ふところ

懐(ふところ)が広いとは、心が広く、包容力があるという意味だが、相撲では腕と胸のつくる空間が大きく、相手になかなか回しを取らせないという意味もある。

懐が深いとは、度量が広く、包容力があることで、相撲では上記と同じ意味を持つ。

もう何年も前から海外ドラマを多く見ているが、これは 『お買い物日記』 担当者の兄の影響だ。

何がきっかけだったのかは忘れてしまったが、義兄が撮り溜めていた海外ドラマの DVDを貸してもらったのが始まりで見るようになり、最初は DVDを借りるだけだったものの、それを堺に日本のドラマをはじめとしたテレビ番組を見る気が失せてしまい、ついには CS放送のスカパー!に加入して海外ドラマ漬けの日々となった訳である。

スカパー!と契約したのが 2010年の終わり。

それから丸 6年が経過したが、視聴したドラマのタイトル数は 200を超えた。

最初だけ見てみたものの、つまらなかったり気に入らなかったりして 2話目にすら進まなかったものも多いのだが、シーズン2、3と続いて中には 10を超えるものも珍しくなく、それを 1タイトルとしてしか換算していないのでドラマを見るのに費やした時間は膨大なものになるだろう。

それだけのドラマを見てきて思うのが、海外の視聴者の懐の広さである。

敵とみなす国を実名で挙げたり、アルカイダなどのテロ組織名、イスラム教など宗教名も実名でドラマの中に登場させて弾圧したり攻撃を加えたりするのは以前の雑感にも書いた通りで、その筋からの抗議や反撃を意に介さないのか無頓着なのか、はたまた無神経なのか分からないが、とにかくそれは数多くの海外ドラマ、特にアメリカのドラマに見られる特徴だ。

そんな内容のドラマにもアメリカ人は、アメリカに住むイスラム教の人は抗議したりしないのだろうか。

イスラム教のモスク、キリスト教で言えば教会のような場所での暴力シーンや殺害シーンも数々あるが、それに対して嫌悪感や反感を持つイスラム系の人はいないのかと不思議に思う。

そう言えばキリスト教の教会でも数々の犯罪が描かれている。

教会内で麻薬の売買をしたり、犯人が教会に逃げ込んで信者を人質にとったり、その中で殺人が起こったり、しまいには牧師が犯人だったり異常性癖者だったりするストーリーもあるので、イスラム系ばかりを悪く描いている訳ではないようだ。

それにしても、そんなシーンが許されたり撮影を許可して教会などが場を提供するのだから、やはりアメリカ人は懐が広いのだろうか。

墓地でも死体が掘り起こされたり死者がよみがえってゾンビになったり、身を隠すところがないので狙撃場所になったりと、色々な事件が起こるが、そんな場所ですら撮影が許されるのだからすごい。

日本の墓地、神社や寺で犯罪シーンを撮影したり、ましてや神主や住職が犯人だったり異常性癖者で幼い子どもに対する性犯罪者だったなどというストーリーを見たことがない。

そんなドラマを放送したら不謹慎だと抗議が殺到するだろうし、そもそも撮影許可などおりないような気がする。

今は見ることがなくなった時代劇などでは神社の境内での立ち回りがあったりしたが、それとて必ず正義の味方が現れて惨状になる前に悪党が尻尾を巻いて逃げていくというのがオチだ。

今の日本では性描写も極端に控えめだが、それは激しく生々しいシーンを放送すると家族で見ることができないなどとクレームの雨あられとなってしまうからだろう。

海外ドラマの場合はその点も寛容で、イギリスの国営放送である BBC、日本で言えば NHKと極めて近い立場にある放送局が制作したドラマでさえ日本とは比べ物にならないほど濃厚な性描写があったりする。

