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健全な精神は健全な肉体に健全な精神は健全な肉体に

結局 STAP細胞は存在しなかったのだろう。

過去の雑感でも折にふれて取り上げてきたが、そのたびに存在するのではないか、いや、存在してほしいと思っていた自分が単なるお人好しでしかなかったことが証明されてしまった訳だ。

しかし、小保方氏を信じるとかそういう意味ではなく、有りもせず、検証すればすぐに発覚するような虚偽であり不正であり無意味な論文を、なぜ、どうして全世界に向けて発表しなければならなかったのか今も理解できない。

山中氏が率いる京都大学の研究グループによって確立された iPS細胞よりも作製法が格段に容易であることから、再生医療等への貢献の可能性が大きいと期待されていただけに実に残念なことである。

なぜ論文を書いた本人が実験を行っても細胞が出来ないのに世界的な科学雑誌に掲載されることになったのかという大きな疑問が残ったままなので、理研にはトカゲの尻尾切りで済ますのではなく真相を解明していただきたいものだ。

STAP細胞の存在は証明できなかったが、ES細胞や iPS細胞によって様々な臓器を作り出すことができるようになった今、科学はもっと先を見据え、それに期待する投資やビジネスも本格的に始まっている。

海外では死亡後のごく短い時間、数分から 30分以内に死体を冷凍保存するビジネスがある。

何年後、何十年後かに科学技術、医療技術が発達し、現在では治せない病気であっても完治できる世の中になっているかもしれないし、クローン技術が発達して自分の細胞から肉体を再生することが可能になって脳だけを戻せば新しい体を手に入れることだってできるようになっているかも知れない。

それに期待して冷凍されることを望む人が少なからずいるということだ。

それを聞いた時に科学知識どころか普通の勉強すら苦手で無知な自分は、実に頭の悪いこと、妙なことを考えてしまった。

確かに自分の細胞から再生した体は遺伝子学的にも本人のものであるし、生物学的にも医療技術的にも問題なく、拒否反応も示さずに脳は体をコントロールできるだろう。

が、しかしである。

人間に宿っている精神とか心というのは、本当にすべて脳の中にあるのだろうか。

再生された新しい肉体は、あくまでも人工的に作られたものであり、0歳児から何年も何十年もかけて育ってきた体ではないので細胞は自分のものでも感覚は絶対的に異なるに違いない。

例えば以前の肉体でスポーツ選手だった場合、子供の頃から運動が得意でそれなりの筋肉の使い方をし、それなりに筋肉が発達しているはずで、特定のスポーツを選んだ場合はそれなりの感覚が研ぎ澄まされ、それなりの筋肉が強化されたはずだ。

ところが新しい肉体にはそれがない。

心も磨くとされる武道、剣道や柔道、空手などの有段者であった場合、それらの鍛錬を行っていない肉体に脳が戻された場合でも磨かれた心はそのままなのだろうか。

体や顔にコンプレックスを感じていた人が再生された綺麗な体を手にした場合、性格まで変わってしまうことは十分に考えられる。

とても地味で物静かだった人が、とても派手でにぎやかな人格に変わるかもしれない。

そう考えると、やはり不思議に思う。

性格や精神、心まですべて脳の中にあるのだろうか・・・。

また、いくら肉体を再生し、新しい体を手に入れたとしても脳細胞は実年齢のままだと思われるので、若々しい肉体に老人の脳細胞というアンバランスな状態になってしまい、物忘れが多くて覚えの悪い見かけだけが若い変な人になってしまうことだろう。

健全な精神は健全な肉体に宿るというが、再生された肉体は本当に健全なのか。

そもそもこの 『健全な精神は健全な肉体に宿る』 というのはローマの詩人ユベナリスの 『風刺詩集』 の一部が誤用されているらしい。

本来は幸福を得るため多くの人が神に祈るであろう富・地位・才能・栄光・長寿・美貌などは、いずれも身の破滅に繋がるので、もし祈るとすれば 「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」 と語っているとのことだ(ウィキペディアより)。

だとすれば長寿や美貌を望んで肉体を再生すべきではないのかも知れない。

話を冒頭に戻せば、小保方氏も多くの凡人と同じに富や地位、才能、栄光を祈ってしまい、身の破滅に至ったということなのだろうか。

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