駄文

かなり以前の雑感にも書いたように、毎日のように独り言を更新したり週に一度はこの雑感を更新したりしているが、実のところは作文は苦手だったりする。

良く書こう、面白く書かなければという意識が強すぎ、結果的に何を書いたら良いのか、どう書けば良いのか分からなくなってしまう。

したがって、小学生から始まった学生時代に一度たりとも文章に関して褒められたことも、優秀な成績を収めたこともない。

今日現在、こうして駄文を垂れ流したりできているのは、開き直りによるところが圧倒的に大きく、良い文章を書こうとか面白い文章を書こうなどという意識を持たず、恥をかくつもりで書きなぐるようにしているからだろう。

細かなことを気にしていては何も書けないし何も伝えられない。

かと言って、文章で何かを伝えたいという意識もないので、そもそもそのことを気にする必要などないというのが現状だ。

読書感想文も同じで、子供のことから作文以上に超苦手なものの一つだった。

この年齢になって読書感想文を書くことなどないが、どっぷりと浸かっている海外ドラマの感想などを書くことはある。

ところが、必要に応じてドラマの粗筋なども記載しようとすると、それがうまくまとめられない。

頭では起承転結を理解しているつもりなのだが、文章化しようとすると時系列がどうなっていたのか、ドラマの中の彼は何を思い、彼女はどう考えていたのかなどさっぱり思い出せないのである。

他人のブログを見たりすると、ドラマの内容、感想が良くまとめられているものが多いので感心してしまう。

自分には文才もなければ物語を正確に理解する能力もないのだと、つくづく情けなくなったりしていたのだが、ある人のブロクを読んでいて才能ではなく努力が必要なのだと分かった。

その人は我が家でも大好きな海外ドラマを一話ごとにまとめているのだが、粗筋を書き、登場人物の心情を分析し、それらについての感想も上手に書いているそのブログを運営するために相当な時間と労力を要しているらしい。

ドラマのストーリーの中には少し難解なものもあり、そんな話も見事にまとめているのは才能だと思っていたのだが、実はブログに文章としてまとめるため、メモをとったりしながら何度も見直し、自分なりに解釈できるまでそれを繰り返しているのだそうだ。

とてもじゃないけどそんなことはできない。

いや、大好きなドラマであれば不可能ではないかもしれないが、それを時間が許してくれないだろう。

時間が許せば何度だって見たいし、自分なりに理解し、解釈できるまで繰り返してみたい。

しかし、仕事だってしなければならないのでそれは無理な話である。

いや、いっその事、それを職業にしてしまえば思う存分、誰に遠慮することなく大好きな海外ドラマを見られるではないか。

いやいや、物書きとなるには努力だけではなく、やはり才能も必要だ。

さらに言えば、自分の好きな作品だけ見ることを努力などといえるはずがない。

やはりこの件に関しては趣味にとどめ、これからも駄文を垂れ流すしかないのであろう。