反復

可能な限り面倒な反復作業は避けたく、同じことを何度も繰り返すのであれば何とか自動化できないかと考え、それが実現して楽できるのであれば努力と手間を惜しまない性分であるということは以前の雑感にも書いた通りだ。

しかし、好きなものであれば、それを何度繰り返しても苦にならない。

絵の勉強をしていた頃、毎日かかさず特定の絵を描いていた。

どんなに夜遅くに帰宅しようと、どんなに酒を呑んでいようと、どんなに風邪をひいて熱があろうと、必ず 1枚の絵を描いてからでなければ眠りにつかない。

それも、描くのはいつも同じ絵で、同じ人物の同じ角度から見た同じ顔だ。

目的はその人物を描くことではなく筆使いだったり筆圧だったりを体に刻み込むための、いわば訓練のようなものであり、いつも同じものを描く必要はないのだが、違うものを描こうとすると想像力を豊かにせねばならず、色々と考えたりしているうちに創作意欲に火が付いて眠れなくなってしまう危険性があるため、あえて毎日同じものを描いていたのである。

それでも今から考えると、よくもまあ、飽きずにそんな生活を 4年間も続けたものだと我ながら感心してしまう。

面白いと思った映画は最低でも2回、多いものだと10回近く観ているし、面白いと思ったドラマも何度も繰り返し見ることが多い。

これに関しては自分だけではなく、『お買い物日記』 担当者も同じなので実に助かる。

一人だけがそういう性分で、何度も同じものが観たいのに嫌がられるとか、我慢して相手に付き合わなければならないのであればストレスとなってしまうが、互いに観たいと思っているのだから平和が乱されることはない。

今はあまりやらなくなってしまったが、一度クリアしたゲームを最初から何度でも繰り返しプレイすることも多かった。

それはアクションゲームでもシューティングゲーム、ロールプレイングゲーム(RPG)でも同じで、とくに RPGなどはストーリーも結末も分かっているのに、なぜ繰り返しプレイしなければならないのかと自分でも疑問に思いつつやっていたような気がする。

そして、なぜなのかという疑問に対する答えは今でも見つかっていない。

好きなマンガも何度も読み返し、あまりにも読みすぎてページがボロボロになったら買い直してまで何度も何度も読んでいた。

結果、16巻くらいのコミックの中の、どのシーンであっても絵が頭に浮かぶようになったし、台詞(せりふ)もほとんど暗記してしまったので、どこか一部の台詞を聞けば、そこから続く台詞をスラスラと言えるようになって友だちから驚かれたりしたこともある。

今も好きな作家の小説などを繰り返し何度も読んでいる。

大阪から引っ越してくる際に本を 500冊以上もリサイクル店に売ってしまったため、今手元にある数が少ないという理由もあるが、現存する本はすべて 3回以上、多いものだと 2-30回は繰り返し読んでいる。

もうストーリーも分かっているし、台詞の一部は記憶してしまっているのだが、読むたびにハラハラ・ドキドキしたりしているので、めでたい性格だと自分に呆れたりしないでもない。

違う作家の違う作品を読んだほうが見識も知識にも広がりがあるのではないかと思わないでもないが、ある程度の時間が経過すると、どうしてもまた読みたくなってしまう。

そして今夜もまた、枕元に置いてあるすでに 5回以上は読んでいる本に再び目を通しながら眠りにつくのである。