きっと夜中の深い時間帯に放送されているドラマなのだろうが、日本であればそれが何時に放送されるドラマであっても許されないに違いない。

自分が若い頃、子供の頃はそれなりに過激な番組もあったのに、いつから日本のテレビはこんなことになってしまったのだろう。

夜中に子供がテレビを見ている方がおかしいと、毅然とした態度で反論できるテレビ局、組織がないのも嘆かわしい。

司法に対して、または政治に対しては表現の自由だの何だのと息巻くマスコミ、放送局だが、視聴者に対しては極端なまでに神経を使い、表現の自由や言論の自由を奪われている事実をどう思っているのか。

ひるがえって海外ドラマ、特にアメリカのドラマだが、予算も違えば人材の層の厚さも違うとは言え、これほどまで自由に表現でき、自由に映像化できるのは、やはり見る側の懐も広いからなのではないかと思う。

日本人などとは異なり、それだけ度量が広く、包容力がある。

つまりは懐が深い人種なのだと思う。

・・・。

・・・が、第 45代アメリカ合衆国大統領に就任したドナルド・トランプの言動を見ていると、そうでもないような気がしてきた。

彼の大統領就任によって保護主義が広まり、個人主義が顕著になれば自分の気に入らないものを排除したり攻撃する人が増えるのではないだろうか。

いつかアメリカのドラマ、テレビ番組も自由度が狭まり、ギスギスした感じになってしまわないか心配である。

忘れていたこと

まずは先週の雑感で、気になっていた重箱の隅をつつくような細かいことの最後のひとつを思い出した。

それは『施行』の読みについてである。

世間を騒がせている電通関連のニュースを見ていると政治家が
「労働基準法施行規則の規定に基づき」
の『施行』を『せこう』と読むことに強い違和感を覚えた。

『せこう』するのは建築の『施工』であって、法を『施行』するのは『しこう』だろうと画面に向かって突っ込んだりしていたのだが、調べてみると『しこう』と読んでも『せこう』と読んでも間違いではないらしい。

ただし、テレビ各局とも原稿を読む際は『しこう』に統一しているとのことである。

それはやはり工事の『施工』と区別するためらしいが、その『施工』も『せこう』とも『しこう』とも読め、どちらも誤りではないという。

つまり日本語とは、かくもあやふやなものである訳だ。

そして、自分はごく一般的な読みに固執していたため政治家の読み方に突っ込みを入れてしまったが、それが間違いではないということなので、ここは素直に諸先生がたにお詫び申し上げることにしようと思う。

次に過去に作成したWebページでコードを変更しなければならない部分があったのを最近になって思い出した。

それは Googleの仕様変更に伴う作業で、現状のままでも大きな支障はないのだが、Googleが提供している地図情報などを快適に使おうと思えば最新の仕様に合わせておかなければならない。

自分が運用しているサイトであれば多少の不便には目をつぶるが、お客さんのサイトを無視することはできないので少しずつ修正を加えているところだ。

そして今日で禁煙生活 3100日、タバコのことなど忘れていたのに数日前の夕方、急に喫煙欲求が沸いてきた。

それはガーッと集中してプログラミングしていた先週のことで、一段落、一息ついたときに現れた感覚である。

もう長くタバコを吸っておらず、夢も見なくなったと独り言に書いたのは 2015年のこと。

それなのに何かの拍子に喫煙の欲求が頭をもたげるのだから恐ろしい。

平常心を 100として、ドーパミンの分泌レベルは美味しいものを食べた時が 150%、ニコチン摂取時は 220%とのことだ。

ドーパミンとは意欲やモチベーションを高めたり、やる気・動機づけ、集中力、生産性を上げる鍵となる神経伝達物質なので、何かに取り組む前にタバコを吸いたくなったのも納得できる。

