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2000年12月

20世紀の終わりにて 20世紀の終わりにて

 もうすでに聞きあきた言葉になってしまうが、20世紀も終わりである。この雑感が今年、ミレニアム、20世紀いずれにしても最後となる。

 20世紀をふりかえるには、あまりにも若輩すぎる。なにせ 20世紀の終わりのほうを少しだけ経験しただけで、前期、中期のことなど何も知らない。蒸気からガソリンに至るまでの動力、水力、風力から火力さらには太陽光に至るまでの電気エネルギー源を発見や発明していただいた方々に感謝するのみである。原子力は素直に喜べないが、それらの方々の力を借りて生活し、今も PCを使ってこの文書を作成しているわけである。

 ここ数年は世紀末ということもあり、政治、経済、生活のすべてにおいて荒廃が目立っていた。猟奇的殺人、犯罪の低年齢化、カルト宗教が数多く報道され、バブル経済がはじけて 90年代は「失われた 90年代」と言われるほどの不況に見舞われた。

 今も不況と言う名の長いトンネルの中にあり、出口が見えそうで見えない状況であるにもかかわらず、私利私欲が渦巻いた先の見えない政治のおかげで株価が低迷し、円安のまま大納会を迎えてしまった。

 不満もいろいろとあったが、今を生きていることは実にラッキーなことでもある。人類が地球外の星(月)に第一歩を印した時代も共有できた。昭和から平成に年号が変わる時代も共有できた。NASA によって”タコ”のような火星人が存在しない事も証明されたし、数十年に一度しか見られない彗星もやってきた。西暦も 1000年代から 2000年代に変わり、20世紀から 21世紀に変わる瞬間も共有できる。

 あまり頭の良い方ではないので計算不能だが、これらの事を経験できる今を生きている確立は 「1/天文学的数字」 だと思う。それを考えると「ラッキーだ」 と実感できるのである。

 さて、過去の事は忘れるとして、来年、来世紀がどうなるのか、どうしていかなねばならないのか。・・・・リーダーシップを発揮できる人物が不在なので政治に頼る事はあきらめらめるとして、不況からの脱出には産業の発展に希望を託すしかない。

 「物造り日本」と言われた 20世紀だったが、コスト高の影響から中国を代表とするアジアにその座を奪われてしまった。しかし、iモードを始めとする IT産業、善(人類に役立つ)か悪(軍事目的)かは別として、日本のロボット産業にも期待したい。世界ではじめて二足歩行のロボットを低コストで生産する技術、それらを「小型化」する技術に関しては日本が一番でありつづけてほしいと願う。

 宇宙開発、バイオ関連では水をあけられており、追いすがる事は容易ではないので、それらの技術を世界に売り込み、明るい経済を実現してほしい。

 将来に不安を抱えたままでは少子化に歯止めがかかるはずもないので、日本を良い国、夢のある国にしてほしいものだと切に願う。他力本願ではなく、自分自身も可能な事であればそれに貢献する事を誓って、今世紀最後の雑感を締めくくりたい。

2000 / 12 / 31 (日) ¦ 固定リンク

中途半端 中途半端

 なんだか最近は中途半端なことが多い。最近になって特に気になるのが”報道”に関してである。

 小学校の頃、文書を書く際には 5W1H つまり、いつ(When)どこで(Where)誰が(Who)何を(What)なぜ(Why)どのように(How)したのかを盛り込まなければならない。と教えられ、新聞記事などの報道に関する文書がお手本と教えられた記憶がある。

 しかし、最近の報道は新聞に限らず TV ニュースや週刊誌も含めて 5W1H を守っているとは思えない。発行部数や視聴率を優先するあまり、話題性に富んだ事件や事故は”発生”した事実しか判明しておらず、原因や犯人、それからどのようになったのかを伝えることが極端に少なくなっているように思う。

