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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2001年 3月

イヌやネコのいる風景 2001春 イヌやネコのいる風景 2001春

 桜も咲き、やっと春らしくなってきた。開花は平年より早かったが花冷えなのか、ここ 2-3日は気温が低いため、桜の寿命も多少は長くなるらしい。桜の花を 1日でも 2日でも長く見ることができるは、なんとなく得をした気になれる。

 春の穏やかな日差しに誘われて、近所のイヌやネコ達も少しずつ活動的になってきたようだ。今日(03/31)の午後、以前の雑感にも書いた”黒いヤツ”、いつもは神々しい雰囲気を漂わせている黒いイヌに会った。いつもは”お父さん”のペースにあわせて歩いているのに、前に走っているイヌを追いかけてダッシュしていた。

 その気迫におされて”お父さん”もドタドタと走っていた。もう何年も”黒いヤツ”を見ているが、あんなに速く走っている姿ははじめて見た。

 寒い時期には冬毛でみんな「ぶっ」とふくらんでデブデブになっており、それなりに可愛い姿だったが、あまり会うことができずに寂しい思いをしていた。しかし、最近はみんな活動的になってきたようで、出退勤や買い物で外を歩いているとよく見かけるようになったのが嬉しい。

 人懐っこいネコも活動的になって帰る時間が遅くなり、いつものように家に入れてもらえず困った顔をしている。この前も会社帰りに出会い、横を歩きながら「ブニャブニャ」と文句を言っていた。一応は「困ったねー」と慰めてやるのだが、自分が夜更かしして遊んでいるから悪いのである。

 出勤の時、その家の前では朝早くから誘いに来た白猫が「ニャゴニャゴ」言っている姿も見かける。「恋人なのだろうか?」と考えたりもするが、ネコの恋愛ごとに付き合っているヒマはないので「まだ寝てるんじゃないの?」となだめて、その場を立ち去ったりしているのである。

 線路沿いの家に飼われているイヌが、座布団やクッションと一緒に干されている姿も見かけるようになった。犬種は”パグ”で、とてもおとなしいイヌなのである。鎖につながれている訳でもないのに、穏やかな日を浴びてヌイグルミのようにジーっと目を細めている。体がポカポカ温まり、まるで「極楽、極楽」と言っているようだ。

 同じく線路沿いで飼われている白いイヌも、午前中の柔らかい光が当たる場所に毛布を敷いてもらい、その上に寝そべっている。みんな一様に気持ちよさそうな顔をして春を満喫しているようだ。

 商店街のお米屋さんで”餌付け”されているスズメは元気に「チュンチュン」騒いでいるが、千里丘駅のニッショーに行く通路に巣くっていたハト達は、ネットと鋭利な金属棒を設置されてしまったため、行き場を失ってしまったようだ。通行人にとってフン害がなくなることは良いことだと思われるが、追い出されてしまったハト達はどこに行ってしまったのかと心配している。

 昨年から今年にかけて、家の周りにも大きな変化があった。ずっと空き地だった所に家が新築されたり、昔ながらの家が壊されて更地になり、また新しい家が建てられている。ここ数ヶ月で新築の家が 10や 20くらいは建設されたのではないだろうか。未だに不況という名の長いトンネルから脱していない日本だが、周りを見る限りは高度成長期のようだ。

 そんな中、ネコを飼っていた家が立ち退き、古い家屋が取り壊された。あまりにも急な出来事で、ある日忽然と家がなくなっていた。夏場、エアコンの室外機で涼んでいたネコが住んでいた家である。

 ある日その場所を通ったところ、家を壊した瓦礫の山の上で途方にくれているネコを目撃した。以前の住人が飼っていたネコが遊び疲れて帰ってきたら、あるべき家がないので愕然としていたに違いない。

 イヌは人につき、ネコは家につくと言われることからも”自分”の家が無くなってしまった事実を思い知らされた、そのネコの心境は計り知れないほど打ちのめされていたのではないだろうか。イヌであれば臭いを頼りに”主人”のもとにたどり着けるだろうが、あのネコは無事に帰ることができたのであろうかなどと、よけいな心配までしてしまう。

 イヌやネコの心配をするよりも、もっと心配しなければいけない事もあるのだが、いつも顔を合わせているだけに気になって仕方ないのである。

2001 / 03 / 31 (土) ¦ 固定リンク

心ここにあらず 心ここにあらず

 「人は考える葦である」と言ったのはパスカルだったか。実は考え事をする事が多い。考え事と言うよりも”妄想”に近い状態なのである。思考の中心に映像があり、その映像を見ながら(?)ストーリーを展開させている。

