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差別差別

※ お断り - 今回の雑感には表現の必要上、差別用語が含まれています。

ここのところ、テレビで差別をテーマにした議論を何度か見た。

自分自身は過去の雑感に書いたように差別意識はほとんどなく、もしかすると子供の頃に差別用語を口走ってしまったこともあるかもしれないが、物心がついて以降は人を差別したり差別するようなことを口にしたりしてこなかったつもりだ。

しかし、海外ドラマを見ていると今でもアメリカやヨーロッパには人種差別が根深く存在するのは厳然たる事実であろうし、ここ数日ニュースで伝えられているようにイスラム社会では歴然たる女性差別がある。

この世から差別をなくすことは不可能なのかもしれないと思うのは、差別をしないように神経質になりすぎると逆差別を生み、それをなくそうと別の言葉に置き換えても、その言葉を不快に思う人が現れてまた差別用語になってしまうということをくり返しているからだ。

以前は体のどこかに障害があることを 『カタワ』 と総称しており、知能に問題があることを 『キチガイ』 と総称していたが、それが問題視されて今ではそれぞれ身体障害者、知的障害者と表現されている。

しかし、最近になって障害者というワードに含まれる 『害』 という字が気に入らないと言い出した団体があるらしい。

世の中の害みたいにとらえられる危険性があるからだという。

だとすれば何と表現すればよいのか、どう言ってほしいのかという対案も提示せず、一方的に気に入らない、問題だと騒ぎ立てる人や団体まで気遣っていると差別はなくなるどころか逆差別という変質した状態で残り続けるのではないだろうか。

キチガイが差別用語となったため、それから派生した一切の言葉を使うことができなくなってしまったのは困りもので、例えば趣味などに没頭する人のことを「○○キチ」と表現することすら望ましくないと言われている。

マージャン好きの雀キチ、音楽好きの音キチ、車好きのカーキチ、阪神タイガースの応援に没頭するトラキチも使用することは望ましくないため、テレビやラジオの電波に乗ったり新聞紙面に載ることはない。

以前、少年誌に連載されていた漫画 『釣りキチ三平』 も 『釣りマニア三平』 に改めるべきかどうかと議論されたこともあったと聞く。

確かに神経質に考えるとそれらの表現は好ましくないのかもしれず、言われて不快に思うのなら改めるべきかとも思うが、自身を指して自嘲気味に
「わたし実は囲碁に目がない碁キチでして・・・」
と言うくらいは差し支えないのではないだろうか。

・・・と、書いてみたが、実はこの 『目がない』 も使用するのは望ましくない表現の一つだったりするので、気にしはじめるとテレビやラジオで何も話せず、何の文章も書けなくなってしまうような気がする。

種が混じると昔は 『アイノコ』 などと言ったりしたものだが、それが差別用語となったので人種の違う親から生まれた子を 『ハーフ』 と呼んでいたところ、それすらも好ましくないと言われるようになってしまった。

犬種が混じった犬もアイノコ、ハーフなどと言っていたのを改めて今ではミックスと呼ぶようになったが、それを人間に使用して血が混じった人を指してミックスなどと言おうものなら非難轟々となってしまうという実に面倒な状況下にある。

すでに意識も運動機能も失われ、生命維持装置によって生きている人を 『植物人間』 と表現せず植物状態になってしまった人と言わねばならず、書類に目を通さず捺印することを 『めくら判』 と言ってはならず、中途半端で完成度の低いことを 『片手落ち』 と言ってはならない。

屠殺場ではなく食肉解体業が好ましく、給仕ではなく接客係で、百姓ではなく農業従事者、女工は女子工員、日雇いは自由労働者、坊主は僧侶、親方はチーフ、町医者は開業医、床屋は理容室、板前は調理師、共稼ぎは共働き・・・・・などなど、まだまだあるが、それらは本当に差別的な表現であって言われると不快に思う人が多いのだろうか。

あまりにも締め付けが強くなると、芸能人のお馬鹿キャラをイジるような、昔のクイズヘキサゴンみたいな番組は成立しなくなるかもしれない。

このままエスカレートすれば、トンチンカンなことを言う人、常識のない人、小学生程度の問題を解けない人をイジって笑うような番組を放送すれば、それは差別だとか何だとか言い出す団体が出そうな気がする。

身体であれ、知的であれ、障害を持つ人を差別する気は昔も今もないが、このまま気を使いすぎると、いや、今の時点ですら、もうすでに逆差別の領域に入っているのではないだろうかという気がしてしまう。

体の一部が不自由な人は、障害があるのではなく、それは個性だと五体不満足の著者でもある乙武洋匡氏が言っていた。

それが核心なのでないかと自分も思うし、それが正しく、障害を持つ人も障害者に接する人も本心からそう思える時が差別が消える時なのではないかと思う。

本当に身体的個性や特徴をイジるのが良くないのであれば、ハゲとかデブ、ブスに出っ歯とかだってテレビやラジオの電波に乗せるべきではないし、印刷物に掲載すべきではない。

言われて不快に思う人、傷つく人がいる以上、それは放送禁止用語、差別用語と何ら変わりないではないか。

それらの言葉を使用禁止にするか、それらと同様、同等程度の言葉まで差別用語とする現在の風潮を変えるべきではないかと思う。

あまりにも神経質になりすぎて逆差別状態が拡大すると、互いが同一社会で暮らすこと自体が困難になってしまうような気がする。

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