 事故の場合は別として、事件の場合は個人のプライバシーに関わる部分もあると思うので、報道したくてもできないことがあるのは理解できる。とくに自殺に関しては、「なぜ(Why)」を解き明かすのは本人が亡くなっているため不可能に近いだろうと思われる。しかし、それ以外の事件に関しては話題性や速報性を優先するあまりに見聞きしても理解できない事が多い。

 「今日(いつ(When))、??県??市(どこで(Where))で殺人事件(何を(What))がありました。殺された方の身元((Who)誰が)は不明、犯人((Who)誰が)は逃走中で、犯行の動機(なぜ(Why))も解っておりません。凶器も発見しておらず死亡原因(どのように(How)した)も不明のままです。」

 これは報道なのだろうか?文書的には 5W1H が含まれているが、その多くは”不明”のままになっている。そして、VTR では目撃者の生々しい声や映像が映し出される。被害者の身元が判明した場合は、その他の情報が不明のままなのに葬儀の場にカメラが侵入し、親族が嘆き悲しんでいる様を放映する。まるで一昔前のワイドショーのようだ。

 確かに素早く報道する事によって被害者の身元や犯人の情報を世間から広く集めるということに役立っているのかもしれないが、被害者の親族にインタビューする必要性はどこにあるのだろうか。

 話題性重視、視聴率重視、発行部数重視になるのは、ある程度許容するとしても、さらに新しい”ネタ”があると、以前に起こった事件の経過や結末が不明のまま終わる事も多いのには納得できない。憶測や事実確認もしていない報道をしている芸能関係を”ネタ”にした TV 番組や雑誌が「報道の自由」を盾に横行しているのにもムシズが走る。

 本当に報道関係者と自覚しているのであれば、間違った報道をしたときには「お詫び」や「訂正」を発表すべきだと思うし、関係者にも謝罪すべきだと思う。「ペンは剣よりも強し」というが、今や「ペンは権よりも強し」という状況にある。

 人は”うわさ話”が好きで、興味をもってしまうので仕方ない部分も大いにあるが、このような中途半端な状況が良い事だと素直に受け入れられないのもまた事実である。

2000 / 12 / 23 (土) ¦ 固定リンク

年末恒例 年末恒例

 いよいよクリスマス関連のイベントが盛り上がりを見せている。例によって”今世紀最後の”クリスマスというフレーズをよく見聞きするが、なにもキリストの誕生日だけが今世紀最後な訳ではなく、自分自身の誕生日だって今世紀最後だったわけである。こんなことなら”今世紀最後”を口実に豪勢なプレゼントを各方面に要求すべきだったと思うが、後悔先に立たず・・・である。

 そんなこんなで今世紀も残りわずかで、忘年会シーズンの真っ只中にあり、街には大勢の酔っ払いが出没している。

 仕事で外出し、会社に戻らなければいけなかったので夕方の 6時 30分くらいに電車に乗ったら、すでにすっかりできあがっているおやじがいた。「いったい何時から飲んだらそんなに酔えるんだ!」とむなぐらをつかんで説教したくなるくらいに顔を真っ赤にしてヘロヘロになっていた。

 会社帰りの駅のホームでは酔っ払いがフラフラになって歩いているわ、つまらないことから口論になり、取っ組み合いの喧嘩をはじめるやらの大騒ぎ状態である。若いおねえちゃんにデヘヘと近寄って露骨にいやな顔をされているおやじもいるし、あちらこちらで大声を張り上げて会社の悪口や部下、上司の悪口を言っている酔っ払いもいる。まさに醜態のさらけ出し放題である。

 自分自身も酒は嫌いではないので偉そうには言えないが、もう少し自制心を保ったほうが良いのではないかと思ってしまう。仕事の帰りが早いほうではないので、帰宅する電車に酔っ払いが満載状態になってしまうのはしかたないので諦めているが、本を読んでいるそばで大声でガハガハされるのはたまらない。

 しかし、同じ酔っ払いの中にも見ていて笑いのこみあげてくる種族も存在する。去年の今ごろのことだったと思うが、JR 大阪駅から電車に乗り込んできた酔っ払いおやじは、ねずみ色のスーツを着た黒ぶちメガネ、同色の帽子をかぶり、ちょびヒゲを生やしたいでたちで、右手にはボロボロのカバン、左手には「寿司おり」というマンガに出てくるか、コントで演じられるような典型的な”酔っ払いおやじ”だった。