 仕事のこと、レジャーの事、この雑感のこと。何を考えるにしても”映像”を見ている。この雑感は文書だけなので文脈を考えていれば済むはずなのに、白地に黒の文字がタイピングされていく映像が浮かんでくる。

 そんな状態であるから考え事をしている間は、周りのことが目に入らなく、音も聞こえなくなる。悪い事に、歩いている時、TVを見ているとき、布団に入ったときと、何かを考え始めると時と場所を選ばず”妄想”に近い状態に入ってしまうから困りものだ。

 道を歩きながら考えごとをしていて危ない目にあったことも何度かある。その時に何を考えていたのかは忘れてしまったが、周りの景色が目に入らず音も聞こえない状態だったものだから、赤信号に気付かずに車道を渡ろうとして乗用車にクラクションを鳴らされ「どっひゃ〜」と逃げたこともあった。大型ダンプが急ブレーキをかけ、目の前で停止したこともある。心臓はドキドキするわ、運転手さんには口汚く罵られるわで、えらく落ち込んでしまった。

 TVを見ながら考えごとをしていて、お買物日記担当者に「テレビ見てないでしょう?」とか「何考えてるの?」と言われることもよくある。

 電車に乗って考えごとをしていたため、降りるべき駅を通り越したことなど何度あることかわからない。出勤の際に電車を乗り越し、2-3駅先まで行くこともよくある。以前の雑感にも書いたとおり、余裕をもって出勤しているので駅のひとつやふたつ乗り過ごしても問題はないが「何をしてるんだ!」と自分自身に腹が立つ。

 会社帰りにも千里丘駅を通り越し、茨木や高槻にまで行ってしまう。決して本を読むのに集中していたわけでもなく、寝ていたわけでもない。ただひたすら考えごとをしていて乗り過ごしてしまうことがよくあるので困ってしまう。

 出勤の際、自宅を出てから駅に着くまで考えごとをしていて途中の風景などが、まったく記憶にないことや、帰宅までの道のりの記憶がないことも頻繁にある。よく交通事故にあわないものだと、妙に感心してしまうのだ。

 それ以外にも洗面所で考え事をすることが多い。かなり前の話になるが、前日にシェーバー(電気ヒゲ剃り)の掃除をしてネットを付けていなかった。考えごとをしながらヒゲを剃ろうとしたものだから、ネットを装着せずにバリバリとやってしまった。アゴには無数のテ浴iばってん)キズが付き、血まみれになったことがある。

 それ以外にもボーッとしたまま歯磨き粉で顔を洗ったこともある。つい最近(2日前)は洗顔フォームで”歯みがき”していた。途中まで気が付かなかったが、ふと我に帰り「やけにクリーミーな泡立ちだな」と思ったら、鼻に抜ける香りが洗顔フォームなのである。気が付いたとたんに込み上げる嘔吐感。自分に腹が立つのと同時に情けなくなってしまった。

 今にして思えば子供の頃から「何ボーッとしてるの!!」と親に叱られたことも多々ある。

 いろいろと危ない目に会いながらも”考えごと”をする癖は直らないのは、生まれつきなのだ・・・とあきらめているのである。

2001 / 03 / 25 (日) ¦ 固定リンク

粗大ゴミ 粗大ゴミ

 いよいよ来月から家電リサイクル法(正式名称:特定家庭用機器再商品化法)が施行される。冷蔵庫、テレビ、洗濯機、エアコンを回収してもらうのにお金を払うことになる。

 その影響なのか 3月に入ってからは、それらの家電の売り上げが伸びているらしい。いわゆる駆け込み需要というやつで、無料で引き取ってもらえる今のうちに買い替えてしまおうという魂胆である。メーカー各社もそれを狙ってか、乾燥までできる洗濯機、フィルタの掃除がしやすいエアコンなど新製品が目白押しだ。デジタル放送の恩恵からテレビも売れていると聞く。

 今までは、買い替えの際に古くなったものは粗大ゴミとして引き取ってもらうか、販売店側が配達の帰りに持ち帰ってくれた。一般家庭から出る粗大ゴミは次々と海に運ばれて捨てられる。「埋め立て」といえば聞こえはいいが、結果的には海に捨てていたわけだ。

 財政難から今までのように公共事業として埋め立ての拡張が難しくなってきたことと、自然保護などの環境への意識が高まってきたため、家電リサイクル法の施行に至ったのだと思われる。つまり、政治と消費者の利害関係が微妙な形で一致した結果なのではないだろうか。

 結果的には良い事であるから文句はないが、そんな中で世界最大級(130t)の粗大ゴミが海に廃棄処分されようとしている。それは、世間を騒がせている宇宙ステーション「ミール」である。

