記憶 Memory-17

過去の記憶

ここ数日は妙に暖かい日が続いているが、それが終われば冬本番、北海道内各所でスキー場がオープンすることだろう。

生まれ育った街は四方を山に囲まれた盆地であり、とても雪深い極寒の地だったのでウインタースポーツが盛んだった。

市営のスケートリンクもあれば、各学校では校庭に水をまいてリンクを作っていたので誰もがみなスケート靴を持っており、冬は体育の授業でもスケートの時間があったほどの土地柄だ。

周りが山ばかりなのでスキー場が 3箇所もあり、超々初心者からプロまで誰もが楽しむことができる。

リフトや売店などなく、設備は整っていなくてもスキーを楽しめる斜面は街のあちらこちらにあったので、多くの子どもがスキーやソリ遊びをしたり、ただ斜面を転がって遊んだりしていた。

おまけに豪雪地帯であるため、学校のグラウンドに除雪車が雪を積み上げて巨大なスロープを作り、体育の授業でスキーをしたり授業が終わってから遊んだりしていたものである。

子どもの頃からスキー、スケートに馴染み、体育の授業にまでなっていたのだから、余程の運動音痴でもない限りは誰もがスキーもスケートも滑ることができた。

もちろん自分もそうだったので、今でも頭の中ではスケートも滑ることができるしスキーだって見事に乗りこなせる。

ただし、もう何十年という単位でウィンタースポーツから離れているので筋力、体力がついて行かないであろうし、体型も見事に変わってしまったので頭の中にあるイメージとは大きくかけ離れ、実際には無様な姿をさらすことになってしまうことだろう。

子どもの頃は学校が終わるとそのまま校庭のスケートリンクで遊んだりしたし、家から徒歩20分くらいの山に行ってスキーをしたりして冬を過ごした。

その山は管理された場所ではないのでリフトもなく、10分も20分もかけて斜面を登らなければならないのに、滑り降りるのは一瞬で終わってしまう。

設備の整ったスキー場は車で 10-15分の場所なので一人で行くことはできないし、リフト代もばかにならないので毎日は通えない。

それでも冬になれば 1シーズンに何度もスキー場に行っていた。

親に送り迎えしてもらうこともあったが、多くの場合はバス代とリフト代をもらって一人でスキーをしに行く。

行きはバスに乗るのだが、スキー場に着くと楽しくて仕方なく、帰りのバス代まで使ってリフトに乗ってしまい、泣きながら 2時間近くかけて家に帰ってきたことが何度もある。

まだ体力が残っている時は歩いて帰るが、遊び疲れてヘトヘトになってしまい、重いスキー靴をはいたままスキーをかついで歩くのが面倒な時は、ヒッチハイクをして帰ってきたりもした。

狙い目は自家用車よりも大型トラックで、日も傾いた夕暮れ時に幼い子供がぐったりした様子で手を挙げれば心配して停車してくれる。

運転席から降りてきて
「どうした?」
と声をかけてくれたら
「家に帰りたいけどバスに乗るお金がない」
と情に訴えかける目で答えれば間違いなくトラックに乗せてもらえたものだ。

家のすぐ近くで降ろしてもらい、元気いっぱいに家のドアを開ける。

ヒッチハイクして帰ってきたなどと知らぬ親はいつもの調子で
「おかえり」
と言うだけだ。

スキーであれスケートであれ、何不自由なくできる環境にあったにも関わらず、有名なプロスキーヤーもプロスケーターも排出できず、オリンピック選手も皆無な街も珍しいのではないだろうか。

自分の場合は人より上手になりたいという向上心がなく、ただ楽しく遊んでいただけなので一定以上のレベルに達する訳などないが、同級生の中にはリフト乗り放題のシーズンパスを親に買ってもらって毎日のようにスキー場に通っていたやつも何人かいたし、鬼のように速くスケートを滑るやつも、フィギュアスケートで氷上をクルクル回る女子もいたのに誰もオリンピックを目指さなかった。

きっと人と競い合うことが苦手だったり、たゆまぬ努力をするのが苦手だったりする、ぼんやりした土地柄だったのだろう。