品として「納豆」や「豆腐」を多く摂取しているのであるが、それにも限界があるので「他の代用品はなんぞや?」と協議した結果、同じ味噌汁の分野でも「赤ダシなら」という結論に達して実験してみたところ、抵抗感なく受け入れることができた。

 それ以外にも体が受け付ける”食材”や”料理”が共通しているので、とりあえずは同じ物を食して満足しているのである。この時期だけではなく、いつも共通している点がほかにもある。それは”化学の味”が苦手ということだ。

 先にふれた”味噌”も、量産品は化学の味がするのでパスしている。既製品の”漬物”も製品によっては化学の味が濃くて食べられないものがある。レトルトの”カレー”も同様で、口に入れた瞬間に「ダメだ」と思うものが多い。人には「贅沢」と言われることもあるが、体が受け付けないのである。

 しかし、不思議なことに”麺類”だけは化学のカタマリであるインスタントであろうと何だろうと抵抗感なく「おいしい!」と言って食している。そう考えると、何を基準として化学の味であるか否かを区別しているのか自分でも判断がつかず説明するのが難しいのである。

 夏バテとは大きく話題がそれてしまったが、それもこれも、食べたいものが「思いつかない!」という事に起因しているのだと思う。

 どんなに暑くても、どんなに湿度が高くてもモリモリと食べられる”食材”や”料理”がないものかと溶けた脳で考えている今日このごろである。

2001 / 07 / 08 (日) ¦ 固定リンク

同性愛 同性愛

 最初に宣言しておくが、自分は決して同性愛者ではない。しかし、同性愛を否定する気も差別する気もまったくない。男性が男性を好きになろうが、女性が女性を好きになろうが個人の自由である。

 会社の仲間と男性ホルモンについて話していた。正直に言って自分は”ヒゲ”が濃くない。いいかげん「オッサン」であるから、それなりに芯のあるヒゲは生えるのだが、あごヒゲが限度であり、鼻の下や「モミアゲ」とつながるような”たくましい”ヒゲがない。

 白髪は多いが、今のところ髪が薄くなる兆候もないため、男性ホルモンの分泌が少ないのであろうと思っていた。会社の仲間も同様なので、相通じるものがあるのであろうと考えて話のネタをふった訳である。

 男性ホルモンの分泌が少ないということは、体内に女性ホルモンの割合が多く、それはつまり、同性愛の傾向があるのだろうか?ということが論点となった。しかし、自分も会社の仲間も”男”を性の対象と感じることはないため、体内に女性ホルモンが多いこと=同性愛傾向とは限らないという結論に達した。

 そこで冷静に考えてみると、同性愛者であることを公表している”男性”の特徴として「ヒゲが濃い」確立が高いことに気がついた。すでに亡くなってしまった「QEEN」のフレディ・マーキュリーも口の周りが黒々としていたし、「Culture Club」のボーイ・ジョージも化粧で分からなかったが、ヒゲが濃そうな顔立ちである。

 日本に目をむけると古くは日景ただお。彼もヒゲが濃い。その他モロモロの”あやしい”人達も皆が一様にヒゲが濃いのである。雑誌や TVで見たハード・ゲイも立派なヒゲが生えていた記憶がある。

 したがって、男性ホルモン不足は同性愛と無関係であり、男性ホルモンの分泌が多いほど同性愛の傾向が強いのではないだろうかと勝手に想像しながら話しに花を咲かせていたのである。

 そこで以前に聞いた話を思い出した。どこの研究機関かは忘れてしまったが、その機関で男性同士、女性同士の同性愛に関して調査した結果を発表していた。それは男性、女性それぞれに対しておこなった質問に対する回答で、興味深い結果が得られたとのことだった。

 男性に対しての質問は、「ぶ、ぶっさいく。とっても、ぶっさいくな女性」と「とってもキレイな男性」と一夜を共にしなければならない場合にどちらを選択するか。女性に対する質問は、まったく逆で、「ぶ、ぶっさいく。とっても、ぶっさいくな男性」と「とってもキレイな女性」と一夜を共にしなければならない場合にどちらを選択するかというものだ。

 その質問に対する回答は、男性は 80%以上が「ぶ、ぶっさいく。とっても、ぶっさいくな女性」を選択したのに対し、女性の 50%近くは「とってもキレイな女性」と回答したらしい。

 その研究では太古の昔、原生動物だったころには”オス””メス”の区別はなく、単体で繁殖(分裂?)していた DNAが脈々と受け継がれており、「男性(オス)なんかいなくても子孫が残せるわー」という潜在意識が色濃く残っているため、女性の方が同性愛に対する抵抗感が少ないのではないだろうかと結論付けされていた。

 ・・・。男(オス)は情けない生物な訳である。きっと地球滅亡の日が訪れても、人類で最後の最後まで生き残るのは女性なのであろう。

 冒頭でふれたように同性愛は否定しないが、加速度的に少子化が進んでいる現状を考えると、できれば男性と女性が結ばれて子孫を繁栄し、より良い日本を築いてほしいと考えている今日このごろである。

2001 / 07 / 01 (日) ¦ 固定リンク

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