 その歩き方もコントそのもので、寿司おりをひじの高さに持ち、足がもつれてフラフラしていた。乗降口ちかくの席に、どっかと腰を落ち着けて「う〜ん」とうなっている。電車が動き出すと、大きな声で「人生ってヤツはな〜」と演説をはじめだし、周りは当然のことながら、イヤ〜な顔をして見てみぬふりをしていた。

 ところが、完全に”できあがっている”ため、その先が続かない。「人生ってヤツはな〜」を何回も、何十回も繰り返している。何度も言われると「人生がどうしのだ?」と気になってきたのだが、「人生ってヤツはな〜」の先を聞くことができない。

 耳にタコができるくらい同じセリフを繰り返したあと、そのおやじは、ひときわ大きな声で「いいか!?人生ってヤツはな〜〜〜!!」と叫んだ。「・・で?人生がどうしたの?」と心の中かで問いかけ、次の言葉に神経を集中させていると、「んごご〜!」というイビキが聞こえてきた。

 そちらを見ると典型的な酔っ払いおやじは口を大きく開けて熟睡している。おもわず「ぷっ」と吹き出してしまった。周りの乗客も同じだったらしく、みんな笑っていた。残念ながら、次の駅で下車してしまったので”おやじ”のその後は不明だが、きっとストレスがたまっていたに違いない。

 酒に酔うのは本人の勝手だが、人に迷惑をかけない酔い方をしてほしいものだし、どうせ酔うなら他人に笑いをふりまく酔っ払いになってほしいものだと切に希望する今日このごろである。

2000 / 12 / 16 (土) ¦ 固定リンク

マージャン その2 マージャン その2

 前回に引き続きマージャンの話になってしまうが、今回は少し視点を変えて。

 今となっては信じられない話だろうが、当時はマージャン・ブームというより誰でもマージャンができた時代だった。バブル華やかな頃には接待ゴルフがあったように、当時は接待マージャンなどという風習もあった。マージャンの席はコミュニケーションの場としても成立していたわけである。

 実際にマージャンをすると個人の性格がよく現れる。普段はガハガハ言いながら豪快な人格に見えていても、マージャンをすると意外に臆病でセコセコした印象を受ける人。普段はキッチリした態度で心配りが行き届いている銀行員が”博徒”顔負けの雰囲気をただよわせたりと、本当に人間の本質を垣間見ることができた。

 そういうことからも、マージャンは人間対人間の真剣勝負であるのと同時にコミュニケーションの場や手段でもあった。ゴルフも同様に性格が出ると言われていることから、コミュニケーションを図る機会と、相手の本質を見極めるという意味では”接待”の手段に用いられるのは納得できる。

 少し前、仕事の関係で”全自動マージャン卓”(マージャン牌をかき混ぜて自動的に並べてくれるテーブル(自動的にトランプを配ってくれるようなもの))を開発している会社の方とお会いした。企業秘密も含まれるので詳しく説明するわけにはいかないが、最近ではなんでもハイテクの固まりな訳である。

 その席で話を聞いて知ったのだが、最近は再びマージャンが流行しているのだそうだ。大きな都市では 1カ月間に数十軒もの雀荘(マージャンをする場所)がオープンしているらしい。それも昔あったような”危ない”雰囲気の店ではなく、一時期のプールバー(ビリヤードができた)のようにオシャレな感じの店が多いらしい。

 懐かしさもあって「へぇ〜」と感慨深く話を聞いていたのだが、どうも様子がおかしい。なんでも最近の雀荘では、友人とか会社の同僚とか、仲間同士で来店するのではなく、若い兄ちゃんがブラ〜っとやってきて適当な相手とマージャンをして特に喜怒哀楽を全面に出すのでも無く、勝っても負けても無表情のまま帰っていくのだそうだ。