逆に一息ついた時、次の行動に移るためにモチベーションを高めたり動機づけする必要があり、ニコチンを摂取したくなったのだろう。

そのドーパミン分泌レベルだが、ニコチン 220%に対して覚せい剤は 1000%以上なのだそうだ。

タバコでさえなかなか抜け切らないのだから、覚醒剤を断つのは本当に難しいのが分かる。

最後に最近は登場回数がめっきり減って忘れかけていた『いつも夢の中に登場する町』だが、2-3日前に見た夢の中で相変わらず自分はそこで生活していた。

そして、見覚えのある駅構内で仕事場に向かう電車を待っている。

当時の雑感にも書いたが、その町のどこに職場や自宅があるのかは今をもって不明なままだ。

忘れかけていた夢の中の町、それが再び現れたのは何かのお告げ、予兆だったりするのだろうか。

重箱の隅

重箱の隅をつつくような実に細かなことで恐縮ではあるが、気になって仕方のないことをいくつか。

まずはペットショップの広告やペット関連のイベントのCMなどで良く見聞きする
『ワンちゃんネコちゃん大集合!』
という文言だが、犬をワンちゃんと言うなら猫はニャンちゃんではないのか。

どうしてもネコちゃんと言いたいのならイヌちゃんネコちゃんとすべきだ。

どちらも二文字なのでゴロだってそれほど悪くはない。

ワンちゃんニャンちゃんだって、それほど言い難くはないではないか。

それなのに、なぜ、なにゆえに、どの広告も判で押したようにワンちゃんネコちゃんなのだろう。

ワンコであればニャンコ、犬であれば猫、それぞれ統一していただきたいものである。

次に自殺の種類についてというか、そのネーミングについて。

いじめを苦にした自殺、過労によるうつ病からの自殺など、昨年末から暗くて辛いニュースが続いているが、その方法を伝える際の「首吊り自殺」というワードに違和感を覚えた。

自殺にも様々な方法があるが、首吊り自殺だけネーミングが生々しくないだろうか。

ガス自殺は有毒成分による中毒とか酸欠にって死に至るので文字通りだし、電気ショックによって死に至る感電自殺もまあ、文字通りではある。

高いところから飛び降りるのは投身自殺、川や海に身投げするのは入水自殺、自身の体に火をつけるのは焼身自殺、薬物を大量に飲むのは服薬自殺、毒を飲めば服毒自殺、日本では極めて少ないが、ピストルなどで自身を撃つのは拳銃自殺だ。

それぞれの行為を二字熟語にして自殺を付け加えたのが一般的なのに、どうして首吊り自殺だけ生々しいそのままの表現なのかと感じたのが違和感となったのだろう。

実は首吊り自殺には縊頸自殺という名前もあるらしいのだが、縊頸(いけい)など漢字が難しすぎる上に読める人もそうはいないに違いない。

後ろの『頸(けい)』はクビとも読むのでそのままだし、首の骨の一部を頚椎(けいつい)というので少しは分かるが、問題は最初の『縊(い)』である。

この漢字は糸へんに益(の旧字体)を書くが、その益には二股に分かれたものの末端をくくるという意味があり、糸へんがつくことで糸をくくりつけるという意味を持つらしい。

そこで首と同意語の『頸』と合わさって首をくくるということなるということだ。

・・・。

いやいや、そうではない。

そんなことを調べていたのではなく、なぜ首吊り自殺だけ生々しいネーミングなのかという件である。

縊頸自殺が難しすぎるのであれば、もっと簡単な二字熟語にすれば良いではないか。

いや送り仮名を抜いて『首吊自殺』と書き、『しゅちょうじさつ』と読ませるのはどうだろう。

・・・。

こんな細かなことを気にしているのは自分くらいなものなので、いくら主張しても意味はないだろうが。

もうひとつ気になっていたことがあったのだが、メモらずに文章を書き始めてしまったので忘れてしまった。

きっと忘れてしまうくらい細かな、取るに足らないことだったのだろう。

真性雑感 第二十四版

真性雑感 ~目次~

■ 保護主義

トランプ次期大統領の登場で、アメリカが極端な保護主義に向かうのではないかと懸念されている。

ヨーロッパでも移民の受け入れに反対する勢力が支持され、保護主義的な考え方が広がりつつあるらしい。

世界は今、他国のことなど考えている場合ではなく自国のことで精一杯なのか。

アメリカ、ヨーロッパ、そして中国も所詮は個人主義の国、そういう人種である。

個人主義とは、

国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場。
共同体や国家、民族、家の重要性の根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く思想。
Wikipedia