 旧ソ連とアメリカの威信をかけた宇宙開発競走で、その技術力を誇示していたミールが寿命と役目を終えて文字通りの”海の藻屑(もくず)”になろうとしている。そのこと自体には感慨深いものがあるのだが、最終段階に至るまでのプロセスに問題がある。

 計画が次々と延期され、今日(03/17 23:00)現在で 3/22(木)の予定になっている。計画をより正確にするための延期なら良いのだが、その原因の多くがトラブルによるものだから不安が増すばかりだ。

 プロジェクトの責任者が 1991年 2月に宇宙ステーション「サリュート7号」の落下計画に失敗し、チリとアルゼンチンの国境付近に”落としてしまった”時と同一人物なのが恐い。まして、最近の報道で「責任者の一人が現場を放棄して」逃げてしまったと伝えられている。逃げたのが 1991年当時の責任者かは不明だが、そんな事を聞くと責任を持つことができないほど重大な問題があるのかと考えてしまう。

 旧ソ連(現モスクワ)も財政難のため、逆噴射に必要な燃料を「ミール」に補給できなかったこともあり、残されたわずかな燃料で逆噴射して飛行速度を調整し、地球に落下させようとしているらしいが、ここまで計画が延期されても制御が可能なのだろうか。 毎日 2Km(2000m)も地球に近づいているのに計画は間に合うのだろうか。などなどと、考えれば考えるほど不安になってしまう。

 地球の引力に捕らえられてしまったからには「いまさら」でしかないが、地球人は海を平気で汚すくせに、ミールを地球に落下させるのではなく、なぜ宇宙の果てに飛ばさなかったのかと疑問に思ってしまう。自然や環境は宇宙的規模で成り立っていることも事実なので、安易に考えてはいけないのかもしれないが、地球に落とすリスクよりも外に飛ばす方がリスクが少ないと個人的には思う。

 各国が協力し、最新鋭のカメラやその他の設備を搭載して宇宙探査に役立てることもできたはず(あまりにも素人考え?)だと思う。今となっては何を思っても後の祭りなので、ただ利己主義的に「日本にだけは落下しませんように」と願うだけである。

 現在予定されている落下の軌道上で、それを見るためのツアーもあるわけで、みんな”お気楽モード”であろうからグズグズ考えているのは自分だけなのかもしれない。しかし、そのツアーも落下計画がコロコロと変更になっているので、いつ日本を出発すれば良いのだろう。

 ・・・などと、余計なことを考えている自分も、結局は「お気楽」なのかも知れない。

2001 / 03 / 18 (日) ¦ 固定リンク

二極化 二極化

 前回に引き続いて経済的な内容になってしまうが、昨年来いわれてきたことが現実味を帯びてきて、日本では二極化が進んでいるらしい。バブル経済が崩壊し、失われた10年(90年代)を経て日本人も 1億総中流意識が吹っ飛んでしまったようだ。

 ”失われた10年”とはいえ、アメリカ経済の失速、日本における政治の混迷から、いまだに日本経済は立ち直れずにいる。構造改革を公約に掲げながらも政治は何も変わっていない。この10年間で大きく変わったのは民間企業の経営手法や手段だと思われる。

 日本的商習慣が否定され、SONYを代表とするグローバル・スタンダードな経営が注目を浴びている。個人的にはグローバル・スタンダード=アメリカン・スタンダードという論調には賛成できず、グローバルの良いところと日本の良いところを融合した、限りなくグローバルに近いジャパニーズ・スタンダードがあっても良いと考えているのだが・・・。

 堅い話はさておき”二極化”に関して話を進めると、最近は「裕福層」と「低所得者層」の二極化が進んでいるらしい。終身雇用、年功序列ではなく、実力主義の給与体系を採用する企業が増えているからかも知れない。これもグローバル・スタンダードの流れなのだろう。

 これから実力を伸ばす若者にとっては歓迎すべきことなのかもしれないが、会社に忠誠を誓い、一生を捧げようと考えてきたサラリーマンにとってはとても辛い時代なのであろうと予想できる。

 そんなこんなで 10年前に「自分は中流」と皆が思っていた頃とちがい、リストラの影響で、自分が退職を迫られるか解らない状況のままでは「消費不況」が続くのも無理はないのではないだろうか。

 二極化が進んでいるため、売れるものと売れないものもハッキリしている。以前は大衆向けといわれた普及価格帯の車が売れず、高級車か低価格車が売れるらしい。時計も同様で、中途半端な価格帯のモノより 1000円台か 10万円台のモノが売れており、3〜5万円台のモノはさっぱり売れない。

 これは食材やマンション、外食産業にまで共通な消費行動だと伝えられている。確かに”億ション”と呼ばれるマンションは発売前に予約完売しているし、敷金も礼金もないアパートやマンションの人気も高いようだ。

