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何が端緒となったのか忘れてしまったが、今日の午前中に 『お買物日記』 担当者と学校や教師について話し込み、「昔は良かった」 というオッサン、オバハンの常套句を連発する事態に至り、崩壊しつつある現代教育の矛盾と危険性について深く認識してしまった。

そろそろ冬休みだと思うが、夏休みにしても冬休みにしても共稼ぎの両親を持つ子供は休みの期間、どうやって生活をしているのだろう。 共稼ぎの両親を持つ自分が子供の頃は、知り合いの家で昼御飯を食べさせてもらい、それ以外は朝から晩まで遊び呆けていたものだ。 家に親がいようがいまいが、そんなことは一向に関係がなく、それなりに充実した休みを過ごしていたものである。

また、遠く離れた土地に住む祖父母の家に行き、そのまま夏休みや冬休みが終わるまで帰らなかったことも一度や二度ではない。 最初は両親に連れられて祖父母の家に行き、そのまま滞在するというのがパターンだったが、小学校の 3-4年になると一人で電車に乗って行って休みが終わったら一人で帰ってくるという、今で言えば 『お子様一人旅』 の走りのようなことをしていた。

現代の子供は塾通いもあるだろうから、祖父母の家に長期滞在することは難しいだろう。 ましてや超過保護に育てられている子供が一人で旅することなどできないだろうし、第一に親がそれをさせたがらないのではないか。 だとすればなおさら、共稼ぎの親を持つ子供はどうやって休日を過ごしているのか。

昔は学校のグラウンドや校庭に行けば必ず誰かがいて、暗くなるまで砂ぼこりを立てながら遊んでいたものである。 そして、休みであるにも関わらず、必ず学校には一人や二人の教師がおり、大喧嘩が始まるとどこからともなく現れて子供たちを叱りつける。 子供の側も、誰かが怪我でもした場合、職員室に行けば必ず先生がいてくれるという安心感があった。

しかし今は安全上の問題からか、休日の校門は固く閉ざされている。 宿直制度もなくなった学校には教師もいないことだろう。 仮に今でも休日の学校が開放されており、教師がいたとしても子供を叱ることなどできないかもしれない。 下手に子供を叱ったり、ましてや平手であっても頭を殴ろうものなら鬼のような形相をした親が怒鳴り込んでくるに違いない。

かなり以前の雑感に、「母親が父親を馬鹿にしておいて子供の教育などできるか」 と書いたが、それは教師に対しても同じことが言える。 昔の親は教師を尊敬し、子供に対しても 「先生は偉い」 と説いたものである。 たとえ自分より年下の新任教師であろうと教師は絶対であり、叱られたり殴られたりした場合は 「おまえが悪い」 と言われたものである。

現在のように教師を教育産業の従業員としか見なさない態度で、子供の教育まで押し付けようというのが間違っており、そのような態度や力関係を子供も敏感に感じ取っているから教師の言うことなんぞ聞かないのだと思う。 よほど酷い体罰でも受けない限りは、教師に殴られようと 「おまえが悪い」 と子供に教えれば良いし、先生は偉いものであると諭さなくてはならないだろう。

そういう根本部分から考え直さなければ、学校教育の崩壊を食い止めることはできないし、真っ当な子供も育たないだろう。 すぐに手を出す子供にとって怖い先生だって必要だ。 親が何を思おうと、そんな先生の周りに集まる生徒だって多かった。 悪いことをすれば叱られたり殴られたりするのは当り前のことで、普段は頼りになる優しい先生だと子供自身が知っている。

自分は教師から叱られたことも殴られたことも数知れず、親はそんな教師に文句を言うどころか御礼まで言っていた時代に育った。 それでも今から考えると、「昔は良かった」 と思えるのだから、それは何も間違っていなかった証拠ではないだろうか。 現在の子供たちが大人になったとき、今の教育者が本当に自分にとって良い先生だったと記憶に残っているだろうか。

そして、そんな子供が大人となって親となり、子供が学校に通い始めると、今よりもっと酷い馬鹿親になって教師達を怯えさせるに違いない。

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