なのであり、もの凄く大雑把かつ乱暴に言い換えれば自分第一、自分優先、もっと極端に悪く言えば自分さえ良ければそれで良いということだ。

そんな個人主義の人が集まれば自国第一、自国優先、自分の住む国さえ良ければ他がどうなっても知ったこっちゃないと、保護主義、右傾化するのは、ある意味当然のことかも知れない。

そもそも、そんな人種が世界秩序を守り、自由貿易をして世界が繁栄し、全人類が平等で平和な暮らしをしていくことなど難しいのではないだろうか。

自国の利益優先、自己の利益を優先させれば必ず争いが起こる。

アメリカをはじめ、ヨーロッパ各国も無理をしていただけであって、保護主義の広まり、うねりは本音が噴出している状態なのかもしれない。

昔はなかなか開国せず、海外企業の参入障壁も高かった日本は世界から保護主義的だと言われ続けてきたが、実は日本人の性質そのものは全体主義で、個を捨てて全体に従属することを得意とする。

以前から日本人ははっきりとした意見を述べず、玉虫色、曖昧だと世界から言われてきたが、こんな時こそ
「まあ、まあ、そう言わずに」
と曖昧な笑顔で調整役を果たし、世界の秩序維持、調和に奔走すべきなのではないだろうか。

■ トランプ次期大統領

そのトランプ氏はツイッターで

トヨタはアメリカ向けのカローラを生産するため、メキシコに新しい工場を作るという。
ありえない!アメリカ国内に工場を作らないなら、高い関税を払え。

と、恫喝とも言える警告を発した。

これまでにもフォード社などに対して警告し、メキシコ工場計画を撤回させてもいる。

アメリカ政府内では
「ツイッターに投稿し、重要政策を詳しい説明もなく一方的に伝える手法は混乱を招く」
と批判が強まってもいるらしい。

・・・。

重要政策をツイッター・・・?

ヒラリー・クリントン氏が国務長官在任中の公務に私的な電子メールアカウントを使っていたことを批判し、それは犯罪だとまで言っていたトランプ氏である。

重要政策をツイッターに投稿するなど私的メールアカウントどころの騒ぎではない。

メールは不正に入手するか、のぞき見でもしなければ内容を知られることはないが、ツイッターに投稿すれば何千万、何十億人の人が誰でも自由に見ることができる。

自分がやっていることが彼には分かっているのだろうか。

■ 従軍慰安婦問題

日本と韓国の間では慰安婦問題が『最終的かつ不可逆的に解決され確認する』としていたはずである。

しかし、釜山の日本総領事館前に慰安婦を象徴する少女像を設置した問題で韓国政府は具体的な動きを見せていない。

朴槿恵(パク・クネ)大統領が弾劾訴追されて職務停止状態にあり、韓国は政治が機能していないこともあるだろうが、事実上の黙認と受け取られても仕方のない状態だ。

従軍慰安婦が単なる組織売春だったのか、日本が力ずくで行った行為なのかという議論が残るにせよ、確かに日本が行った行為は愚かなことではあるが、それは解決済みの一件である。

世界に発信された約束事を反故にして韓国民は恥ずかしくないのだろうか。

日本政府は対抗措置として駐韓大使の一時帰国させる決定をしたが、そんなことをしたところで韓国は痛くも痒くもない。

そんなことをするより、サムスン、LGエレクトロニクスなどに対して日本の電子部品、液晶素材、製造装置の供給をストップしてやれば良いのである。

あるいは日本の商社、三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠、丸紅などすべてを経由させ、それぞれ粗利をとって販売価格を 5-6倍にしてやれば良い。

日本人がいつまでもニコニコと曖昧な笑顔を振りまいている訳ではないと思い知らせるべきだ。