 お役人主導だった「社会主義」的な時代から、皆が同じ価値観を求めた「共産主義」的な時代を経過し、日本にも「資本主義」が浸透してきたと実感できる。

 経済学者ではないので、理論的な説明や解説は不可能だが、一般消費者としてそれを切に感じるのは近所のモスバーガーの閉店である。マクドナルドがバイイング・パワーを武器にコストダウンを図り、平日半額などの顧客獲得作戦を展開するなか、モスバーガーもセット価格で低価格路線に走ってしまった。

 モスバーガーは、高価でも素材にこだわり、作り置きせずに出来たてを提供してくれることに価値があった。個人的には決して安売りを希望していたのではなく”味”や”品質”に魅力を感じていた。付加価値を追求して高価格帯を維持できず、マクドナルドほどの低価格に追従できないまま、中途半端な政策をとってしまったことが「モスフードサービス」の失敗だったと強く感じる。

 長い間、モスバーガーのファンだったので近所の店が閉まってしまうのはとても残念だが、これも時代の流れ。資本主義の姿であると受け止めなければならないのであろうと涙をこらえながら感じている今日このごろ・・・なのである。

2001 / 03 / 10 (土) ¦ 固定リンク

日本人的消費行動 日本人的消費行動

 日本人は流行にとても弱い。最近では原則が崩れつつあるが、1億総中流意識があるためか、人と同じ事をするか、人と同じ物を持っていると妙な安心感があるらしい。ブームに火がつくと、皆一様に同じ行動をとってしまう傾向がある。

 古くは「ダッコちゃん」から最近の「オマケつき菓子」まで、流行すると品薄になり、市場から姿を消すまで売れまくる。流行に乗り遅れるという強迫観念からか、人が持っているものは自分が持っていなければ時代遅れの烙印を押された気持ちになるのかもしれない。

 なんでも普及の弾みがつくのは 30%が境目になるらしい。普及率が 30%を超えると、それ以降は爆発的な広がりを見せるとのことだ。携帯電話も 30%まではジワジワと普及し、30%を超えた途端に爆発的に広がっている。

 これは世界共通なのか日本固有なのか解らないが、日本人は特に周りに影響されやすいように思う。1/3の人が持っているものを自分が持っていないのはとても恥ずかしい事のように思ってしまうのではないだろうか。ファッションから食べ物まで皆が同じような嗜好になってしまう。ルービックキューブが流行れば購入し、モツ鍋が流行れば食し、ユニクロが流行れば皆が同じ格好をし、ワインが流行れば 1億総ソムリエになってしまうような勢いだ。

 個性がないと言うか、自己主張が足りないというか・・・。人と違うことは、そんなに恥ずかしいことなのだろうかと考えてしまう。

 少し前に、いかにも日本人的だと思える記事をある雑誌で読んだ。中山美穂が登場するビールの CMで”起用”される食材が飛ぶように売れるというのだ。CM中に彼女が食す「タン塩」や、シリーズ化された「新ジャガ」「ゆでエビ」など、取り上げられた素材が異常な売れ行きを示し、牛タンなどは、あまりの売れ行きのため市場から姿を消して、焼肉屋さんなどの業者を困らせたほどだという。

 言われてみれば一時期、スーパーに行くと必ずと言っていいほどエビが安売りになっていた記憶があるし、牛タンなどは今でも人気メニューになっている。極めつけは「なべぞこダイコン」で、そんな素材は既製品としてあるはずがないのだが、”紀文”が「なべぞこダイコン」を開発してしまった。

 衣・食・住すべてにおいて流行を追い求める日本人を相手にすれば、流行を作り出せるか否かが勝敗の分かれ目になる。キティーちゃんやらピカチュウやらのキャラクター商品も一過性のものに過ぎなかったが、たんまりと利益を貪り「ヘッヘッへ」とほくそえんでいる業者がいるに違いない。

 他人が仕掛けた流行にのってしまうのは悔しいと思ってしまう自分はやはり、ひねくれものなのだろうか。

 しかし、そういう国民性は悪い事ばかりでもない。すっかり乗り遅れてしまった IT分野も同様である。昨年末時点で家庭におけるパソコンの普及率が 27%程度だったと記憶しているが、もう少し進んで 30%を超えると日本国内で爆発的に普及すると思われるので、それ以降は他国に負けないサービスやアイデアが出てくるだろうと期待が持てる。

 各企業も自社の利益だけを追求するのではなく、この国民性を生かして経済全体が潤うような”流行”を仕掛けてほしいものだと切実に願う今日この頃である。

2001 / 03 / 03 (土) ¦ 固定リンク

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