 TVゲームやインターネットでマージャンを覚えた人種が、実際に現金を賭けてプレイしてみたくなって店にやってくるらしい。しかし、普段コンピュータやネット上の”敵”を相手にしているため、その場所にコミュニケーションは存在することはない。単なるゲームとして”プレイ”し、掛け金を払う時もゲーム機に 100円を入れるとかゲームソフトを買う時と同じような感覚で行動しているのであろう。

 そういうことを考えるとデジタルな人々、サイバーな人種とコミュニケーションすることは不可能なのかもしれないという気になってくる。最近は少年犯罪に対してTVゲームやアニメが影響しているとの論評を多く聞く。個人的には、その風潮に反対なのだが、”おっさん”には理解しがたい人種が増殖しているのもまた一つの事実なのである。

2000 / 12 / 10 (日) ¦ 固定リンク

マージャン マージャン

 20年も前の話なので時効だと思われるが、当時は合法賭博のパチンコと違法賭博のマージャンで生活しているようなものだった。

 生活の糧(かて)としていた訳だから両方ともあまり負けなかった。パチンコはその店にいる常連さんから「後で返す」と言いながら玉を「わしづかみ」にして奪い、それを元手にしていたので負けるはずがない。玉が無くなったら「ゴメ〜ン」で済ましていた。

 そして夜はマージャンである。多いときは週に 5日はやっていた。元々悪運が強いのか、負ける時は小さく勝つ時は大きく勝っていた。近所に住む十歳も二十歳も年上の寿司屋の大将や商店主を相手にしていたのでレート(賭け金額)も当時としては高額だった。

 一般的にマージャンは「1000点いくら」の掛け金になる。当時は「テンピン(1000点100円)」がレートだったので一晩に数万円単位の現金が動く。マージャンは原則として基準点が 3万点で、それ以上になると勝ち、それ以下だと負けとなる。

 地方やメンバーによって異なるが、ゲーム開始時には 2万5千点〜2万7千程度の持ち点からスタートとなる。つまり、すでに基準点以下からのスタートである。持ち点が 0 になってしまうと基準点からマイナス 3万点となってしまい、1000点=100円ということは 3千円の負けという具合である。それを何ゲームもやるため、結果的に数万円のお金が動く事になる。

 今はまったくやらなくなってしまったが、その当時、とても恐ろしい体験をした事がある。知り合いとマージャンをしようと、雀荘(マージャンができる施設)で待ち合わせをしていた。時間を間違えたのか、他のメンバーがなかなか現れないので一人でボーっと待っていた。

 サンマン(通常 4人でするマージャンを 3人でおこなう)をしていた年配の男性が「時間があるなら一局(1ゲーム)やりませんか?」と声をかけてきた。見たところ”その筋”の人には見えなかったが「お金もってませんから」と断った。しかし、「負けても払わなくていいよ」と言われたので「それならば」と参加したのである。

 一進一退の攻防が続き、終わった時には 30100点。つまり 100点のプラスだった。先に説明した通り、通常は「1000点いくら」で計算するので 100点の単位は切り捨てられる。「なんとかプラス・マイナス 0点で終わった」と安心していたら、そのおやじが「にいちゃんは+100だから」と言って 5万円を差し出した。

 +100点で 5万円もらえるという事は、もし負けてハコ(マイナス 3万点)になっていたら・・・。千五百万円を要求されていたのかもしれない。目が点になってしまい、ぽか〜ん口を開けたまま、震える手で 5万円を受け取り、全速力でその場から逃げ帰った。

 待ち合わせをしていた知り合いに電話すると「約束は明日だ!」と罵倒され、意識がもうろうとしたまま家路についたが、どうやって帰ってきたのか全く記憶がない。

 あの時の”おやじ”が、単なる大金持ちだったのか、”その筋”の人だったのかは定かではないが、とにかく、今日の命があるのは「悪運が強かったから」としか思えないのである。

2000 / 12 / 03 (日) ¦ 固定リンク

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